【七月二一日 午後十一時五十分】

ユウマは昨日と同じ場所で同じように体育座わりをしていた。貸していた服は薄汚れていて、顔には血が付いていた。

 私が彼の顔を凝視していると、血が付いていることに今気づいたのか、服の裾で血を拭った。

 「怪我してるじゃない、大丈夫?」

 聞いても答えは返って来ない。彼は無言で立ち上がると、私の家に向かって歩き出す。私は戸惑いながらも、彼の後ろについていく。

 「・・・ごはん・・・。」

 「え?」

 「・・・ご飯おいしかったから、帰ったらまた作って。」

 振り向きもせず彼はそう言うと、すたすたと歩いて行ってしまう。

 どうやら、嫌われてはいないらしい。


 晩御飯はカレーを作った。彼は何も言わなかったが、残さず食べていたから不味くはなかったのだろう。

 お互いにシャワーを浴びて部屋に戻る。昨日も入ったが、よくよく考えれば相手は少年とはいえ男である。自分の危機感の無さに思い至って頭を抱えるのと同時に、自分に女性としての魅力が足りないのかもしれないと、多少落胆した。別に彼に恋愛感情を抱いているわけではないのだから、気にしなくてもよいと思うのだが。

 でも、それなら何故こんなにも彼のことが気にかかるのか。

 一目惚れ、ということはないと思う。今まで恋をした記憶はないが、きっとこの感情は違う。そもそも相手が年下すぎる。年齢を聞いていないので本当はどうか分からないが、見た目はどう見ても小学生高学年程度だ。私にはそういう、幼い男児に恋愛感情を持つ性癖はない。

 彼を見るたびに、何かが引っ掛かる。彼とともに過ごしていると、頭の中に何かがいるかのようにぞわぞわとした感覚がする。彼とは初対面のはずなのに。

 ―――ぽこぽこ、ぽこぽこ・・・。

 ―――本当に彼とは初対面なのだろうか。

 「・・・どうしたの?」

 ユウマの声で我に返る。どうやら階段の途中に突っ立ったまま考え事をしていたらしい。彼が部屋の扉を開けて怪訝そうにこちらを見ている。

 「い、いや。なんでもないわ・・・。そうだ、私、明日から夏休みに入るの。貴方の服を買わないといけないから、一緒に出掛けましょ?」

 考えていたことを悟られないようにそう告げ、私は彼の横を抜けて部屋の中に入る。

 「外に・・・?・・・危なくない?」

 「日中の町中でいきなり襲ってくるような奴なんていないわよ。・・・貴方、さっきまで勝手に外出しておいて、よくそんなこと言えるわね。」

 私がそう言うと、彼は黙って床に座り込んだ。顔を横に背けてこちらを見ないようにしている。私は椅子に座りなおしながら、そんな彼を勝ち誇った気分で眺めた。

 「・・・そういえば、怪我は大丈夫なの?外で何があったの?」

 しばらく不貞腐れたように膝の間に顔を埋めていた彼だったが、私が本当に心配していることが伝わったのか、ぽつりとつぶやいた。

 「・・・襲われた。」

 「え!?襲われたって・・・!」

 「でも、大丈夫。何とかなったから。」

 「・・・何とかって・・・。」

 それ以上を聞く前に、彼は床に敷いた布団に飛び込んで、こちらに背を向け寝てしまった。

 襲われた、というのは昨日言っていた彼のことを追っている人間なのだろうか。そうだとしたらその追手は私の家の近くにまだいるということになるのではないか。

 それはとても危険な状況ではないのだろうか。

 だが、当の本人は危機感を全く感じていないようだ。先ほど布団に入ったばかりだというのに既に寝息をたてている。

 本人が大丈夫というのなら大丈夫なのだろう、とほとんど投げやりになって、私は部屋の電気を消した。

 ふと、隣の日向家の様子が気になり、窓の外を眺める。

 分譲住宅だけあって、家の造りも同じで、たまに見ると自分の家をそっくり見ている奇妙な感覚に陥る。今の時間帯だといつもはどこかしら電気がついているのだが、今日は家中の灯りが消え、夜の闇に沈んでいる。

 (美樹がこの時間に寝るなんて、珍しいわね・・・。)

 彼女のことを思い出そうとして、止めた。今彼女のことを考えると、どうしてもあの表情と言葉が浮かんでしまう。私はすべてを忘れ去るように、ベッドの中に潜り込んだ。

 (・・・何だか、色々あったな・・・。)

 人造人間の噂。ユウマの失踪、そして負傷して帰宅・・・。普段の生活では絶対に考えられない。二日しか経っていないのに、随分と長く過ごしたような気がする。

 実は今はすべて夢の中の出来事なのではないのだろうか。あまりに日常に近しい光景が間近に在りすぎて、夢を現実のものとしてしまっているのではないのか。正常な生活を過ごしていれば、人造人間なんて単語、何度も耳にするはずもない。

 (・・・人造人間・・・か。)

 床に寝転んだ彼を見る。シーツに包まっているが、真っ白な髪と首筋が隙間から見えた。

 普通の人間が、こんなにも真っ白な肌と髪をしているのだろうか。それに、彼を見つけた時、住宅街に近い飲み屋街に、シーツ一枚で蹲っているなんて。

 (・・・普通じゃないわ。)

 「・・・ねぇ、貴方って、人造人間、なの・・・?」

 彼に聞こえるか聞こえないかの小声で呟いた。返答はなく、聞こえてくるのは規則正しい寝息だけだった。

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