20話 距離を詰める者

 ラッコである土左衛門は人化し幾ばくかの知識を得たことで初めて己の名前の意味とその名付け方の適当さを知った。


「水中に浮いてるからって水死体と同じってどういうこった!」


 土左衛門。それは水死体のことであり、特徴としては体内より腐敗ガスが発生し全身が膨れ上がり青色に変化していくというものであり、体内に溜まった腐敗ガスによって死体は水中に浮き上がる。

 そもそもで人が水に浮くのは肺の中にある空気のおかげであり、死体となり肺に空気を溜められなくなれば水底に沈んでいく。その死体が水面に出てくるのは空気の代わりに腐敗ガスが死体を浮袋に変えるためである。水死体はあちこちがぐじゅぐじゅと腐り果て、溶け、原形を留めず悪臭を放つ。常人であれば鼻をつまみ目を背けるであろう。

 そのようなものと同じ名前をラッコは水に浮いているから、という理由で付けられた土左衛門は心中穏やかではなかった。


 心中穏やかでないまま闘いに臨んでいった。





 胸にホタテガイの貝殻を抱いて土左衛門は歩く。

 土左衛門の能力は余程の不意打ちでも食らわない限りは、真正面からの闘いであれば負けようのない能力であった。


「この貝さえあれば俺は負けない」


 貝がなければ使えないという条件こそあれど、土左衛門の能力は防ぎようのない考える限り最高の能力であった。

 まだ使ったことはないが、頭の中に入ってきた能力の使い方を知って土左衛門はこれなら一ヶ月くらい余裕で勝ち残れると喜んだ。


 不意打ちを避けるためにはどうすればいいか。

 土左衛門の出した答えは自分から攻めに行くであった。

 悠々と園内を歩き、獲物を探していく。とはいえ、そこまで遠出をしない。

 自分の棲み処を中心として付近の獲物を探す。


「……見つからないな」


 だが、半日歩き回っても一匹も、死体も、戦闘の形跡も見当たらなかった。

 それもそのはず。

 土左衛門のいる場所は水棲生物が多くいる水槽や大きい池のあるエリアだ。そこに棲む動物たちは皆、水中に引きこもっていたり、すでに別の場所へ移動したりと、近隣を歩き回る水棲動物は存在しなかった。


 歩いているうちに日が高くなり、土左衛門は太陽を見ようとしてその光に目が眩んだ。


「……眩しいな」


 思わず手に持っていた貝殻を日よけ代わりに頭上へと持っていく。

 あれほど大事にしていたのに反射的に粗末に扱ってしまった。


 そしてその報いが襲ってきた。


「――っ!?」


 頭上にかざしていた貝殻が一瞬で手の中から消えていた。

 同時に何かが通り過ぎる気配を感じた……が一瞬すぎて幾秒か経ってからその気配に気づく。


「ふーん。大事に何を持ってるかと思えばなんだこれ……貝?」


 突如10数m先に現れたのは1人の男。

 申し訳程度の服を着ており、上半身は裸である。

 裸ではあるが、そこに筋肉は見えず、痩せた肉と皮と骨だけがある。


「まあいいや、大事にしてたのは非常食にでもするつもりだったのか? どのみち俺っちにはいらねえや」


 目の前の男は後ろへと貝殻を投げ捨ててしまう。

 貝殻は放物線を描き、池の中にポチャンと沈んでいった。


「あ……」


 思わずその貝殻を目で追ってしまい、すぐさま後悔した。

 これでは貝殻を大事にしている理由が非常食だという勘違いを自分で違うと言っているようなものではないか。


「腹でも減ってたのか? だがよ、そんなの俺っちには知ったこっちゃねえな」


 幸いにも気づかれていないようだが、それでも事態は非常に深刻である。

 貝殻さえあれば勝てるのである。勝てる能力なのだ。

 だが、貝殻が手元にない。なければ能力は使えない。


「さあ殺し合おうぜぇ? 俺っちは追っかけれらることは多かったからな。追いかけるのを一度やってみたかったんだ」


 走り出そうとする素振りを見せた男は次の瞬間には消えていた。

 先ほどのような気配は感じ取れない。


「ああ、いけねえや。通り過ぎちまったぜ」


 背後から声がする。

 土左衛門が恐る恐る振り向くとそこには上半身裸の男が。互いの距離は10mもない。


「そうそう。まずは自己紹介でもしようかね。俺っちはウサギだ。ウサギの翔太郎。よろしくなっと!」


 男は――翔太郎はまたも走り出そうとする素振りを見せた瞬間には消えていた。

 土左衛門がすぐさま背後を見ると、やはりと言うかそこには翔太郎がいた。


「俺っちのよぅ、能力はすっげえ扱いが難しいんだ。『ラビット’ズハート』っつうらしいんだけどよ……ああ、お前あれ知ってるか? みはじってやつを」


「確か……距離だか何だかのやつか」


 新たに植え付けられた知識の中にそのようなものがあった気がする。だが、土左衛門の知識ではそこまで。それが今どのように関わってくるのかは分からなかった。


「そうそう。道のり、速さ、時間ってやつだ。俺っちの能力はな、この中の時間を指定するとな、その方向へと一瞬で移動できるってやつなんだよ。速さは俺っちの今出せる最大速度。俺っちを見失ったのはお前が遅いわけじゃない。俺っちが速すぎるからだ」


