【七月二二日 午後七時三十分】
「――――お父、さん・・・?」
「お前なぞ、俺の子どもではない!」
僕が呟いた言葉に激しく反応し、戦闘服の男――――安納悠斗は椅子をがたがたと揺らした。それに合わせて、両足が不自然に揺れる。
「ひっ・・・。」
彼の両足は、折られていた。
「安納さん。貴方が幾ら強がっても、戸籍上も遺伝子情報上も、ユウマはあなたの息子なんだよ?安納真美(アンノウ マミ)との、ね。」
「うるさいっ!その真美を、実の母親を、こいつばっ・・・!」
急に口から血を吐き、彼は咳き込む。眼鏡の男は優しい笑顔を安納に向けて、彼に語りかける。
毒を、盛られているのか。
「ほら、あんまり暴れると、すぐに毒が回っちゃうよ?落ち着いて、深呼吸して。――――それから、彼に全てを教えてあげてよ。」
何度か咳き込んだ後、安納はその顔を睨み付ける。
「・・・誰が、貴様の言うことなど・・・!」
「・・・その答えは、得策じゃないな。」
彼はおもむろに向かって左側の黒服の男に近づくと、懐からナイフを取り出した。
「っ!止めっ!」
安納が叫んだ頃には、眼鏡の男はナイフを振り下ろしていた。赤黒い血飛沫がナイフを振り下ろされた男の首筋から吹き上がり、彼らの体に飛び散る。
男はしばらく小刻みに痙攣して、やがて動かなくなった。
「さぁ、二者択一だ。貴方が素直に話せば、もう一人は逃がしてあげる。黙秘を続けるなら、もう一人も殺す。貴方は今まで、何の為に全ての拷問を一人で引き受けてきたのかな?」
こいつらの為だろ?と、彼は右側に座らされている男の首元にナイフを当てた。
「た、隊長、俺のことは良いから・・・。話さないで下さい・・・。」
ナイフを当てられながら、彼は震える声で話す。
「そうだって、安納さん?じゃあ、殺してもいいかな?」
「待て、分かった!話す、話すから、もう・・・。」
安納は、がっくりと項垂れた。もう一人の男も、悔しそうに顔を伏せ、涙を流している。
「分かってくれて嬉しいよ。」
彼はナイフをしまい、笑顔のまま僕の傍に近づいてくる。
どういうことだ、どういうことだ。
何で、彼がこんな酷いことを。
僕を助けてくれた。優しい笑顔を向けてくれた。真実を教えてくれると言った。
それなのに、どうして。
『彼女は、普通なんかじゃないよ。』
喫茶店で言ったあの言葉。
普通の組織じゃないから、異常な人間が集まるのか。
じゃあ、彼も異常だ。
「さぁ、もっと近くにおいで。君のことを、彼が教えてくれる。」
僕の体は凍りついたように動かなかったが、彼の力は驚くほどに強く、引きずられるようにして安納の前に立たされる
眼鏡の男は僕の肩に手を置いて、にこやかに僕たちを見詰める。
その手は優しく置かれているのに、一歩も動けないほどの圧力を感じた。
「・・・お前の、その顔を見ていると、吐き気がする。俺によく似たその顔。俺はあの日以来、鏡の前で何度もお前を思い出し、お前を殺すために、この組織に・・・。」
「貴方の話は良いから、ユウマのことを話なよ。」
眼鏡の男に話を遮られ、安納は彼を睨み付けたが、すぐに話を再開した。
「・・・お前は、確かに俺と、妻の真美との子どもだ。十年前、白い雪の降る夜に、お前は生まれた。その時はお互い喜んだよ。真美はずっと子どもを欲しがっていたから。」
安納真美・・・。その言葉を聞いて、僕の頭に鋭い痛みが走る。
――――何だ、この痛みは。
「その子は、俺と同じように白い肌と髪を持っていた。真美は、本当に幸せそうだった・・・。お前が物心つくまでは。」
真美、マミ・・・。僕の母親・・・。
「初めは、虫だった。」
頭が、痛い。胸も、締め付けられるようだ。
「ある日、玄関に無数の虫の死骸が落ちていた。それらは四肢がバラバラにされていて、一様に頭部がなかった。俺たちが住んでいたのは郊外の静かな森の中で、近くには人が住んでなく、いるのは俺たち夫婦と、ハイハイを始めたばかりの赤子だけだったから、余計に気味が悪かった。」
