23話 生えし産む者達 前編

 チンパンジーであるエノスは妊娠していた。

 およそ実験開始の7か月前、彼女の妊娠が発覚しつい一週間前までは丁重に扱われていた。何時産まれてもおかしくないのだ。少しの衝撃が流産に繋がりかねない。

 そのような絶対安静が必要なエノスは今、戦場の真っ只中にいる。

 味方はおらず敵しかいない。少しの衝撃で胎児が死ぬどころか母体であるエノスの命すらも危うい。

 普通であれば闘えるような身体ではない。普通であれば誰かが止める。だが、この戦場を、実験を仕切っている者達は普通ではなく、参加者達は人外ばかり。止めるどころか真っ先に殺しにかかるような連中の存在は、エノスの心を確実に蝕んでいた。

 実験が開始されてから7日目、つまりは一週間が終わろうとする中でエノスは疑心暗鬼に陥っていた。


「この角を曲がれば敵がいるかもしれない……でもここにいても敵がやってくるかもしれない……」


 ぶつぶつと他に誰もいない場所で周りをよく確認しようともせずにエノスは1人呟き続ける。


「ああ、私が守らなくちゃいけない。私だけがこの子の味方。この子を守れるのは私だけ……だから私はただ生きるだけでは駄目。守れるような力が必要なの……」


 呟きつつも歩き続けるエノスに警戒心などは見えない。しかし、彼女は自身では警戒を強め、胎内にいる我が子を守っているつもりでいた。膨れ上がった腹部をさすりながら彼女はただ歩く。

 周りから見ればまるで無警戒。しかし彼女自身は警戒しているつもりでいる。

 どちらが正しいのか、それは彼女の命を狙おうとする強襲者による攻撃によって決定された。





「『針鼠ヘッジホッグ’ズハート』」


 そう声がし、エノスの背中、脊椎をなぞるようにして3本の大きな何かが突き刺さった。


「あ……」


 背中に衝撃を受け、前に倒れながらもエノスは腹を守るように手で抱える。

 お腹を下にしてはいけない。そう彼女は横を向きながら地に倒れた。


「なんだなんだ! 案外簡単じゃねえか! 俺の針を避ける素振りすら見せねえで!」


 両手にそれぞれ30㎝程の針を持ち、身体中から似たような大きさの針を生やした男が現れた。頭の先から足まで針が生えており、髪の毛に至っては1本1本が鋭く尖っている。

 背が高く、さらには丸々と太っているため面積が広く余計に生えている針の数は多く見える。

 エノスを針で刺した男はエノスに近づくことなく針を構え、エノスが死んだのか、様子を見ている。


「死んだ……わけねえよなぁ? ここまで生き残った連中の1人だ。何か能力を隠し持ってんだろ?」


 だが、エノスはピクリとも動かない。

 動いているのはエノスが倒れた衝撃で巻きあがった砂埃のみ。


「……おいおいおい! まさか本当に死んじまったわけじゃないよな? これで終わりじゃないよな⁉」


 起き上がる気配のないエノスを見て男は焦る。

 彼は闘いたかった。己の能力を誇示したかった。

 だから今生きている者はみな強いだろうと攻撃を仕掛けたのだ。


「……まじで死んだのか?」


 闘う前に、こちらの攻撃だけで決着が着いてしまったのかと男が近づこうとした瞬間、バッとエノスが立ち上がった。


「……良かった、お腹の子は無事。こんな邪魔なものは抜いてしまいましょう」


 エノスは背中に手をまわし、針を無理やり抜く。ぬちゃりと音を立てて抜かれた針には血が纏わりついて――いなかった。

 三本とも針を抜くとエノスは何事もなかったかのようにまたもぶつぶつと呟く。


「ごめんね私の可愛い赤ちゃん。まだ産まれてくるのは早いよね。だからちょっと待っててね。今、あなたを殺そうとした敵を私が殺すから」


 ギロリとエノスは男を睨みつける。

 睨まれた男はその視線に退くことなく、ただ受け入れる。


「ようやく闘えるってことか! いいかよく聞け! 俺の名はハリネズミのぽん太! 見ての通り『針鼠ヘッジホッグ’ズハート』は針を出す能力だが……お前の能力はその不死身性ってわけかい?』


