32話 何だったんだで済まされる世界 後編
ドロテアにとって世界は狭かった。
バクという動物に生まれ、群れを知らずに生きてきた。
何か、違う。バクであったときはそんな程度の違和感であった。バクであるがゆえに深く考えられずに、違和感を違和感だと確信させてくれる知識もなく、ただただ何か違うという違和感のようなものを感じながら生きてきた。
もしもバクでなかったら……。
もしももっと強大な力を持つ存在だったら……。
もしも生物すべてを統治する立場であったら……。
個であり、他を知らぬくせに他を従えようとする。
親はすでにおらず、番はできず、子は当然いない。
仲間がいないことに対しての危機感も焦燥感もなかった。
寂しいという気持ちも悲しいという気持ちもなかった。
そもそもで仲間がいたところで……という気持ちの方が強かった。
『仲間』はいらない。
いるのは『下僕』のみ。
従う者は生かし、抗う者は殺す。
そんなシンプルな世界であって欲しかった。
誰に教わったわけでもなく、生まれていつの間にか脳の片隅から段々と隅々までを侵食していった女王としての考え方は圧政そのものであった。
バクでありながらバクでは到底辿り着かないような思想を持つドロテアであったが、バクであったがゆえにその思考はそれ止まりであった。
思考はあっても実行はしない。できるだけの力がない。
それが数週間前のドロテアであった。
「何だ、意外と世界を支配するというのは退屈なものだのう」
ドロテアの能力である『
生物であれば必ず睡眠を取らなければならず、感情を持つならば夢を見る。
嬉しい夢も悲しい夢も興奮する夢も退屈な夢も等しくただの夢である。夢に価値はなく意味もない。
その価値も意味もない夢の世界をドロテアは自由に支配することができた。
有用なものだけを残し邪魔なものは排除する。
従う者は残し抗う者は排除する。
「退屈じゃ。何という退屈な世界じゃ」
しかしして、ドロテアの夢の世界でドロテアに従わない者はいなかった。
なぜならそれはドロテアの夢。ドロテアの思うがままに世界が廻っているからこそ、ドロテアに抗う者は出てこなかった。
世界を支配しても何て退屈なのだろう。
こんなにもつまらないものだったのか。
しかし壊すのももったいない。
もはや現実の世界で行われている闘いとはなんら関係のないことで悩んでいたドロテアであったが、闘いが始まって数日が経ったころに気が付いた。
「抗う者がいなければ連れて来ればいい。連れてきたうえで排除すればいい」
排除するために邪魔な者を連れてくる。矛盾しているようであるが、ドロテアの、女王の退屈凌ぎであるこの考えは残念ながら実行するだけの力を今度はドロテアは持っていた。
夢の世界は繋がる。
ユング曰く『「無意識」は、すべての人が共有している』。
そして、『「無意識」からのメッセージが「夢」である』。
「夢」もまた繋がっており、その繋がりをドロテアは自在に連結と断裂を繰り返していった。
死にそうになる動物達を自分の世界に導き、飼い殺す。
動物達の能力を解析し夢の世界での下僕達に同様の能力を持たせる。
現実世界で動物達が死ねば死ぬだけドロテアの世界は強化される。
「フハハ。これよ。妾の世界はこれを待ち望んでおったのじゃ」
夢の世界であれば自分は無敵であり、女王として君臨し続けられる。
そう、ドロテアは思い続けていた。
ただのバクであった時の思想はこうして夢の世界限定で実現した。
死にゆく中でドロテアに夢の世界へと連れられてドロテアに抗う者は数多くいる。というか、全ての動物達が抗った。
そして、今回連れてきた人間もそうであった。
ドロテアの相棒もとい下僕であるキリンの風来坊を使い、現実での肉体を殺し精神はドロテアの世界で飼殺すつもりであった。闘いを好む実力者である風来坊と組めたのはドロテアにとって僥倖であり、当然のようにも思えていた。使えぬ下僕が自分に仕えるわけがない。選ばれし下僕こそが自分のところに来るは当たり前である、と。
案の定、使える下僕は速やかに1人の動物をドロテアの世界へと招き入れる下ごしらえをした。
それは、今までとは雰囲気も思考も違う、それどころか人間というなぜこんなところにいるのか、と目を疑うような男であった。
様子見とばかりに全身に虫を這わせても動じない人間に興味が沸き、少し話をしてみた。
何とも面白そうな者であり、また少し退屈になりかけたこの世界に彩を与えてくれるのではないか。
