27話 月を見上げる狼 前編
オオカミであるハティは協調性を大事としていた。群れで暮らすことを常としているオオカミにとって群れに害なす存在は排除すべきものであった。そのため仲間を傷つける外敵だけでなく、裏切りや和を乱す狂乱者には容赦という言葉を知らないかのように攻撃した。群れであることを大切にし、群れ自体を守っていたハティにとって2週目で新たに加わった条件はむしろ歓迎すべきことであった。
……そう、歓迎すべきことであったのだ、相手が決まるまでは。
「いやー、1週目は何だかんだでどの動物もじっくりと見ることができませんでしたからね! あなたは見たところハイイロオオカミでしょうか? いやはや、こうしてじっくりゆっくり見られるのは良い! 錺部長には感謝しなければ!」
ハティの正面にいる男は天に向け仰いでいる。
それを見てハティはため息をつきながら心中で己の不幸さとこれからのことを悩む。
「(ペアってのは良かったが……。足手まといならまだいい。だが、意図して足を引っ張るようなら……置いていこう)」
オオカミの狩りは通常ペアで行う。そのため2匹での狩りはハティにとって、全員が敵であると思われていたこの闘いの場では喉から手が出るほど望んでいた状況であった。しかし、相手が狂人であっては満足な狩りも闘いもできない。つまるところ、望むべくした状況は一転して、逃げ出したい状況となってしまっていた。
それでもハティはまだこの相方のことを見極め切ったわけではない。いざ闘いになれば頼りになるのかもしれない。
「あ、先に言っておきますが、私闘えませんので」
頼りにはならないようだ。
心の中で頭を抱えながら、ハティはいくつかの選択肢を思い浮かべる。
「(1.それでも共闘する。2.ここで別れる。3.殺す。……いや、3は出来ないんだっけか)」
ルール上、ペアを殺すことはできない。そのため1もしくは2のどちらかになるのだが……
「(群れにおいて弱者がいるのは必然。子供や年寄りは守るべき対象だ。……認めたくはないが、こいつもそうだと認識しておこう)」
ハティは新たな選択肢、4.守りながら闘うことを選んだ。
「(我ながら甘いがな。……まあそもそもで俺自身がそこまで闘うことを好きじゃないってのもあるんだろう)。おい、お前が期待しているよりは俺も闘えないからな。俺は理由なき闘争が嫌いだ。生きるために闘う、食べるために闘う、群れを守るために闘う。だが、ただ命を奪うために闘うことはできない。つまり、ここで俺に積極的な闘いは期待するな」
命を奪い、その命を食べるならまだいい。
しかし、命を奪ってそのままというのはハティにはどうしても出来ないことであった。
「私も連戦などされては体力が続かないですからね。実験とは常に条件を等しくしなければならない。私が万全の状態で挑んでこそ観測も観察も万全に出来るというものです。ならばこそ、消極的に闘いに挑むことにしましょうか!」
「まあ、それでいいか。これから1週間だか2週間だかそれとも最後までなんだか知らないが、俺は1週目と同じくそこらをぶらつくだけだ。そういや、アンタは何の動物なんだ? 俺はアンタがさっき言っていた通り、ハイイロオオカミだ。名前はハティ。能力はしょうもない、役に立ちそうにないものだ」
ハティの能力、『
しかしながら、闘いが行える時間は決まっている。そもそもで夜行性の動物よりも日中活動する者の方が多い。視野が狭まる夜は隠れ潜み夜が明けるのを待つ者ばかりだ。ハイイロオオカミも夜行性であったが、ハティはその逆、群れを守るためにあえて日中に活動するようにしていた。
夜行性から外れた今のハティに夜の闘いはできない。しかし、ハイイロオオカミとしての能力は月下での闘いを求めていた。月下、つまり月が輝く夜にのみ真価を発揮する能力は日中においては無力に等しかった。
完全には信用していない。しかし、月があれば闘えると簡単な説明を目の前に男にすると、
「ふむ……私も夜の闘いは困りますね。分かりました、ではこうしましょう」
