【七月二一日 午後七時〇分】

窓の外が暗い。いつの間にか夜になっていたようだ。

時計を見ると、十九時を回っていた。彼女の帰りが遅い。課外活動でもやっているのだろうか。それともどこかに寄り道をしているのだろうか。いつもこんなに帰りが遅いのだろうか。

「・・・おなかすいた・・・。」

よく考えてみれば、ずっと何も食べていない。あの白い建物から出てきてから、不安と恐怖で一杯だったから。

一度空腹を意識してしまうと、我慢が出来なくなってきた。体を起こすと、部屋を出てリビングへと向かう。

リビングはどこにでもあるような造り、としか言いようがないほど平凡なものだった。大きな窓の横に薄型のテレビが置かれ、それに向かうように白いソファが設けられている。その背面には木製のテーブルが据えられ、キッチンはリビング全体が見渡すことができるように流し台の前面に壁がなく、開放的になっている。

リビングの中にはピンク色の家具が見当たらない。あのカーテンは彼女の趣味のようだ。

周りを見渡していると、テーブルの上に一枚の紙が置かれているのに気が付いた。拾い上げて読むと、昼食が冷蔵庫に入っているということが綺麗な字で綴られていた。

メモの通りに冷蔵庫を開けると、サンドウィッチが載せられた皿が中段に置かれていた。僕はそれを掴み、その場で口の中に放り込む。

(・・・おいしい・・・。)

きっと彼女が作ったのだろうが、サンドウィッチという簡単な料理なのに半熟にしたゆで卵を細かくして入れていて手間がかかっているし、味付けも濃すぎずちょうどいい。両親がほとんど家にいないと言っていたから、料理も自分で作っているのだろう。

一人でキッチンに立つ彼女の姿を想像して、もしかしたら自分を家に連れてきたのはそれが理由かもしれない、と勝手に想像した。

サンドウィッチを食べ終え、リビングを後にしようとしたとき、甲高い呼び鈴の音が鳴った。

(帰ってきたのかな・・・。)

そう思い、玄関のカギを外して、扉を開いた。

(あれ、でも家の鍵、持ってるんじゃ・・・。)

おかしいと感じた時にはもう遅かった。扉が強引に引き開けられ、黒い腕が僕の胸ぐらを掴んだ。

「よぉ、久しぶりだな・・・ユウマ。」

 僕はそのまま外に引きずり出され、地面に思い切りたたきつけられる。顔を地面にぶつけて、鈍痛が走る。

 どうして、どうしてここに。

「何で俺がここにいるのか分からないって顔をしているな。お前、自分がどれだけ目立つが意見してるか自覚してないだろ。周りに聞いたらすぐにこの家に入ったってことが分かったよ。」

 痛みで僕は地面に蹲っていたが、髪の毛を掴まれ、無理矢理男の顔の位置まで持ち上げられる。

 男のマスクが間近にある。男の荒い呼吸が聞こえた。

 この男は、どうして僕を付け回してくるのだろう。僕は放っておいてほしいのに。

 この人は誰で、僕はなんなのだ。

 「・・・どうして、こんなこと・・・。」

 「どうして、だと。お前、お前が俺の・・・」

 僕がわけもわからずに男のマスクを見詰めていると、男は観察するように睨み返してくる。

 「まさかおまえ、本当に分かってないのか・・・?」

 「・・・?何が・・・。」

 どういうことだよ、と男は舌打ちをする。しばらく額に手をついて俯いていたが、やがてゆっくりと顔を上げた。

 「・・・まぁ良い。とにかくこの場所じゃ人目に付く。おい、こいつを車の中に連れてけ。」

 男がそう声を掛けると、後ろにいた同じく黒い戦闘服の二人が、僕に近づいてくる。

 「っ!」

 首元に何かを刺され、手足を縛られる。

 「暴れられると厄介だからな。しばらく麻酔で体が動けないようにさせてもらう。」

 服を掴まれ、道路に停められていた車の中に押し込められる。男の言うように、徐々に手足が痺れ始め、体が思い通りに動かせなくなってきた。意識も朦朧として、周囲が判然としなくなる。

 「行け。」

 男の声と同時に車が発進する。車体が揺れる振動に合わせるかのように、視界がどんどん狭まっていく。

 そして、完全な暗闇に包まれた。

 

 激しい衝撃で、失っていた意識が覚醒した。

 目を開けるが、靄がかかったように視界がぼやけている。

 車が止まっている。隣にいた男たちが車のドアを開けて外に出たようだが、その音もくぐもって聞こえる。

 (どうしたんだろう・・・。)

 男たちが出ていき、車内が静かになる。時折外で何か破裂音のようなものが聞こえるが、視力も聴力もうまく機能せず、状況が把握できない。

 しばらくくぐもった音が聞こえていたが、いきなり静かになった。戦闘服の男たちが戻ってくるかと思ったが、いつまで経っても車のドアが開く気配がない。

 状況を何とか確認しようとしたが、全身の痺れと手足の枷で身動きが取れない。

 しばらく身を捩っていると、車のドアが人が入ってきた気配を感じる。黒くぼんやりとしたその人影は、僕の顔を覗き込む。

 「―――、――――――。」

 人影は何か話しかけてきたが、まだうまく聞き取れない。何も言えずに見詰めていると、影は僕を抱え上げ、車外へと連れ出す。

 車の外は真っ暗だった。灯りは一つもなく、街の中ではないようだ。土の上なのか、度々泥を踏んだような音がする。

 (・・・どこに向かっているんだろう・・・。)

 人影に問おうと口を開けるが、下がうまく回らない。

 「――よ。む―――く――。」

 僕の発した言葉に応えてくれる。徐々に痺れもとれてきているようで、少しずつ耳が聞こえ始める。

 視界の隅にぽつぽつと灯りが映り始める。視界も回復してきたようで、建物の輪郭が分かるようになってきた。

 「さぁ、ここ―――れば、もう―――だ。」

 ゆっくりと体が降ろされる。僕の手足の枷を外すと、人影は立ち上がった。

 「じゃあ、また後で。・・・健闘を祈るよ。」

 ようやく五感が回復してきた。今のは誰なのか確認しようとするが、既に周囲には誰もいなかった。

 (・・・男の声、だった・・・。)

 しかも、聞き覚えのある声。一体誰なのだろう。

 戦闘服の男たちはどうしたのだろう。

 (全く、次から次へと・・・。)

 分からないことばかりが増えていく。戦闘服の男たちに追われて逃げていた時と同じように、疑問が頭の中を渦巻いている。

 「・・・見つけた・・・!」

 思考の渦の中に埋もれていると、聞き覚えのある声が頭上で聞こえた。

 ゆっくりと顔を上げると、昨日と同じように彼女がこちらを見下ろしていた。

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