そう期待してドロテアは下僕達を差し向けた。
いずれも能力を付与した騎士達。
それと同数のオリジナルの能力を持つ動物達。
夢の世界の騎士と死体から精神を引っこ抜かれた死兵の群れを相手に恩無はただメスと鉗子を振るうのみであった。
その結果、
「つまらん……実につまらぬ」
「いやはや……やはり私はただの研究者でしたね」
騎士を1人として倒せず……否、相手にすら出来ずに捕縛されていた。
「ほう、闘う者ではないと申すか。闘う力がないから勝てない。なら貴様は何ができる?」
ドロテアの能力の副効果とも言える脳から情報を読み取る力も、元が動物であり情報量が少ない他の動物達と違い、20数年も人間として生きてきた恩無の膨大な情報は小指の欠片程度しか読み取れなかった。
しかも恩無は科学者である。研究によって得た知識を加えればドロテアの許容量を超える程の情報量となる。
つまり、ドロテアは恩無の名前と人間であるということ以外はほとんど何も知らなかった。先ほど発動したと思わしき能力すらも。
「能力はハリボテか? 発動に条件があるのか? 遅効するのか? すでに発動されておるが妾の世界によって無効化されておるのか? どうじゃ、言ってみい」
「能力……ああ、あんなの途中で発動するのを止めてしまいましたよ。だって発動したら終わっちゃうじゃないですか……それは非常につまらない」
「ほう?」
ドロテアの世界はドロテア以外には干渉できる者はいない。ドロテアが壊せないと思えば木の枝すらどんな怪力無双の能力を持つ動物にだって壊せない。ドロテアが溺れると思えば水中で活動できる動物であっても水中では溺れる。
努力も能力も全て無駄に帰する類の世界なのだ。
「貴様との会話、つまらぬものではなかったぞ。褒美じゃ、受け取れい」
縄で縛られた恩無の周りの景色が変化する。
騎士は消え、動物は消え、城は消え、蝶も花も雲も何もかもが消え、ドロテアの姿も消える。
新たに現れたのはどこかの屋敷。
恩無の記憶から読み取ったものなのだろうか。しかし、見覚えはない。
どこで見たのか、これが意味するものは何か。分からない。
「魔王と恐れられた男を殺した怨嗟の炎じゃ。終わらせられるならば終わらせてみせよ。貴様の命が終わるよりも先にな」
屋敷全てが燃え、黒き煙が上がる。
かつてこの炎によって死んだ男の怨嗟を表したかのような炎は屋敷全てを飲み込んだ。
「ふむ……死んだかの」
屋敷の外で崩れ落ちる屋敷を見てドロテアは呟く。
「(結局は口だけの男であったか。命乞いすらせずに死んでいったが、せめて能力だけでも知りたかったの。まあ良い、どうせ屑にも等しき力だったのじゃろう)」
ドロテアがくるりと屋敷に背を向け、次の死にかけの獲物を探そうかと思ったとき、
「いやいや、死んだかどうか。自分の目で確かめなくてどうするんですか。科学者としてやっていくなら……いや、女王としても敵対する者の死は確認すべきことでは?」
そう言う恩無は白衣こそ煤で汚れているものの、外傷も火傷も1つもなかった。
「……ならば」
世界が再び変わっていく。
西洋の街並み。レンガづくりの家が並ぶ中、人々が口々に罵詈雑言の嵐を発していた。
その中心で、恩無の手と足はいつの間にか縄で縛られており十字架に張り付けられる。
そして、ドロテアの下僕の1人によって足元に点火された。
「これは聖女を魔女として焼き殺した絶望の炎ぞ! どんな能力で生き永らえたかは知らぬ。だが、貴様の言う通り、これならば貴様の死を見れる」
足元の火は徐々に昇っていき、足を焼き身体を焼こうとしていき、全身を焼き始める。
「(先ほどの脱出劇。妾の炎は耐えることのできない特性。ならば転位系か?)」
そう思ったからこそ恩無の手足を縛る縄は決して抜け出せないようにとドロテアが念じていた。
移動は出来ない。炎に耐えることも出来ない。
「勝ったな……」
ドロテアが呟いた瞬間であった。
「だから、駄目ですって。ちゃんと私の死を確認するまでは安易な判断をしてはいけませんよ」
そう声が聞こえたのだ……燃え盛る炎の中から。
「知っていますか? 炎で死ぬ人って焼死よりも火によって酸素が無くなって呼吸が出来なくなって死ぬ人が多いそうなんですよ。つまり、すぐには死なない」
いつの間にか恩無の両手にメスが握られていた。
恩無は手首を返すと縄を切る。縄はドロテアの支配する世界の特別性であるにも関わらず何の抵抗も示さずに切れていく。
