【七月二二日 午前十一時三十分】
隣町の大型ショッピングモール。彼女の家の近くにある駅から二駅ほど乗り継ぎ、到着した駅構内と一体となっているその施設は、家具や衣服などの生活用品から、スポーツ用品や音楽器などの娯楽用品をそろえた店舗だけでなく、映画館や遊園地などのレジャー施設まで設けられており、周囲の街から大勢の人々が利用する複合施設となっている。
当然、休日は多くの人で賑わい、周囲から人の目がなくなることはまずない。
「・・・ここなら、その追手っていうのも簡単に暴れられないでしょ。」
確かに、どこもかしこも人で一杯だ。昨日のように、黒服の男たちに襲われることもないだろう。
「じゃあ、早速行くわよ!」
「・・・え?」
彼女の尋常ならざる気合に身を引こうとしたが、瞬時に手を取られ、様々な店の並ぶ通りに連行される。
嫌な予感がしながらも、僕はただただ引きずられるしかなかった。
「・・・ふぅ。満喫したわ・・・。」
時刻は午後二時半を回ったところ。引きずられたときに見えた時計が十一時半を示していたから、三時間近く買い物をしていたことになる。
今座っているベンチには、大量の買い物袋が積まれている。二人で座っている面積よりも遥かに大きい。
(このために僕を連れてきたな・・・。)
買い物を終えて満足げな彼女の顔を見ないように、僕は背中を向けるように座った。
「・・・よく買うね、こんなに。」
「んー?・・・まぁね。親が殆ど家にいないもんだから、何かあった時ように、って結構多めにお小遣いくれるのよね。それに私、倹約家だし。」
「・・・ふーん。」
「だから、今日は何でも買ってあげるわ。私の財布には、今まで貯めた・・・。」
急に言葉を切り、あれ、あれ、と焦った声を何度も出す。目だけでそちらを見ると、彼女が体中や鞄の中に忙しなく手を出し入れしている。
「・・・どうしたの?」
僕が尋ねると、彼女はひきつった顔をこちらに向けた。
「・・・お財布、落とした・・・。」
「・・・。」
しばらくお互いに見つめ合う。彼女はひきつった笑顔で、僕は呆れた表情で。数秒して、彼女はがっくりと項垂れながら、溜息を吐いた。
「・・・どーしよ。さっきのお店までは有ったんだけどなぁ・・・。」
「・・・まぁ、どうせその内見つかるよ・・・。」
「――――あれ、誰かと思えば。」
声に振り向くと、眼鏡を掛けた男性がそこにいた。優しい笑顔でこちらを見ている。
「――――先生。」
「こんな所で会うなんて、偶然だね。」
彼はそう言ってこちらに近づく。
僕は驚きで言葉が出ない。
(・・・どうして、ここに。)
こちらに向けられた笑顔は、初めに目が覚めた時と、変わっていなかった。
(間違いない、あの部屋にいた男だ。・・・それにこの声・・・。)
昨夜、黒い戦闘服から助けてくれた人影と同じものだ。どうしてその時気が付かなかったのだろう。
「あぁ、ユウマ、彼は私の通っている学校の先生で・・・。」
僕が彼を凝視しているのに気付いたのだろう。彼女が間に入って説明しようとしてくれる。
『――――お知らせ致します。赤い色の財布を落とされた方。身に覚えがございましたら、サービスセンターまでお越しください。繰り返します――――。』
だが、その声は施設内の放送で途切れてしまった。
「あ・・・これ、私のだ。」
そう呟いて、彼女は僕と彼を見る。財布を取りに行きたいが、僕と大量の荷物を置き去りにできない、という顔をしている。分かりやすい。
すると、男はいきなり僕の肩に手を置いた。
「行っておいで。実はユウマと僕は“知り合い”なんだ。」
その言葉に、僕も彼女も驚いた。彼女は何か問いたそうな顔をしていたが、しばらくしてサービスセンターの方へと駆けて行った。
「・・・じゃあ、どりあえず喫茶店にでも行こうか。」
彼が向かったのは、施設の外にある喫茶店だった。施設の中とは違い、殆ど人がいなく、店員にはお好きな所にお掛け下さい、と言われた。
