13話 考えるな 前編

 考えるより先に動け


 それがバゼールの信条であり信念であり真実であった。

 相手が動いたと感じたらこちらの角が相手を貫いていた。気づいたら相手が絶命していた。彼の殺した4匹の動物達はどれも弱かったわけではない。むしろその中には近接戦においては無類の強さを誇る者もいた。


「あいつは強かった…のかなあ」


 バゼールは思い出す。かつて殺した、セザンヌと呼ばれていたシマウマのことを。色白な身体にいくつもの幾何学模様を浮かび上がらせていた彼女は強敵であったのだろう。

 身体の模様で相手に催眠をかける能力の持ち主であったセザンヌではあるが、彼女が能力を発動させた瞬間には彼女の身体にはいくつもの穴が空いていた。それだけでセザンヌの身体の模様には意味がなくなくなっていた。死だけが彼女を待っていた。


「俺と闘って未だに生きているのはあいつだけか」


 初日に殺し合った相手。いくら貫いても殺しても減らないが、相手もこちらに近づけずそのまま拮抗した状態で1日が終わってしまった好敵手。

 決着は最終日、お互いに力をつけたときに再度殺し合うという約束をもって初日を終えた。

 セザンヌと同じウマであるはずなのに彼女とは違い自分の角を受けてなお生きていられる強敵。その日から朝にお互いの生存を確認し合い、軽口をたたき合い、それから各々の闘いに向かって行くのがバゼールにとっては心地よいものであった。





「虎とかもうそれは貫いたら気持ちよさそうだぜ」


 朱抹と書かれた札が貼られた檻とは呼べぬほど広いその場所は虎が飼育されている密林である。

 表からはガラス張りになっており、客たちはそこから虎の生態を見ることができたのだと推測される。密林という虎がいかにも棲んでいそうな、どこから現れるか分からない施設はさぞ客たちを沸かしていたのだろう。

 だが、バゼールからすればどこから敵が現れるのか分からない厄介なフィールド。前方にも右にも左にも木々しか見えず敵がどこにいるのか、ひょっとしたらここにはいないんじゃないかと思わせるほどの静寂を放っている。時折カサリと聞こえるのは風に揺られた葉の音。


「落ち着け……俺の能力はこういうときにこそ強いんじゃないか」


 バゼールは神経を集中させる。外からの刺激を無視し、自分の能力を発動させるために。

 彼の能力は使い方を誤れない。使えば皆死に、使わなければ己が死ぬ。闘いとはそういうものであるが、鎮圧はできず手加減もできずただ殺すためだけの能力を持つ彼にとってあまり能力の乱用をせずに最小限だけに抑えておきたかった。


「俺の能力を知られたら……いや、知られても対処はできないだろうな、あいつ以外には。『鹿ディアー’ズハート』」




 

 バゼールの見た目は禿頭の中年の男である。鹿が元になっているわりに鹿の要素は何一つとしてない。それは馬であるグラスリッパーもそうであるのだが、彼は能力によって馬へと回帰していた。最もグラスリッパーの場合は相手が原始の姿へと変化するという能力によりまさに今食べられ殺されている最中であるのだが。

 動物が人の姿になるときは少なからず動物であった名残を見せる。

 毛に覆われていたヒツジのドリーしかり。

 筋肉の塊であったゴリラのウッホしかり。

 コウモリであろうともシーラカンスであろうともライオンであろうともパンダであろうとも……全ての動物には何らかしらの動物ゆえんの箇所があった。

 

 では、バゼールの場合はどうか。鹿の特徴とは何か。蹄や4つある胃などもあるが、やはり最大の特徴は角であろう。角なくして鹿を鹿とは呼べない。


「貫け……どこまでも貫けよぉぉ」


 バゼールの禿頭から2本の角が生える。枝分かれした角はどれもが先端を尖らせており、どこまでも伸びていく。


「どこに隠れているか捜す必要はなかった。こうして全方位に俺の角が広がっていくからな」


 バゼールの能力はどこまでも伸びる角である。角は伸び、一直線に進み壁に当たると曲がりまた一直線に伸びていく。そうして渦巻状に密林を覆い終える頃には木々は貫きなぎ倒され、角を除けば見晴らしの良い場所となっていた。


