アンドリュー・L(一)
《政府との合意に達した‼︎》
チャールズ・“
《施設内の全兵員に告ぐ! 間もなく撤退命令が出される! 速やかに交戦を停止し、屋外に撤退したまえ! 繰り返す! 施設内の――》
蛇のような眼をした初老の男、アンドリュー・L博士は震えっぱなしだった歯を喰いしばった。
「この……ひどく癇に障る声が聞こえているかね、勇猛な
逃げ込んだ第三検診棟、その地下の検診室。床に尻もちをつき、顔は青ざめたままだ。それでも自分に小銃を向ける相手へ、虚勢を張る。
「物騒なものをしまって早々に立ち去らねば、お互いにとって大きな不利益が生じてしまうぞ」
施設を襲撃した部隊員のひとりは、それでも腕を下さなかった。銃口がかすかに震えているのは逡巡か、あるいは怒りによるものか。
「……仲間をやられた」
ぼそりとつぶやく低い声。その背後には、男とチームを組んでいた者たちの死体と、それを成した者の残骸があった。床や壁、多くの器材は穴だらけ、ひびだらけだ。
「襲ってきたのは君たちのほうではないか。私とて、目の前で大事な助手を無残に撃ち殺されたのだ」
もっとも、おかげでよりよいデータが取れたがね。
アンドリューは内心をおくびにも出さず、非難するような口ぶりで憤る相手に応えた。
「…………」
銃口は下がらない。真っ黒な覆面をつけているため、表情も伺えない。しかし沈黙から、男の戦意が収縮していくのを感じた。
やがてスピーカーから撤退という言葉が三度告げられ、ようやく相手は腕を下ろした。思わず、にやりと笑みをこぼす。
その醜悪な笑顔に反応してか、襲撃犯の生き残りは一旦下げた腕をすぐさま天井へ向け、自動小銃の引き金を引いた。
スピーカーの音声をかき消すほどに響き渡る轟音。アンドリューは悲鳴を上げ、亀のように身をまるめた。連続した銃声は止まず、天井や照明器具の破片が、縮こまる背中や尻を襲う。目と耳を塞ぎ、ヒイ、ヒイと喘ぎつづける。
気を失いそうなほどの恐怖に耐え、やがて辺りが静まったとき、アンドリューはようやく身体を起こした。いや、もしかすると本当に気絶していたのかもしれない。なにしろスピーカーから繰り返されていた勧告すらも、気づけば終わっていたのだ。
緊張した手で胸ポケットから小型ライトを取り出し、灯りを点ける。小銃を持った男の姿は、すでにない。ほっと胸を撫で下ろした。
あの忌々しいチャールズの声ではあったが、実際のところ、天から差し伸べられた救済に等しかった。あれがなければ、きっと助手と同じように変わり果てた姿となっていただろう。
はっとして立ち上がる。震えは止まっていたが、先ほどまでの衝撃によるものか、一瞬だけ眩暈がした。しかし歩けないほどではない。頭を軽く振って、犠牲となってしまった己が従者へと近づく。
途中、放置された兵士の亡骸が目についた。複数の損傷。胴体。二の腕の裏側。喉。すべて、急所を狙ったナイフによる斬撃。素晴らしい。
助手と行動を共にしていたことは僥倖だった。あの奮戦がなければ、放送を聞くことさえなく自分も撃ち殺されていた。
とはいえ助手個人の戦力など、たかが知れている。本来ならば銃火器を装備した部隊相手に、非力な研究員が抗えるはずもない。あくまでアンドリューの研究成果を用いた結果だった。
兵士を
尊い犠牲。無駄にはすまい。一瞬だけの黙祷を済ませ、膝をついて身体をまさぐった。研究成果――物証の回収。己が功績を三博士どもに証明するため。しかし――
「なに……?」
愕然とする。目の前が真っ暗になる。あるはずのものが、そこにはなかった。
慌てて辺りを見回す。暗い検診室の中を小さな光が点々と走った。
ない。ない。見当たらない。助手を蹴飛ばし、周辺を探る。やはり、ない。
今度は仰向けに転がして、助手の利き腕の掌を確かめる。指先から手首までに、ぽつぽつと点在する小さな穴。絡みついていたなにかを無理やり引き剥がされたように、うっすら血が滲み出ていた。そこでようやく悟る。
奪われたのだ。
自身の研究の集大成――黒いナイフを。
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