その中で、彼は隅の席を選んだ。
アイスコーヒーを二つ、と彼は店員に注文をしたきり、一言も喋らない。僕も無言で彼を見返す。
息が詰まるような空気に我慢できず、声を掛けようとした瞬間、アイスコーヒーが運ばれてきた。僕は口を開けたまま、並べられていくコースターやコーヒーを眺めていた。
「・・・さて、何から話そうか。何から聞きたい?」
コーヒーに口を付けようとすると、彼が話し始めた。何だか調子が狂う。
結局口を付けずにグラスを置き、彼を見据える。
「・・・僕が誰だか、知ってる・・・?」
ずっと疑問に思っていたことだ。自分は何者なのか。どこでどんな暮らしをしてきたのか。
「・・・それは簡単だね。だから、後で“思い出してもらう”よ。」
だが、彼はあっけらかんと答えをはぐらかした。一番知りたい事実なのに。
「でも、それだと君にうまみがないからね。・・・そうだな。まず、俺と君の関係から話そう。端的に言えば、上司と部下の関係。僕の受けた依頼を君が遂行する。」
「・・・依頼・・・?」
「そう。僕たちの所属する組織は世界中に散らばっていてね。何といえばいいのか・・・世界の調律、みたいなことをしている。この世界から外れて、客観的にこの世界を見詰めて、観察し、調査を行い、時には干渉する。それで、この辺りの地域は僕と君とが任されている。お互いまだ就任したばかりだけどね。」
前回の任務が最初だった、と彼は悲しそうにつぶやいた。
「――――君はその任務で、まぁ、いわゆる失敗・・・をしてね。記憶を失ってしまった。三日前、施設があの忌まわしい黒服達に襲われた時には焦ったよ。何せ、次の依頼が決まっていたのに、施設は破壊されるわ、君は行方不明になるわで大変だったからね。」
困った、という表情を浮かべて、彼はグラスを傾けた。
「それで、依頼者に今回の件は引き上げることを伝えようと思ってね。基本的に組織の一員であることを知られてはいけないから、直接会いに行くことは少ない――――さっきの彼女の財布も、実は僕が仕組んだものでね、君と話をするためにちょっと彼女とは席を外してもらった――――でも、せめて一言――――と思って行ってみたら、君が依頼者の家に入っていくじゃないか。驚いたけど、君が記憶を取り戻して、直接依頼を完遂しようとしているのかと思った。それなら好都合、だったんだけど・・・そうじゃないみたいだからね。君に説明しに来たってわけ。君が依頼者と接触している以上、姿を隠して依頼をなかったことにもできないしね。」
そこまで一通り話すと、彼は再度グラスを傾けた。彼のグラスは半分ほどに減っているのに、僕は自分の分に未だに口を付けられないでいる。
組織、依頼、世界――――依頼者。
依頼者、とは、彼女のことなのだろうか。どう見ても普通の女子高生だ。何の依頼をしたのか分からないが、一般人が関わるようなこととは到底思えない。
あんなに、優しい人が。
「君の考えていることは大体想像できるが、彼女は普通なんかじゃないよ。」
「・・・。」
「普通は僕たちの組織に思い至らない。さっきも言ったけど、社会から外れて、客観的にこの世界を見詰めるのが僕たちの仕事だからね。・・・まぁ、その点ではあの黒服も同じなんだが。・・・見詰めた世界で、危険因子を排除するのが僕たちの組織だ。だから、大抵の人間は組織を知ったとしても、まず手を出さない。日常生活には関わらないことだから。でも、今回のケースは違った。彼女の場合は、ね。彼女は、彼女の周囲には異常が溢れていた。そして、成るべくして、彼女も異常になってしまった。」
彼はそうして残りのコーヒーを飲みほした。
「彼女の依頼は、人を殺すことだよ。一番近い人を、ね。」
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