22話 名前はまだない
吾輩はネコである。名前はまだない。どこからどう見てもネコであり、イヌにもネズミにも見えることはないだろう。今は人の姿になっているが、吾輩は何時だってネコであることを忘れない。
だが、吾輩はネコであるが、ネコ以外ではないのだ。
ネコ以上にもネコ以下でもなく、同じネコ科であるライオンにもトラにもなれない。
弱々しくも自由気ままなネコであるしかないのだ。
さて、なぜ吾輩に名前がまだないかと言うと、誰も吾輩に名前を付けてはくれなかったからだ。人間どもは吾輩を可愛がってはくれるが、吾輩のことをネコちゃんと呼ぶ。それは吾輩の種族名を言っているだけに過ぎず、吾輩単体を指しているわけではない。人間どもは吾輩ではなく、ネコをただ可愛がっているだけなのだ。
さて、吾輩がネコ以外の何者でもなく、ネコの中でも特別な存在でもないことを述べた上で吾輩に今起きている状況を説明しておこうではないか。
吾輩は今、どこぞの動物園で何やら殺し合いに巻き込まれているようだ。動物同士の殺し合い。奴らは鋭い爪や尖った牙で野蛮な殺し合いをしている。それを喜んでやっている連中もいるようで吾輩には到底理解できない。
吾輩は自由気ままな旅人だ。当然、動物園内で飼育されていた動物ではない。物珍しいところと言えば三毛猫なのに雄という点くらいであろう。それさえも珍しくはあるが優れているわけではない。変に注目されるだけ迷惑な話だ。珍しいものを見てもどうしようもないのに。見たところで珍しいものにはなれずただ見た、という感想が生まれ出てくるだけだ。
……話を戻そうか。吾輩はたまに見かけた動物園に忍び込みそこの人間どもに食べ物を貰っていた。自由気ままと言えど食べ物は必要だ。動くためには身体の力の基を取り入れなければならない。
そんなこんなで動物園に入ったはいいが、ここの動物園は何やら様子が違っていた。やけに黒々とした服を着ている人間どもが動き回っているなと思ったら、突然身体に痛みが走り、吾輩はそのまま気絶してしまった。気絶する直前に
「あ、間違えちまった。まあいいか」
そんな声が聞こえたような気がしたが、その時は訳も分からずに意識を失った。
そこからは他の動物どもと同じであろう。吾輩は1つの能力を得て、殺し合いに参加させられるはめになった。
「吾輩、爪も牙もそこまで強靭ではないのだがな」
そう言っても黒い服を着た人間どもは耳を貸そうともしない。ついでに名前はネコと呼ばれる。
吾輩、憤慨したよ。せめて名ぐらい付けろ、と。
吾輩の能力は9の身体を作ることができる、というものらしい。蘇ることができる能力である。
死ぬと、少し離れた位置で新たな身体で生き返り、その場に死体を残していく。死体が残るため相手は死んだと思い込む。
「ふうむ……奇襲するにはうってつけの能力であるな」
吾輩の鈍い爪と牙では真正面からの闘いには不向きだ。しかし、相手がこちらを見ていない状況、油断し隙を見せているのならば首や胸などの急所を攻撃できるかもしれん。吾輩の唯一の勝機である。
別段、吾輩は自分のことを強いとは思っていない。それどころか弱者の部類に入っていると思う。
開始当初はすぐに死んでしまうだろうと思っていたが、それはその通りであった。
なにせ5回ほど殺されてしまったのだからな。
不意打ちによる奇襲も全て失敗した。
失敗の原因は様々。爪も牙も通らぬような強靭な皮膚の持ち主や不意打ちすら躱す者、油断していると思わせて油断していなかった者もおった。
「さすがに吾輩に殺されるような動物はまだ現れてはくれぬか。幸いにも死体を喰らう肉食動物にはまだ出会っていない。死体を喰われては吾輩の能力は弱体化してしまうのだからな」
新たな肉体の生成は9回まで。それ以上作るならば残してきた死体に触れなければならない。触れれば自動的にその死体は消え、新たにつくれる身体の数が元に戻る。
だから吾輩は不意打ちに失敗した時は後追いしないで死体に触れて死体を回収してきた。
蘇る能力ではなく、偽の死体を作る能力。実際、似たような能力であれど、大きく違うのは吾輩は死んだ後に新たな死体で生き返っている。
偽の死体を作る能力だから、不意打ちをしてきた者が死んで死体が消えた。そう相手に思わせておけば吾輩はそのまま身を潜め、その場をやり過ごすことができる。
吾輩、どんな隙間でも入れるから隠れるのは得意なのだ。
さてさて、殺し合いも始まって早3日ほどか。
未だ動物は殺せずとも、吾輩は生きている。そして新たな身体が9つ作れる。
欲張らずにいたからこそのこの万全の状態。このまま1ヶ月を生き延びるなら逃げ延びたほうが楽ではないか。そう思い始めた。
「だがしかし、吾輩は特別になろうとする者! まずは名前を考えなければならない」
名前とは誰かに自分を紹介するためのもの。
逃げ続けては名前があろうとも意味がない。
誰かと会ってこそ名前に価値が出るということだ。
「まずは考えないとな。吾輩の、吾輩だけの特別な名前を」
そして、会うのだ。吾輩が名乗るためだけの動物に。
自由に生きる吾輩らしい自由な名前を。
「……おっと、考えているうちに来客か」
肉食動物でなければ一度奇襲してから逃げ出そう。
何度でもやり直せるのだから。それが吾輩だけに唯一許された特権。
「……お前は働いているか? 『
そして景色は一変した。同時に吾輩の考えは甘かったのだと思い知らされた。
「何だ、この能力は⁉」
吾輩、知らぬぞ。新たに身体を作る吾輩であるが、新たに世界を作り上げる能力なんて。
「吾輩の死体は……どこだ?」
馬に蹴られて死んでしまえ。確かそんな言葉があったはずだが、今の状況こそそれだ。
吾輩は馬にその恐るべき脚力でもって蹴られ、頭を割られて死んでしまう。
死体が残り、吾輩は少し遠くに隠れることが……
「できないだと……。見渡すばかりの草原ではないか! 加えてこの数……」
吾輩は一度にではなく、9回の身体を作り出せるから9回死ねることが吾輩の強みであると考えていた。
だが、この馬の能力は一度に数多の身体を作り出す能力。草原であるからすぐに見つかり、そばの馬に蹴り殺される。
「いたぞ」
「こっちだ」
「痛いな、邪魔だ」
「少し軌道修正するか」
「ふむ、こちらからの方が近いか」
死体は多量の馬に埋もれ、新たに身体が作られようとも、すぐに死体に成り果てる。
「吾輩、こんなはずじゃあ……」
まだ名乗りすらしていない。
せめて、この名を誰かに知ってもらいたい。
「吾輩の名前はアラ……グハッ」
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