「そろそろ解剖と解析も終わりました。では、改造に入りましょうか」
恩無はメスを地面に突き立てた。
たったそれだけのことで世界が崩壊し始める。
レンガは崩れ、人々は消え去り、ドロテアを残し誰もいなくなる。
「何を……した!?」
ドロテアは瞬時に騎士を新たに作り直し、あらん限りの、思いつく限りの能力を付与していく。
「何って、改造ですよ。もちろん、改良ではなく改悪ですけどね」
地面に差し込んだメスを捻じる。それだけで騎士は1人残らず消え去った。
「私の能力、『
人類は人体実験を重ねるうちに科学を発達させてきた。
医学しかり、武器しかり、乗物しかり……科学の産物は全て人体実験の賜物である。
解剖をすることで人体の構造を把握した。
弾丸をばら撒くことで銃の威力を試した。
幾度も運転を繰り返し安全性を確立してきた。
戦争が起きれば発展は著しく、特に医療と兵器は目覚ましい発展を遂げた。
原爆のために原子力が生まれ、
ミサイルの弾道計算のためにコンピュータは進歩し、
レーダー開発の途中で電子レンジが作られ……
いくつもの副産物として今の生活を成り立たせているものの多くが戦争によって生み出された。
すなわち、人類史において解析解剖改良改悪は必然的行為であり、必要的行為であったのだ。
そして恩無の、人類であり科学者である能力は当然のごとく解析解剖改良改悪に由来する。
相手の能力を解析する――多少の時間はかかるが、それだけ詳細なデータが手に入る。
相手の能力を解剖する――解析と同じく時間はかかるが、原理を知ることができる。
相手の能力を改良する――ハティの能力を昼間でも使えるように改良するなど、味方に使うことができる。
相手の能力を改悪する――これは今やっていることだ。
能力に干渉する能力。火を無効化し、縄を切り裂くのも容易いことであった。さらにメスは能力による恩恵であるためどこからでも取り出せる。
「なるほどなるほど。睡眠時だけに使える能力ではなく、現実で意識を失ったことをトリガーとして発動する能力ですか。夢の世界を創造し他の夢との橋渡しもできる。夢を操る能力が他に無ければ無敵に近いでしょう。まああくまで無敵に近いだけで、私のような能力ならば容易く破ることができる」
鉗子を地面に差し込み、引き抜くとそこにはドロテアの下僕であったはずの騎士が幾人も挟まれている。
「それは妾の……」
「いいえ。違います。これは私が夢の世界でつくりだした騎士。あなたのではないのですよ」
「何じゃと……?」
「私の能力はあなたの能力を改悪することができる。夢の世界をあなた1人のものではなく、住人全てのものへと変えました。すなわち、あなたは女王ではなくなり、私はあなたと同様にこの夢を操ることができるようになったのです!」
「そんな馬鹿な……!?」
「まあこれはあなたの能力が『夢の世界で全ての住人が好き勝手に想像し創造できる』というものになったから私も夢を操れるだけで、あなたがいなければ使えませんけどね」
「しかし……妾が夢を支配できるのは今も同じこと! ならば、来たれ、大いなる水よ! 災いの火よ!」
ドロテアの背後から水が押し寄せる。津波のごとく高く上がった水は途中にあるもの全てを飲み込んでいく。
恩無の背後からは先ほど恩無を焼き殺そうとしたのとは比べ物にならないほどの大火。火が通ったあとは何も残らず、焼け地となる。
しかし、そのような災害を目にしても恩無は全く動じない。
「ふむ、確かに私も、あなたにもこの世界は操れます。同様に、平等に世界の支配権は私達に与えられたのですから。しかし、これはいけない。水も火も想像力が足りていません。まあ私が実際に見たような景色を再現するのがあなたの精一杯なんでしょうがね……まだまだですよ」
科学者の想像力を舐めないで頂きたい。
恩無は呟く。
「大いなる水? 海を前にすればあのようなものは水滴に等しい。災いの火? かつて起きた戦争の大火はこんなものではなかった」
すぐさま恩無によって作られた海から噴き上がった津波がドロテアの火を飲み込み、爆撃によってできた灼熱の火がドロテアの水を蒸発しきった。
「この世界において、あなたに出来ることはありませんよ? 全てが私の記憶を基にしたというのなら私よりも優れたものは出来上がらない。あなた自身の成果はここにない」
「……ならば、出て来い! 我が従僕よ」