胸と頭の痛みが酷くなる。
「次は、小動物だった。」
先ほどから、断片的に女性と男性の姿が脳裏に過る。それらは顔にぽっかりと穴が空き、誰なのか分からない。
「一年後、俺たちがそのことを忘れかけていたころに、今度はネズミや猫の死骸が置かれていた。前と同じくバラバラにされて、頭部が無い死骸が。その時は一人で歩いたり、いくつか単語を話すようになっていた子供がいたから、俺たちは怖くなって、警察に通報した。だが、彼らは事件性がないと言って、すぐに去って行ってしまった。確かにその後、一年間はそれが起きなかったから、彼らも動けなかったんだろうが・・・。俺は一人で犯人を捕まえようと決心して、様々な対策を講じた。真美が見るからに憔悴していったから、俺は必死になった。」
マミ・・・。マミ・・・。その名前は、聞きたくない。
「最後は、でかい犬だった。」
僕は堪えられず、頭を抱える。しゃがみ込もうとするが、両肩から抑えられてしまっている。
「それから暫く経った頃だった。今度は、頭のない犬の死骸が置かれていた。だが、今度は俺も安心した。以前のことがあってから、防犯カメラを家の周囲に取り付けておいたからだ。それで、すぐに犯人が分かると思った。俺は、警察の連中にそいつを突き付けてやろうと、意気込んでカメラの映像を見た。そしたら・・・。」
そこで、安納はずっと俯けていた顔を僕に向けた。
その表情は憤怒ではなく、少し、悲しそうだった。
「――――お前が、犬を引き摺ってきている映像を見た時は、驚きと、焦りに似た混乱が、頭を駆け巡った。どうしてこの子はこんな事を、俺の何かが悪かったのか・・・と。でも、それ以上に、真美には見せてはいけない、と。それだけは分かった。その頃、彼女はノイローゼ気味になっていて、どんどん衰弱していた。その上、自分の子どもが元凶だって知ったら、さらに悪化するのは眼に見えていた。」
頭の中の男の姿が明瞭になり始める。それは、目の前の男と同じ顔をしていた。
「俺は、お前にどうしてそんなことをしたのか聞いて、止めるように諭した。お前は不思議そうな顔をしていたが、それ以来、そう言ったことは収まった。俺はこれで、漸く幸せな生活を送れると思った。・・・なのに、真美の容態は一向に回復をしなかった。それどころか、どんどん酷くなっていき、見るからにやつれていった。」
女性の顔も、徐々に判然としてくる。優しい笑顔、困った表情―――。
「ある日、俺が目を話した隙に、彼女が防犯カメラの映像を見つけてしまった。」
―――衰弱した姿。
「俺はそれを取り上げて必死に隠そうと弁明した。だが―――。」
一層、頭に痛みが走った。脳裏に記憶が蘇る。そこには懐かしい匂い、いつも清潔にされていたリビング。中央のテーブルに座る、父親と、母親。
「彼女は、〝笑った〟んだ。」
そう、彼女は笑って。
「『貴方も、知っていたのね』って・・・。」
フラッシュバックした記憶と、彼の言葉が重なる。同時に、様々な情景が脳裏に映し出される。
犬を殺したこと。玄関に、犬の死骸を置いたこと。その頭部を。
「俺は、彼女の話を聞いて、寝室に駆け込んだ。その時、彼女の容態が思わしくないから、俺たちは別々に寝ていた。・・・それがいけなかった・・・!」
微笑む母親。やつれていく母親。
「ベッドの下に、大量の生き物の頭部が置かれていたんだ!」
その母親の枕元に、置いて行ったこと。
「こいつは、自分が殺した生物の頭を、真美の枕元に並べていやがったんだっ!」
そうだ。自分は――――。
「俺は、切れた。真美に向かって、あんな子供は〝いらない〟と・・・!」
あの時、リビングで、二人の会話を聞いて――――。
「子供が欲しいなら、養子をとって、〝取り替えよう〟と・・・!」
〝捨てられて、新しいものに〟されると思って――――。
手に持っていたナイフで。
「そしたら、真美がいきなり立ち上がって――――。」
〝安納真美〟の首を。
