【七月二〇日 午後七時○○分】
それが、僕と彼女の出会いだった。
太陽はすでに沈んでおり、辺りは薄闇に包まれていた。何とかあの黒服たちに見つからずに住宅街を通ってきたのだが、歩き通しだった身体には疲労がたまっていた。
少し休むつもりが、不用心にも眠ってしまったらしい。
驚いて目を覚まし、周囲を見渡すと、眼前に心配そうな顔つきの女性がいた。
「貴方は・・・誰?」
突拍子もなく問いかけられる。僕は彼女を見つめる。
高校生だろうか。夏用のセーラー服を着て、手には通学カバンを持っている。風が吹くと肩のあたりでそろえた髪がさらさらと揺れた。
(追手・・・ではなさそう・・・。)
まだ幼さの残るその顔は、どう見ても先ほどの黒服たちの仲間とは思えなかった。僕は緊張を解き、自らの名を名乗る。
僕が声を発すると、眼を見開いて興味津々といった表情を作り、矢継ぎ早にさまざまな質問を投げ掛けてきた。
「どうしてこんなところで寝ていたの?シーツの下、もしかして裸?どこから来たの?貴女、何者?」
どの質問から答えればいいのか、僕が戸惑っていると、彼女は爛々と輝いた瞳を引っ込めて、優しい表情になる。
「・・・とりあえず、家に来る?」
飲み屋が立ち並ぶ通りを抜け、しばらく住宅街を進むと、彼女の家に辿り着いた。分譲住宅なのか、周辺の家はどれも似たような姿をしていたが、特に彼女の家と隣家とは全くと言っていいほど同一であった。庭に咲いている花や低木、駐車スペースにある自動車、玄関先にある置物に至るまで同じものが置かれている。
「隣の家族と私の家族はすごく仲が良くて、なんでも一緒にしたがるのよ。傍から見たらちょっとおかしいわよね。・・・さぁ、入って。家族は今仕事中でいないから、気にしないでいいわ。」
家の中は真っ暗で、誰もいないことは確かなようだった。彼女は僕についてくるように促すと、廊下の先にある階段を上っていく。
「この部屋に男子を招くことになるとは思ってもいなかったわ。」
薄いピンクの水玉模様をしたカーテンが窓に掛けられている。勉強机の横には小さな本棚が置かれ、中には教科書や参考書、小説などが入っている。大きな鏡と鏡台が並んで配置され、部屋の隅には大きな洋服ダンスが佇んでいる。
その洋服ダンスの中を漁り、彼女はスウェットとパーカーを投げて寄越した。
「それに着替えておいて。裸じゃ私が落ち着かないし。私も着替えてくるから、着替え終わったらその辺に座ってていいわよ。」
そう言い残すと、彼女は部屋を出て行った。僕はしばらく呆然と立っていたが、おずおずと着替えを始める。
(・・・見知らぬ人間を部屋に一人にさせるなんて、不用心・・・じゃないか?)
そもそも誰もいない家に二人きりになること自体、無防備ではないだろうか。しかも、こちらは男で向こうは女性だ。身の危険は感じないのか。
悶々と考え込み、そしてそういった常識的な感性が自分の中にあることに気付いた。
黒服たちに追いかけられていた時の恐怖や今の感情を引き起こすだけの常識的な知識や感性を自分は忘れていないらしい。何もかもを忘れてしまったわけではないようだ。
過去の自分のことを忘れている。何を見て、何を聞いて、何を知っていたのか。何も思い出せない。
「着替え終わった?」
扉をたたく音と同時に、彼女の声がする。
「う、うん。」
思案にふけっていた僕は驚いて声が裏返ってしまった。彼女はクスクスと笑いながら部屋に入ってくる。
彼女は薄い黄色で統一されたパジャマに着替えていた。夏用の薄い生地で、短めのショートパンツになっているそれを見ないように、僕は目を逸らした。
「じゃあ、さっきの続きをしようか。・・・貴方は、何者なの?」
会ったばかりの人間を捕まえて、貴方何者とは随分な言い様である。まぁ、それにひょいひょいとついてきた自分も自分だが。
「・・・僕は君の名前すら聞いてない。」
相変わらず彼女の方を見れないまま、不貞腐れたように僕がそう呟くと、彼女は顎に手を当てて微笑を作った。
「確かにその通りね、謝るわ。・・・私の名前は―――――」
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