16話 私は昔は実験体
ああ、私の餓えは満たされない。
餓え、渇き、欲望。そういったものが私の中で渦巻いて私の思考を誘導しようとしている。
何の餓えであり、渇きであり、欲望?
それは食欲でも睡眠欲でも性欲でもない。
獣の本能としては間違った、本来の道からは外れた道。
食べたいわけでも眠たいわけでも種を残したいわけでもなく、ただ
「人を殺したい。目標もなく目的もなく目論みもなく、ただ人を殺したい。殺すことこそが目標であり目的であり目論みだ。私は人を殺すことで満たされるんだ」
そう、私は――ネズミであり、かつて人に文字通りモルモットにされていた献体名No.00071だったか――改めて人を殺すことを決意した。
決意しなければやっていられない。
何せここは人がいるくせに人を殺せるような場ではなく、他の動物に狙われ人を害すればこの首輪によって致死量の電流が流されるのだから。
だけど、私はいつか人を殺す。
そのために何時までも決意し続ける。
私の意識はこうして人となってからの方が明白にあるけども、それでもかつて完全なネズミであった頃も朧気ながら意識はあった。今となってはあった、という記憶だけだが。
ともあれ記憶はある。実験体であった頃の記憶は。そして、唯一の肉親との会話の記憶も。
血を採られ肉を削られ代わりに他の動物の肉片をくっつけられ沸騰する薬品を流し込まれる。
そういったおぞましい所業を献体名No.010070とNo.010071、通称ナムとナイという兄妹は目の前で見させられた。
両親も親戚も知らないネズミも全て実験という名目のナムとナイからすれば殺戮によりいなくなった。
生まれたときから周りにいたネズミ全てはこれと同じ扱いであったが、段々数が少なくなってくるうちに次は自分の番かと恐ろしくなってくる。
無造作に人間に掴まれていく同族達。もがき逃げようとするがその努力も虚しく、5分もかからずに物言わぬ死体となってしまう。
そして、ケースの中にはナムとナイのみになった。
2匹のみ。次に選ばれるとすればどちらかであろう。
どちらかが死ぬのだ。
人間がケースを覗き込む。
ナイはああ、とうとうこの日が来てしまったかと思った。
だがどのみち兄が選ばれるにしろ自分が選ばれるにしろいずれかは死ぬ。遅かれ早かれだ。
今選ばれなくとも死ぬ運命にこの兄妹はあったのだ。
だが、この日の人間の表情はネズミであるナイから見てもいつもとは違った。
いやににこやかなのだ。
「喜べ、次だ。次でこの薬は完成する! お前達のどちらかはこの薬が完成されたものなのか試すために投与される。どちらでもいいんだが……」
そう言って人間はナイと手を伸ばした。
ナイ反射的に身をすくめ逃げようとしたが、はたと気づく。
もし自分がここで行けば兄は助かるのではないか。
そう思えば動くことはできない。むしろ動くものかと恐怖に震える足を地に固定する。
「お前は生きろ」
だが、ナイの前にナムは立つ。ナイを庇うようにして。
「今、俺が生きればお前は生きられる可能性が高くなる。……こういう役割は兄に任せろ」
人間の手がナムを掴む。
ナムは大人しくそれを受け入れ、ナイはその手に掴まろうとしてはね除けられる。
「ナム!? ナムーッ!」
「生きろ、ナイ」
ナイの目の前でナムは薬品を投与される。
ナムは一瞬だけ痛がる素振りを見せ、その後はぐったりとし眠る。
事件が起こったのはその日のうちであった。
「『
ふと、目が覚めたナイが目にしたのはいつの間にか増えた1人の人間の男であった。
その男が直感的にナムであることはナイには分かった。動物としての勘か、妹としての勘か。
「よくも……俺たちをこんな目にあわせてくれたな!」
ナムは長い長い前歯を使い一瞬のうちに人間を1人殺した。人間の首は半分なくなっていた。
「ちいっ……だが、歯がお前の能力なことは分かっている! オラァッ!」
人間の振り回す棒がナムの前歯に当たる。
まるで木の枝を折るかのようにナムの前歯は容易く折れてしまった。
「へっへっへ。これでお前はどうにもできないだろ。死んじまったこいつにゃ悪いが実験は成功だ。早速報告しないと――」
「無駄だ。俺の歯は減らない」
何やら懐から取り出した小さな物を人間が見た瞬間、ナムが噛み付き、絶命させた。その前歯は折られる前と遜色ない長さ。
「どうやら一定の長さまで伸び続ける前歯というものが俺の能力?というものらしい。これがあれば人間にも……」
床に転がる二つの人間の死体を見つめながらナムが呟くが、
「はい。そこまでですよ」
爆音とともにナムの身体は中に小さな穴が空いた。
「は……!? な、にが……」
何が起こったんだ。そこまで言うことはできずそのままナムはたった今殺した人間と同じ世界へと旅立つていった。
「やれやれ……まあ彼らはこの新薬による人化動物の尊い犠牲であり戦闘データのサンプルとなれて喜んでいるでしょう。しかし、何かしらの対策が必要ですね。私たちにこうして歯向かわれるとあの大実験の進行がし難いですし……。おや?」
新たに現れた人間とナイの目が合う。
「まだ1匹残っていましたか。ちょうどいい。これにも参加させましょう。これも何かの縁です。私ができるだけ強化させてあげます。そうそう負けることはないでしょう」
人間に何かの薬品を打たれそこでナイの意識は消えた。
目覚めては何かの薬品を打たれ眠らされ、それを繰り返しているうちにいつの間にか人の姿になっていた。
ここまで思い出したところで怒りと憎しみが沸いてくる。
人殺すべし。そう思うが、どのようにして殺してやろうか。
「だけど、殺すことはできない。少なくとも今は」
今はこの首輪をどうにかすることが先決である。
「ん? あれは……」
目の前で起きている状況に目を見張った。
動物が、人を殺しているのだ。
電流は流れているはず。
「それなのにどうして?」
まずはこの者に付いていこう。できれば共にいさせてもらい、人を殺す機会を与えてほしい。
そう思い私はコッソリと、その老人の後を付いていくことにした。
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