男――白く薄い上着を着た男――はポケットから小さいナイフのようなものを取り出すと、
「私の能力が役に立ちそうです。このように使うのは初めてですが、まあ何とかなるでしょう……。『
武器を目の前にしてハティは警戒を見せるが、構わず男は能力を使う。
小さいナイフが光り、その光がハティへと移っていく。
「言い忘れましたが、私の名は恩無仇人です。種族は人間です。どうぞよろしく」
「はあ!?」
警戒心が殺意へと変わろうとする中、ハティの身体が光り出した。
「能力は――」
「認めたわけじゃない。それに、アンタが人間だってことも許したわけじゃない」
ハティは恩無が人間と知ってなお行動を共にしていた。
それは恩無の能力が有用であるから……ではない。一度仲間として認めたからにはそれがこの闘いの原因となった憎き人間であってもそれはそれとして、と考えているからだ。
そもそもで恩無とてこの闘いの参加者。巻き込まれた側には違いない。ならば恩無も人間が憎いはず。
そう、勝手に恩無の心中を察するとハティは恩無と共に歩き出した。
「ええ、ええ。どのみち私には闘う術がありません。闘うのはハティさん、あなたです。私は闘いを目撃したいだけ。お邪魔はいたしません。余裕があれば守っていただければ幸いですがね」
「守りはするさ。だが、敵が2匹であることを忘れるなよ。1匹ならどうとでもなる……アンタのおかげで闘えるようにはなったからな。だが、2匹で来られたら……せいぜい逃げてくれ。最悪俺が2匹を相手にする状況になったとしてもだ」
「ふむ、逃げる。そんなことはしませんよ」
「ほう」
少しハティは恩無を見直した。だが、逃げない、つまりその場に残るならば下手をすれば邪魔になるだけだ。人質とされてもハティとしては構わないが、余計な異物が闘いの場にいても何の益にもならない。
見直してもなお、戦力にならない恩無のことをハティは期待していなかった。
「逃げないでそこらに隠れます。なんせ逃げてしまっては闘いを見れないでしょう?」
「ああ、そうかい……」
やはり変わっている。ハティは相方をいまいち掴みきれておらず、距離感を測り切れていなかった。
「そういえば、ハティさんは出身は何処なのですか?」
「それはこの動物園だろ。他は知らないが、ここにいる……いや、いたオオカミたちは皆ここで生まれた。今は何処かへと行ってしまったがな」
動物達の多くは1つの種につき1匹あるいは2匹を残して他の動物園へと引き取られて行ってしまった。
それはこの大実験が原因ではない。園長が金策のために泣く泣く売り払い、餌代を浮かせようとした結果であった。
全部で8匹いたハティの群れも全ていなくなってしまい、それからハティはしばらく孤独であった。
群れであるオオカミのハティは期せずして一匹狼となってしまった。だが、群れから突如はぐれることは想定内に寂しく虚しいものであった。
だからこそ、ハティは恩無を受け入れたのかもしれない。
これ以上の孤独を避けるために。
「そうですかー。ところで――っ!?」
隣を歩いていた恩無がハティを突き飛ばした。
見た目以上に力があったようで、ハティは横に膝を付く形となってしまった。
「いってえな……なにしやが……んだ?」
突き飛ばされる前のハティのいた場所、それと恩無のいた場所は黄色い何かで覆いつくされていた。そしてその下には血が流れていた。
「お、おいアンタ! 恩無、大丈夫か!?」
慌てて起き上がるも、その正体不明の何かに迂闊に触ることを躊躇う。
慎重にいけ、守ると決めたのなら最後までやり遂げろ。
そう自分に言い聞かせ黄色い物体を観察する。
「……」
黄色だ。しかし、黄に混じって黒い水玉のようなものがある。
「……この色、そして模様ってことは」
心当たりは1つだけ。
ハティは物体が伸びる先、背後を振り向いた。
「ふむ、命中したのは1匹だけか。拙者の攻撃に気づくとは、警戒心の強いことだ」
背後には全身が黄色く染まった男がいた。……いや、目を凝らしてみると黄色い服を着た男であった。ハティが目を凝らさないとよく見えない、そのくらいの距離に敵はいた。