「……私はチンパンジーのエノス。赤ちゃんは私が守る」


「答えてくれねえってことか。まあいい、たとえ妊婦だろうが戦士には変わらねえ。いざ勝負だ!」


 守る者と闘う者、両者の目的は似て非なるものであり、だが決着はいずれ着くものであった。





「……ちっ、なんでそんなに死なねえんだよ」


 エノスの身体にはもう刺す場所がないのではないだろうかと言うほどの針が突き刺さっていた。いや、刺さっていない場所は存在した。彼女が抱きしめるかのように守る腹部を別として。

 ダメージはないが、衝撃はあったのだろう。エノスは建物に手をかけ寄りかかる。


「……痛い、けどこんなのでは死なない。だって出産はもっと痛いから」


 身体の針を抜きながらエノスは呟く。

 その目はすでにぽん太を見ておらず、まるで針が刺さることを雨が降っているのと同じような、自然現象かのように無視している。


「……まじで不死身かよ。いや、能力には限界がある。チンパンジーだったな。人間に近い動物だが、不死身とかそんな知識は俺にはねえ。能力は俺の針のように動物に由来する。必ず、不死身を形作るタネがあるはずだ!」


 ぽん太の針は無限に生えてくるわけではない。体内の細胞を活性化させて髪の毛や爪、皮膚といった新陳代謝を上げることにより増えるものと同様に、針も生えてくる。

 すなわち、大量の針を生やすにはそれ相応のエネルギーと体力が必要になってくるのだ。


「あらかじめ生やしておいた針は関係ねえ。だが、この先足りなくなった針を補充するときが来れば……覚悟しておかねえとな」


 生えている針を抜いては投げを繰り返し、エノスの能力を見極めようとするぽん太。

 投げられる針を意に介さず、受けては抜きを繰り返すエノス。


 互いに闘いらしいことをせずに一方的な攻撃と得体の知れない回復力を見せつけ、膠着状態となる。

 その膠着状態は数度目の攻撃が無に帰した時に終わりを迎えた。


「……今、手から砂礫が舞い上がったな?」


 先ほど、エノスがぽん太に奇襲を受けたときも砂埃が舞っていた。

 動物園内の地面はコンクリートが多いが、今いる場所は砂利も落ちている。だから、別に砂埃があろうと違和感はなかった。


「だけどよ、手に砂埃を持っていた意味はねえよな?」


 そうしてぽん太は発見した。先ほどまでエノスが寄りかかっていた建物。そこの壁に小さく穴がいくつも空いていることに。


「俺の針と同じ大きさだろうな……これで分かったぜ、お前の能力がよ。その不死身性の正体がよ!」


 針を抜き終わり、壁に手を突こうとしたエノスの眼前に針が突き刺さる。

 ダメージが無いと分かっていても反射的に身を竦ませてしまったのだろう。動きが止まり、その手に針が突き刺さった。


「っ!?」


 エノスの手に刺さった針はエノスに痛みと、そして確実なダメージを与えた。


「お前の能力は手に触れた物にダメージを肩代わりさせる能力だな。手から舞い上がった砂埃は俺の針が貫き砕いた小石ってとこか」


 エノスは手の針を抜くと、その手を抑えながらぽん太を睨みつける。

 その手にある傷がぽん太の考えが正しい何よりの証拠であった。


「……殺す」


 エノスは闘い勝って生き延びたのではなく、逃げ回り生き延びたのでもなく、負けた上で見逃されたのでもなく、ただ守り続け相手が諦めたからこそ生き延びていた。小石であればあまり大したダメージの肩代わりにはならないが、建造物であればかなりのダメージが無かったことになる。


 逃げるわけでもなく、文字通り傷を受け流してきたエノスは初めて殺意を見せた。

 

「いいや、殺すのは俺だ。これからだ、これから俺らの闘いはようやく始まる」

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