【七月二二日 午後五時十五分】
「・・・どこまで、連れて行くのよ。」
私の問いかけに、彼女は答えない。
街を抜けて、すぐ傍に隣接している薄暗い森の中へと足を踏み入れた挙句、雑木が体を掠めるけもの道を進み続けているが、美樹は一向に歩みを止めない。
(・・・一体、どこに行こうっていうのよ・・・。)
大きく聳え立つ針葉樹は、この地域一帯に群生する樹種で、私の住んている傍にも生えている。この森は、おそらく私たちの住んでいる街のすぐ隣に連立している山々に繋がっているのだろう。方向もあっていると思う。
(私たちが住んでいる街の方には向かってないみたいね・・・。)
整備されていない道を進んでいく。地面は土すら露出していなかったが、踏み倒された草やツタが、一応人が通るということを伝えてくれる。
こういう道を歩くとは考えてもいなかったので、今日はショートパンツにヒールの高いパンプスを履いてきた。きっと足元には草や若木でできた切り傷ができているだろう。
「・・・この山は、全部同じ所有者の土地でね。整備されていないし、真っ暗だったから、私も最初にこの道を通った時はちょっと怖かったわ。」
今まで黙っていた彼女が、おもむろに語りだした。過ごしずつ勾配が急になってきていて、私が彼女を見上げる格好になる。
「今から行くのも、古びた廃工場だから少し怖いのだけれど、貴女は大丈夫よね?」
「――――勝手に決めないでよね。そもそも、何でこんな道を知っているわけ?」
「良いから付いてきなさい。・・・ほら、着いたわよ。」
視線を彼女の後ろに向ける。林立する針葉樹の中に、小さな円形の広場が広がっていた。そこだけ平場になっていて、木々も生えていなかったが、周囲の針葉樹の高さのせいで、光が殆ど差し込んでこないが、上空を確認することができた。いつの間にか陽は既に落ち、空には星がちらちらと瞬いていた。
広場の中央に、黒い塊が佇んでいる。目を凝らしてみるが、建物は闇に溶け、それが美樹の言う廃工場なのかどうか判然としない。
立ち止まり建物を見詰める私を置いて、美樹はその黒い塊の方へ向かっていく。
「貴女・・・怖くないの?」
「私は平気よ。――――だから、貴女も平気よね。」
彼女は、振り返りもせずに、その黒い塊の中へと入っていった。私は、その方向を睨み付ける。
(・・・さっきから、何で勝手に決めつけるのよ・・・!)
彼女の言葉に苛立ちを覚えながらも、彼女の後に続いて建物へと足を踏み出す。
(・・・貴女が入れて、私が入れないわけないわ・・・!)
私は震える体を抑え、建物の中に入った。
中は外よりも更に暗かった。前が見えずに困っていると、前方から明かりが向けられる。私はその眩しさに目を隠した。
「これじゃあ暗くて危ないからね。」
眼を開けると、美樹が懐中電灯を持ってこちらに笑いかけているのが見えた。広範囲が明るく照らされるもののようで、彼女の姿もうっすらと照らされている。
不自然だ。用意が良過ぎる。元々この場所に来る予定だったかのようだ。
不審に思いつつも、私は彼女の一歩後ろまで近づく。それを確認して、美樹は歩き出した。
「――――ねぇ、霞。貴女は私のことが嫌いよね。」
また唐突に彼女が話し出した。しかも今度の質問は、お互いに何度も何度も確認してきたことだ。
今更どうしてそんなことを。この数年間で、嫌というほど分かり合ってきたことだというのに。
「えぇ、もちろん大嫌いよ。」
私が少し苛立ちながらそう答えると、彼女は嬉しそうに笑った。
「ふふ、私もよ。」
彼女が照らす灯りの先には、古びた機械が多く放置されていた。各所にベルトコンベアやクレーン装置などが配置され、確かに工場だったことが窺える。
その内の一つに彼女は近づき、レバーを下げると、細かい振動と金属が擦れる甲高い音が辺りに響く。何が起きたのか分からずに辺りを見回していると、ちょうど私たちが立っているすぐ傍の床が動いていることが分かった。
「さぁ、この中に入るわよ。」
音が止むと同時に、彼女は床を照らした。明かりの先には真四角に空いた穴ができていて、下に降りることのできる階段がその中に見えた。
明かりで照らしているのに、階段の先には深い闇が続いている。何かが潜んでいるような気がして、私の体は硬直する。
固まる私の手を、美樹が掴んだ。不覚にも飛び上がるように反応してしまった私を見て、彼女は微笑んだ。
「・・・貴女は、貴女を保つことができるかしら。」
彼女に手を引かれて、私は暗闇の中へと足を踏み入れた。
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