12話 生と仕事

 見渡す限りの草原が広がる。

 尖った岩がえぐられたかのように砕かれ、それでもそびえたっている。

 申し訳程度に生えている木々はやはり何かが衝突したかのように窪み、倒れかけているものもある。


「俺は何処に連れてこられちまったんだろうねえ」


 檻の中と同じ態勢で――寝ころんだ姿勢でナマケモノのスロールは言う。


「しかしこれまた寝やすそうな場所だ。どうせなら硬い床よりも柔らかい草っぱらがいいと思ってたんだ。動かずに移動できるなんて羨ましい能力だ」


 スロールは無頓着に、これが相手の能力によるものだと知ってもなお構えずにいる。


「……やはりお前は動かないのか。この状況でも働こうともしない。お前は生きるべきではない」


 スロールの正面にグラスリッパーが現れる。


「やれやれ」


 スロールはここでようやく動く。動くといってもスロールにとってはさらに状況は悪化ように動いた。もちろんわざとであるが。

 今まで横になっていたのをうつぶせになったのだ。


「俺を馬鹿にしているのか⁉」


「はっはっは」


 うつぶせの状態でスロールは笑う。


「馬鹿にしてるさ。だってお前、馬なんだろう?」


 グラスリッパーは己の失言に気づかずに、スロールの言葉にだけ過剰に怒りを強める。


「見せてやる。俺の能力の真髄を!」


「はいはい。見てやる見てやる」


 スロールは首だけ回しグラスリッパーの方へと向ける。

 グラスリッパーの身体が人間の形から馬の形へと戻っていく。

 大きさはそれでもなお人間と同じ高さ。首を含めれば人間以上だ。


「悪いが一対一では闘わないぞ」


 グラスリッパーの身体の輪郭がぼやける。


「んん?」


 スロールは目をこする。

 これは視覚に対して何かをしてくる能力なのか?まあ目をつぶりゃあいいっか。どうせ眠かったところだし。

 およそ戦う気もないスロールはそう結論付けたとき、グラスリッパーは増えた。

 2体に。2体が4体に。4体は8体に。8体は…………。


 見渡す限りであった草原の景色は瞬く間にグラスリッパー一色となる。


「「「「「「「「「これが俺の能力。俺自身を限界まで増やす能力。この数相手に逃げ切れる者はいない‼」」」」」」」」」」


 一斉にグラスリッパーたちは話し出す。一体が代表して話すわけでもなく、一体一体ずつが話すわけでもない。

 

「……うるせえなあ。せっかく寝れそうだってのによ」


 言葉は言葉としてではなく騒音としてスロールへと届いた。


「「「「「「「「「「では、行くぞ!」」」」」」」」」」


 グラスリッパーたちは一斉に走り出す。

 全員が同じ方向へと。


「「「いたっ」」」


「「どこ向いてるんだ!」」


 だが、それでも動じなかったのはスロールであった。

 グラスリッパーは同じ方向へと走った。同じ場所へではなく。


 グラスリッパーが1体でも斜めに向いていたとしよう。その横にいたグラスリッパ―ガ真っすぐ走る。どのくらいの距離かは斜めに向く角度次第であるが、その2体のグラスリッパーはいずれぶつかる運命となるのは必然であった。


「……なーんだ。てんで弱いでやんの」


 それを見てスロールは嘲笑う。

 グラスリッパーの身体が幾百、幾千に分裂してなお、グラスリッパーの意識は一つであった。一つの意識で統一できることは利点であるが、それが弱点でもあった。

 グラスリッパーが十全に操れる身体はわずか2体のみ。それ以上はどこかでほころびが生じてしまう。だが、わずか2体を操るだけならば能力の意味がない。その程度なら異能力とは呼べない。仕事をしているとは言えない。

