【七月二二日 午後五時○○分】
「さぁ、次は君のことを教えてあげよう。」
一息ついて、僕がコーヒーを飲み干すと彼はそう言った。
喫茶店の外に出ると、車が停められていた。その車に乗り込み、数十分ほど走ると、街を抜けて森の中に入る。見覚えがある針葉樹が、山頂に群生していた。
この山は、僕が彷徨った森のようだ。
三日ほどしか経っていないというのに、何だかとても遠い道を歩いてきたような気がする。それで最初にいた場所に戻ってくるとは、とんだ遠回りをしたものだ。
「元々使っていた施設には行かないよ。あそこはもう大半の設備が破壊されてしまったし、黒服達にもばれているからね。緊急時用に用意してある隠れ家があるから、そっちに行くよ。」
運転しながら、眼鏡の男は少し楽しそうに説明をしてくる。
「・・・あの黒服達は・・・?」
「うん、そうだなぁ・・・。奴等も僕たちと同じで、客観的に世界を観察する組織なんだけど、世界への干渉の仕方が違うんだよ。彼らは対象を保護し、隔離する。世界に影響を及ぼさないように対策を講じるけど、決して殺すことはない。対して僕たちは対象を排除する。社会に何かしら影響を与える前に消してしまう。そう言った点で、僕たちの組織と彼らは対立しているのさ。奴等は僕たちのことを非人道的だというが、奴らの方が非人道的だ。何せ、飼い殺しにして、捕まえた対象を一生研究漬にするんだから。」
彼の言葉には棘が感じられたが、表情は変わらない。そのせいで、憤っているのかどうでもよく感じているのか分からなかった。
車体が大きく振動しながら、舗装されていない道を進んでいく。森の中は背の高い木々のせいで光が全く届かないそれだというのに車はライトもつけずに走っている。通い慣れた道なのだろう。彼は鼻歌交じりで運転をしている。
僕は調子の外れた音楽を聴きながら、流れていく木を眺めていた。
(・・・僕は、なんなのだろう・・・。)
男は、僕のことを教えてくれると言っていた。この車が到着した先に、その答えがあるのだろうか。
(知りたい。)
自分が何者なのか。一刻も早く。
そうでないと、不安と焦燥感で押しつぶされそうになる。
この不安と焦燥感は一体何なのだ。
初めは何も分からないからだと思っていた。徐々に思い出していけば、焦りも不安も薄らいでいくだろうと。
だが、何かを知っても、それらは消えない。まるで何かを待っているかのように。
答えが何かを見つけるまで、それらはどんどんと増幅していく。
何かを、大事な何かを忘れている。やらなければいけないことが、僕にはあったのだ。
僕は、体をギュッと掴んだ。
森の中をしばらく走って漸く着いたのは、古びた工場跡地だった。
トタンと鉄筋でできたその建物は、いたる所が赤く錆びつき、天井や壁には多くの穴が空いている。
「この一帯は、僕の先祖が代々所有してきた土地でね。この工場も昔、この国の経済が著しく成長した時に合わせて建てたらしいんだけど、今や使用されていないただの廃屋だ。この外観を見て中に入ろうとする人間はほとんどいないし、まず人目にもつかないから、何かに使えるかと思ってそのままにしていたんだけど、正解だったよ。まさかあいつらも、こんな近くにまた隠れているとは思ってなかったみたいで襲撃されることもないしね。」
彼は流暢に説明をしながら、工場の中へ入っていく。僕も恐る恐る彼の後についていく。
外観の寂れ具合から想像していた通り、いやそれ以上に酷く、工場の中は劣化していた。天井やら壁やらに空いていた穴からは針葉樹の隙間から漏れた小さな夕陽の灯りが埃の溜まった床を映している。そこら中に設置されているよく分からない機械は赤茶けた色に錆びついていて、どう見ても使えそうにない。
前を行く彼はそれらの合間を縫って進んでいく。
(・・・こいつらはもう、動くことができないんだろう。)
近くで見ると、はっきりとそのことが分かった。元々錆びないように塗装もしてあったのだろうが、今や元の色が分かるような部品は一つもなく、その一つ一つが一様に錆びている。
端っこのボルトに触れてみると、それだけで折れてしまった。この様子だと、動力であるエンジンもダメになっているのだろう。
もう、この機械は死んでしまっているのだ。
修復することはできないだろう。それならばもう、この機械は用途を示さない。
捨てて、新しいものにするしかない。
ズキリ、と頭に鋭い痛みと、例えようもない不快感を感じた。
「さ、こっちだ。この下に階段がある。灯りはないから、気を付けて降りないと転げ落ちるからね。」
僕はそれらの機械から目を逸らして、立ち止まった彼の方を見た。
彼の足もとには何もない。他と同じように埃がたまっていて、雪が積もったようになっている。
いや、おかしい。
彼が歩いてきたはずの足跡がない。振り返って目を凝らすと、ここに来るまでの床にも彼と僕の足跡がなかった。
彼はそばにある機械の一つに近づくと、錆びたレバーを引いた。すると、細かい振動とともに床に四角い穴が空き、その中に下へと続く階段が現れた。
「普通に作ると簡単に分かっちゃうからね。床は埃があるように綿を貼り付けてある。レバーも他と同じく錆びているように見せるためにカモフラージュしてある。これだけ薄暗いから、普通にしてれば見分けがつかないよ。まぁ半分は趣味だけどね。」
彼は真四角に空いたその穴の中に入っていく数段降りたと思ったら、すぐに彼の姿は闇に包まれてしまった。
四角い暗闇は、ぽっかりと口を開けて僕を誘う。先は何も見えない。どうなっているかも見て取れない。
何もわからない、僕の過去の記憶のようだ。
(・・・この先に、知りたかったことが・・・。)
僕は、体が震えるのを抑えながら、片足を暗闇に浸した。
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