「お、血が流れてるじゃないか。ということは貫いたか」


 角の一か所が赤く染まっていた。生き物を何か……おそらく虎をどこかで貫いたのだろう。

バゼールの能力の難点の一つは角自体に感覚がないこと。例え貫いたとしてもその感覚がないため、こうして血や死体を見るなどの視覚や悲鳴を聞くと言った聴覚に頼る他ない。



 血のある場所までバゼールは歩く。難点の二つ目としてバゼールの角は伸びたら最後もう戻ってこない。伸びるが縮まない。そして感覚はないそのため貫いたかを確認するには自分の角を避けて攻撃地点まで向かわないと相手の絶命を確認できない。

 だが、血を見れば相手が少なくとも傷を負っていることは分かる。万が一、避けれらたとしてもその傷は少なからずのバゼールにとってのアドバンテージとなる。


「ここか。しかしずいぶんと広い場所だったんだな」


 ようやく血のある角の場所まで辿り着き辺りを見渡すと虎の棲む密林は鹿の棲んでいた柵の中と同じくらいの広さであった。自分らは走り回るから当然として、隠れ潜むだけの虎にこれだけ立派な棲み処を与えられていることに少しバゼールはイラついた。


「そりゃお前、俺のような人気者にみすぼらしいのは似合わんだろ」


 背後から声が聞こえ振り向くとそこには2mを超えるほどの大男。顔にいくつかの傷があり、それだけでバゼールに恐怖心を抱かせる。

 だが、見たところ最近できたような傷はなく、血を流していない。

 ならばあの血は誰の血だったのか。そうバゼールが疑問に思い始めたとき、


「あーあ。せっかくの俺の夕飯が。まあ新鮮な夕飯が代わりにやってきてくれたけどさ」


「こいつは……いったい……」


「ああ、それ? えーと、何だったかな……モモンガ? そんなような動物だった気がする。空から降ってきたけど叩き落としてみたらもう空飛べないみたいですぐに噛み殺しちまったがな」


 バゼールは後ずさる。突然湧き出た恐怖心が足を、身体を後ろに持っていこうとする。虎から離れようとする。

 虎のいともたやすく殺したという暴力性や凶暴性、戦闘力に恐れおののいているわけではない。そんなものバゼールにだって持ち合わせているし、戦闘力は未だ不明であってもこうして姿を現した今、バゼールの角は2本とも虎に向かって行く。


「食うだと……!? お、お前は殺した相手を食うのか!!」


 草食動物であるがゆえに肉食動物の気持ちは分からない。肉を食うという気持ちを。


「お前らが草っぱらしか食わないのは知ってるぜ。俺も体調悪いときに食べるしな。だけどやっぱ肉だぜ肉! 肉を食わなきゃ力がでねえ。お前、鹿だろ? 俺の大好物だ。さあ食わせろ、噛ませろ、血を飲ませろ!」


「……やってみろ!」


 バゼールは後ろに下がろうとする身体を必死に前へ出す。

 恐怖を隠すように己に言い聞かせる。


「考えるんじゃない。思考は捨てろ。恐怖を抱くな。敵を殺すことだけ考えて後は全て放棄だ」


 すると自然と身体が前へ出てくる。

 自分は草食動物。対する相手は肉食動物である。まるで怪物に挑むかのような気持ちになるが、ここを乗り越えられなければきっとグラスリッパーにも勝てないだろう。


「俺の角に大人しく貫かれろ」


「角か。いいねえ、つまみ代わりに後で齧っといてやるよ」

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