 今まで出会った動物たちは数の多さに恐怖し、動けなくなったところをもみくちゃになりながらも何体かが踏みつけることにより殺すことができた。


「……良い練習台となってもらうか」


 幸いにしてナマケモノは動かない。それならば今後の闘いのための糧となってもらうほかない。

 3体だけを残して他のグラスリッパは一歩離れた位置へと下がらせる。これまでの闘いからゆっくりとだが動かすことはできるようになった。


「「「行くぞ」」」


 3体のグラスリッパーが一斉にスロール目掛け走り出す。それぞれがスロール目掛け、違う場所から。


「うおっと」


 危機を察知したスロールがゴロゴロと寝ころんだまま転がる。

 すぐさま軌道修正したグラスリッパーであるが、それは叶わず足並みが乱れ、3体は互いに激突しあい、消えていく。


「くっ」


「いやいやいや、何俺を睨んでるのよ。お前さんは俺を殺したいようだけど、俺は別にお前さんに何かしたわけじゃないだろ?」


 スロールはほんの数m動いて避けただけ。しかもそれはグラスリッパー風に言うならば生きるために仕事をした、というわけだ。


「それが限界っつうんなら早いとこ能力解いて俺を元の場所に戻してくれよ。俺もあの硬い床が恋しくなってきちまったんだよ」


 グラスリッパーは考える。相手の能力は未知数。おそらく使わないか使えないか分からないが、それでも今のうちに畳み掛けるほうが得策か。


「仕方がない。まだ練度が足りていなかったのか」


 ザッザッとグラスリッパーが一列に並ぶ。


「余り使いたくはない手だ。仕事をした感覚がないのは嫌なんだがな」


 グラスリッパーの目から光が無くなっていく。口は半開きになり、涎が垂れ下がり、ゴツゴツとした歯が覗く。


「やろう、俺より先に寝やがったな」


 グラスリッパーの意識は消え、体は本能のみで動くただの機械のようなものへと成り下がった。


「……こういうやけくそになっちまったやつのが厄介なんだよな」


 グラスリッパーが一斉に走り出す。互いにぶつかり、倒れ、蹴られ、踏み潰されようとも構わずに一体でもスロールの元へと辿り着こうとするかのようにただ走る。

 走り出してわずか100mもない距離でグラスリッパーの数は半分以下となっていた。

 だが、スロールにとっては1体でも致命的な怪我を負わせてくる危険な生物であることに変わりはない。


「……全部削り合って全滅してくれりゃあ楽なんだがなあ。まあここで死んでもいいが、誰も手向けてくれないのも寂しいや。『樹懶ナマケモノ’ズハート』っと」


 スロールはここでようやく能力を使う。手前10mの距離までグラスリッパーの1体が近づいてようやくだ。

 スロールに起きた変化はまずは巨大化。大きさはおよそ8m。大型であるはずの馬のグラスリッパーも見上げるほどだ。

 そして見た目も変わっていく。人間化していた姿はグラスリッパーと同様に動物の姿へと、だがナマケモノとは別種の存在へと変化していく。


 メガテリウムという生物が古代にはいた。すでに絶滅したが、それは地上で生活をし、肉食であったという。見た目も今とは違い、熊と似ていたという。

 8mの熊。それがいかに恐ろしい存在かは見れば分かるだろう。

 スロールの能力はこのメガテリウムの姿になること。

 動きたくない彼はわずかに動くだけでも多大なるダメージを与えられるこの能力を選んだ。彼らしい能力であった。



 爪の薙ぎ払い一振りでグラスリッパーが吹き飛んでいく。

 疲れたらグラスリッパーを口に運び捕食していく。

 もちろん、グラスリッパーは無数にいるため1体が食われようと他にたくさんいるのだから痛手ではない。少なくとも数の上では。


「……怖い怖い怖い怖い怖い怖い」


 消えたはずの理性は死への恐怖という別の本能によって呼び戻され、そして呼び戻された理性は再び恐怖する。生きたまま捕食をされるという体験を繰り返し行い、グラスリッパーの精神は病んでいく。磨り減っていく。


 これ以上食われたくないという恐怖が能力に影響し、やがてグラスリッパーは1体を残しすべて消えていく。


「見つけた」


 残された1体は呆然としたまま近づいてきたスロールを見上げ、捕まえられ、口へと運ばれていく。


「……俺、働きすぎだったのかな」


 かつて競走馬であったグラスリッパー。その夢は気兼ねなく自由に走り回ることであったが、能力を使ったことで叶えられた。そしてその能力の中死んでいった。


 グラスリッパーが死んだことにより能力が完全に解け、草原から檻の中へと戻っていく。

 同時にスロールの能力も解け、元のだらしのない男の姿へと戻っていく。


「げふ。腹一杯馬刺しも食べたことだし、昼寝でもすっかな」


 そしてスロールは再び惰眠を貪っていく。

 彼にとって生きることは仕事ではない。生きているから生きているだけなのだ。仕事なんかいつでもやめてしまえばいい。そして気ままに生きていればいいさ。

 それが彼の持論であり、彼にとっての正論だ。

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