「こいつは真美を、母親を殺したんだっ!」
安納の声が部屋中に響き渡る。聞かないように耳を塞ごうとしているのに、眼鏡の男がそうさせてくれない。
「・・・真美の止血を済ませ、お前を探したが、既にお前の姿はなかった。・・・結局その間に真美は息絶え・・・。・・・それから、お前を探し続けた。内心では、3歳足らずの子どもが生きていける筈がないと思っていたのに、どうしても許せなくて・・・。でも、まさか、本当に生きているとは思わなかった。」
「普通は死んでるよ。でも、すぐに僕が保護したからね。」
それまで黙って話を聞いていた眼鏡の男が、にこやかに安納の言葉を返す。
「だって、僕はずっと君のような人間を探していたんだ、ユウマ。」
簡単に殺しができる人間を、と言って、彼は僕に笑いかける。
「人を殺すって言うのは、すぐには身に付かない。本能や倫理が、普通ならそれを食い止める。でも、君は生まれながらに、それらの本能や倫理が欠けていた。殺し屋体質なんだ、君は。」
「ころし、や・・・?」
眼鏡の男の言葉が反響する。
僕は、殺し屋・・・。
「そう。だから僕は、君を見ていた。いつか君が人を殺すまで。・・・案の定君は実母を殺して、家を飛び出した。そこを僕が保護して、今日まで育ててきたんだ。殺しのノウハウを叩き込んで、ね。・・・本当に、彼を生んだことには感謝しているよ、安納悠斗?」
「貴様に、感謝など・・・」
言いかけて、安納は激しく咳き込み、先ほどより多くの血を口から吐き出した。
僕は彼に駆け寄ろうとするが、両肩に置かれた手に力が籠められ、僕は堪らずその場にしゃがみ込む。
「何をやってるんだ、ユウマ。彼は君を殺そうとした男なんだ。危険因子だ。排除しようならともかく、助けようなんて。君は殺し屋なんだよ?」
――――母親を殺した。
男の言葉が脳髄で反響する。母親を、彼女を、僕が。僕は。
「―――ふふ、そろそろ貴方も潮時だ。時期に毒が回って死ぬだろう。その前にユウマの過去を思い出させることができて良かったよ。――――だから、貴方たちは用済みだ。」
彼は、もう一人の黒服の男の胸に、ナイフを突き立てた。黒服は眼を見開き、恐ろしい形相で眼鏡の男を睨んだ後、がっくりと項垂れた。
「き、貴様っ!話が・・・違うっ・・・」
「拷問を引き受けたら、彼らには何もしない。でも、貴方はもう拷問に耐えられないでしょう?だからです。」
「・・・ひ、れつ・・、・・・、・・・な」
彼の瞳は焦点が合っていないらしく、眼鏡の男の足もとを睨み付けている。
しばらく小刻みに揺れ、そして彼は動かなくなった。
「これで邪魔者は居なくなった。・・・気分はどう?ユウマ。」
眼鏡の男は何事もなかったかのように笑いかけてくる。
靄がかかっているような視界からは信じられないほどに冴えている頭に、僕は驚いていた。
(あぁ、思い出した。)
僕には、やることがあったのだ。
無言でうなずいて、僕は彼からナイフを受け取った。
「それは上々だ。じゃあ、早速仕事だ。」
彼は白い仮面を僕に渡し、自らもそれを付けて扉へと近づいていく。途中、壁にある斧を手に持った。
「実は、依頼人にはここに来てもらうように、財布の中にメモと、ここの地図を渡してあるんだ。殺す相手を連れて、この場所まで来いってね。ばれないようにその仮面をつけておいてくれよ。」
「・・・ねぇ。」
扉の取っ手に手を掛けていた男は、僕に呼び止められ、不思議そうな顔をした。まだ何かあるのか、と。
「動物の死骸の匂いを嗅いだことがある?」
「・・・ないよ、僕は、死骸は人だろうが動物だろうが、すぐに処分する。」
「・・・そう。」
彼は不思議そうに首を傾けたが、直ぐに扉の向こうに気を向けて、それを開け放った。
扉の向こうには、よく見知った女の子と、見知らぬ女の子が立っていた。
どちらも、驚くほどによく似ていた。
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