ドロテアが下僕を呼び出す。
先ほどあっけなく消された騎士ではない。
れっきとした実在した精神。かつて生きていた動物達である。
「もっとも意識はとうに無いのじゃがな。しかし、これらはこの世界で作られたものではない。貴様の想像力とやらで打ち消せるものではないぞ!」
動物達が恩無へと迫る。
全てが何かしらの能力を持っている。
怪力や俊足、果ては条件を満たすと驚異的なものになる能力まで。
「……まだ分かってませんでしたか」
しかし、動物達を目の前にしても恩無はため息をついた。
かつてドラミングによって怪力という概念すら超えた筋肉の化け物。
その拳を鉗子1つで止め、メスで切り裂くだけでまるで嘘であるかのように化け物は消えていく。
かつて暗闇を敵と共有しようとするはぐれ者がいた。
しかし、暗闇であってもなお正確に振るわれたメスははぐれ者を世界からすらも排除した。
かつて愛情を強いる自己陶酔者がいた。
しかし、愛情を知っていてもなお家族にすらメスを振りかねない男は何の躊躇いもなく自己陶酔者を他と見分けが付かないほどに細切れにした。
かつて……かつてかつてかつてかつてかつて……紙一重で散っていった強者も容易く終わった弱者もみな等しく恩無によって夢の世界から解放されていく。
「そもそも能力が発現したのは我々の実験によって感情を表に出したからです。私の記憶を読み取ったのであれば知っているはずなのですが……もしかして理解できませんでしたかね? ともかく、感情があるからこそ有用に働く能力も、意識を操り感情を消してしまえば能力は半減以下も良いところですよ。全く、相手になりませんね」
さて、と恩無はドロテアに向けてメスを向ける。
「終わりにしましょうか。この世界も楽しかったですが、肉体に戻って他の動物も見たいですからね」
メスの先端が光り出す。
それだけでドロテアは己に何かしらの毒のようなものが回っていると実感する。
「……もし、妾に従うのであれば生かしてやろう。この世界で自由に行動できる権利をやろう。どうじゃ?」
「嫌ですね。だってこの世界で知らないことは無いのですから。もう用済みですよ」
メスがドロテアの胸深くに差し込まれた。
と、同時にドロテアの姿が変わっていく。
「や、止めろ止めろ止めろ! 不敬じゃぞ! 妾の姿を、姿を暴くでな……い……」
ボロボロと化粧が剥がれ落ちるかのようにして見る見るうちにドロテアの美貌と若さが失われていく。
「や……め、ろ」
恩無がメスをぐっと奥に差し込むとドロテアの肉体は弾け飛んだ。
「これで精神を殺したことになるんですかね? いやはや、こういった能力で助かりましたよ。肉体強化系の能力でしたら一瞬で決着が着いてしまいますからね。そういう意味ではハティさんの存在は非常に有難い」
恩無は自分の胸にもメスを入れていく。
自分の精神を殺すためではない。現実へと帰るために。
「さて、近くにあると良いんですけどね……ドロテアさんの死体が。献体は必要です。能力とは別に」
そうして恩無の肉体も弾け飛んだのであった。
現実へと帰還した恩無を待ち受けていたのは顔を真っ青に染めたハティであった。
どうやら恩無は気絶中に幾度も体温が上がり、下がりを繰り返し、傷をいくつも作っていたようだ。
思い込みは身体にも影響する。催眠時に冷たい鉄棒を熱した鉄棒として触れさせれば火傷するように、夢の世界での傷は現実の肉体にも現れていたようだ。
「お騒がせしました。全て大丈夫ですよ。こうして傷薬もありますしね。それでハティさん、そのご自慢の嗅覚で1つ、探して頂きたいものが……」
数分後、恩無とハティが見つけたのは1人の醜き老婆の死体であった。
恐怖と苦痛に染まった顔は見ているだけで夢に出てきそうだ。
夢……ドロテアの死体であった。
「さて、では開始しましょう。解剖解析改良改悪を」
女王となる思想を持ち続けて30年。バクという短き人生はそこまでであったのだ。あるいは亀のような寿命があれば、あるいはライオンのような威風堂々とした姿やパンダのような愛らしさ、ネコのような美しさがあれば歪まなかったのかもしれない。
夢の世界でのドロテアの美貌こそがドロテアの真なる願望だったのかもしれない
アニマルコロシケーション そらからり @sorakarari
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