 道のり、距離、時間。

 道のりは距離と時間をかけたものであり、

 距離は道のりから時間を割ったもの、

 時間は道のりから距離を割ったものである。

 それぞれがぞれぞれで互いに相互的に密接に関わっている。

 どれか2つが分かれば残りも必然的に求められる。


 『ラビット’ズハート』はこの関係そのものであり、道のり以外の2つを、とりわけ時間を自分で指定することにより道のりを結果として表すことができる能力である。

 翔太郎の万全な体調で出せる現在の最高速度は時速80㎞。秒速にしておよそ22m。もちろん一瞬で出せるものであり、継続的にそのような速度を出すことはできない。

 しかし、翔太郎が1秒移動しようとした時に能力を使えば秒速22mという速度で1秒移動したという結果だけが残る。2秒であれば22m。走っているという過程はすっ飛ばして、移動し終えそこに辿り着いたという結果だけ残る。

 だが、いかに最大速度がそれであろうとも実際はそのような移動はできない。必ずそこには体力の限界というものが存在するからだ。そもそもで走っている最中に最高速度が秒速22mであるのだ。走り始めはもっと遅い。


 それら全てを無視して『ラビット’ズハート』は最高速度で移動し続ける。1秒目でも2秒目でも3秒目でも……1時間後でも速度は一定している。

 

 移動に関しては恐らく最速であるこの能力ではあるが、いざ闘おうとなるとそこまでの脅威にはならない。

 速すぎる速度は細かい調整ができない。0.1秒違うだけでも2.2m違う場所へと辿り着く。ぴったりと相手のいる場所まで移動するには難しすぎる。


 能力は使わずに自力で移動すればよいのではないか。そうこの能力の概要を聞けば誰もが思うであろう。しかし、翔太郎はそれをしない。

 走る行為を飛ばすということは、つまりは走っている間にできる隙がなくなるというわけだ。

 翔太郎はウサギである。その性格は臆病。隙がなくなるのであればそれにこしたことはない。



「つまりは、俺っちはこの能力を使うのをやめるつもりはねえ! 走る体力も使わないから体力温存にもなるしな」


 あちらに移動したかと思えばすでにこちらにいる。

 翔太郎は土左衛門に辿り着くために何回も細かく移動を繰り返した。少し行き過ぎたと思えば移動時間を減らし、足りなければ時間を増やす。そうやってみはじの計算を繰り返す。


 あちこちに移動する翔太郎を見た土左衛門は……貝殻が沈む池を目指し走り出した。


「あ、お前! また計算がややこしくなるだろうが!」


 土左衛門がその場に立っていればいずれ辿り着いた翔太郎の移動も、違う場所に行かれてしまえばまた移動のやり直しだ。





「……諦めたのか?」


 土左衛門は走りながら背後を振り返った。

 池の近くまで来たがまだ追い付く気配はない。

 一瞬で追いつくはずであるのに。距離が離れたときこそ使うべき能力であるのに。

 

「だけど、もうすぐだ。もうすぐで池に辿り着く」


 ラッコであれば水中に潜って貝殻を拾いに行くのもお手の物だ。

 あれさえあればいかに相手が速かろうと関係ない。

 相手と向き合えば勝てるのだから。


「よし、これで勝てる――」


 池の縁まで来た土左衛門であるが、池に潜ることはできなかった。


「じぃぃっくりと計算をすればこうして計算間違いすることもない。さすがに俺っちも目の前にいるやつならば能力なしでも攻撃するぜ」


 土左衛門は真横まで移動してきた翔太郎に蹴られ、地面に転がる。

 池の方へと手を伸ばすが、翔太郎はその手を踏みつける。


「お前の能力は結局見ることはなかったが、こうして使わなかったところを見るとどうせ使えないクズ能力だったんだろうな。俺っちのような素晴らしい能力が羨ましいだろう?」


「……いいや。お前の能力よりも俺の能力の方が遥かに強いぞ」


「ああん? だったらさっさと使ってみろや」


 翔太郎は手から足をどかすと、土左衛門の身体を蹴り上げた。


「グッ⁉」


「なあ、さっさと使えよ! ほらほら。俺っちのよりも強いんだろう?」


 池から遠ざけるように翔太郎は土左衛門を蹴り転がす。


「……そうだな。使わせてもらおうか」


 転がされ翔太郎と少し距離が空いたおかげで土左衛門は立ち上がった。

 その手には黒い金属のようなものを握りしめている。


「見せてやるよ。俺の能力を……『海獺シーオッター’ズハート』」


 土左衛門は黒い金属を殴りつけた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る