右手を前に出し、そこから伸ばされた右腕は次第に太くなり長くなりこちらへと来ていたというわけだ。
「そ、それよりも! 恩無、返事をしろ!」
「はーい」
ハティが叫び恩無を呼ぶと返事があった。
気の抜けたような声は黄色い敵の巨大な腕の下から聞こえてきていた。
「下か! 今助けるからな」
黄色い腕の下から出てきた恩無の腕を引っ張りだす。
擦りむいたのか、それとも腕自体に傷をつけるような何かがあったのか……それくらいの血が恩無の額から流れていた。
「おい、額から……」
「うん? ああ、このくらいなら大丈夫ですよ。ほら、私科学者ですので……ってのは言ってなかったかな。まあ、人体の構造くらいなら熟知してますのでどこを切ればダメージが少なく派手に出血するかは分かるんですよ。今のは死んだと思わせるためにわざと額を擦ったんですけど……まあ無駄でしたけねえ」
黄色い男を見るとその場から動かず、巨大な腕を戻さずその場に佇んでいた。
「とりあえず私は少し距離を置きますので、どうぞ闘ってみてくださいな」
「しかし、理由が……」
闘う理由なし。ハティには殺す理由がなければ闘う理由もない。
「ふうむ……ならば群れの1匹が傷つけられたとでも思っていてください。それでは!」
額にどこからか取り出した絆創膏を張り付けると恩無はどこかへと消え去ってしまった。
「群れのためか……まあ守るためだろうな。俺がここで死ねば恩無は相方無しで1ヶ月を生きなきゃならねえ。それは余りにも俺が怠慢すぎるってことだ」
殺す理由も闘う理由もなかったが守る理由ならばできた。
ハティはこの時初めて前向きに闘いの場に参加した。
「待っててもらって済まねえな。もう大丈夫だ」
黄色い男が近づいてくる。それに伴って腕は小さくなりもとの大きさへと戻っていく。
「なに、1対1での闘いの方が拙者にとっても良かったというだけだ。会話から察するに貴殿しか闘えないのであろう? 共闘されるよりは遥かにマシというものだ」
「なるほどな、よほど臆病と見える」
「……何だと?」
ハティは挑発する。怒りは冷静さを失わせ、慎重さをなくさせる。闘いにおいて冷静さを欠いた者は死に近くなる。
「最初は不意打ち。それで次は1人になるのを待ってたってわけか。どう考えても敵が2人だと怖いですってことだろ? ……俺と同じ臆病者だ」
「殺す。殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す! 拙者はキリンの風来坊。いざ行かん、『
黄色い男――風来坊の右腕が巨大化し伸ばされる。
「いいぜ、守るための力、見せてやるよ」
風来坊の言葉を受け、ハティは駆け出した。
「さて、ここらで観戦させてもらいますかね。やはり生で見ると迫力がある」
近くの建物の陰に隠れると、恩無はそこに座り込んだ。
額の出血はすでに止まりかけている。科学者として持ち込んだ様々な器具はどれも汎用品ではなく特注である。それは絆創膏1つとっても例外ではない。
「うーん、少し離れ過ぎましたかね。もう少し詳しく見たい……あれっ?」
先ほどの額からの出血は恩無の言う通り、血こそ派手に流れたが傷そのものは浅かった。それは科学者として、解剖を趣味とする者としては当然であったが、それでも不完全だったことがあった。
それは恩無は科学者であって戦士ではないこと。
傷こそ浅いが、避け方は攻撃を無効化するには十分ではなかった。
額を擦った際に頭部は揺らされていた。鍛え上げられた戦士であればこの程度何でもなかったかもしれないが、恩無にとっては致命的でなくとも気絶程度には十分だった。
「見たかったんですけどね……」
つまりは脳震盪。こうして恩無の意識は失われていった。
しかし、恩無は運が悪いのか良いのかまだ終わらない。
この気絶をきっかけにしてある動物が能力を発動させたのだから。
「――
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