6話 適応生存
バッターの『
おそらく老人は目の前が真っ暗になり慌てふためくであろう。
そうバッターは思っていたのだが……。
「ふむ、何も見えんのう」
老人はまるで平然と受け入れていた。
何事もないように。動作は発動前と同じ。始めから視力などなかったかのような振る舞いだ。
「見えないってことは能力が効いているはずなのに……なぜだ!」
鳥類が己の視力に絶対の自信を持っていたように、バッターも己の能力に絶対の自信を持っていた。この能力をかけたが最後、相手は何も見えず、超音波で相手の位置が分かる自分のほうが有利だと思っていた。
「まさかお前も超音波で位置が分かるというのか⁉」
自分と同じ能力を持っているなら説明がつく。
しかしならば厄介だ。自分が能力を使ってもまだ何も状況に変化がない。
これで相手の能力がただの超音波だけでなかったら……。
「うん?超音波?何じゃそれは」
「へっ……?」
だが、老人から発せられた言葉は予想外のもの。
「儂にそんな器用なことはできんぞ。できるのはただ、この場に、状況に合わせることのみ」
老人が動き出したのを感じる。こちらの位置が明確に分かっている動きだ。
バッターは慌てて老人へ殴り掛かる。牙があることを忘れるほどに慌てて。
「貴様がせっかく能力を使ってくれたのだ。儂も『
そうして老人――シーラカンスのジュウゾウ――は語り始める。
己の能力と性質を。
ジュウゾウは実験が始まる時にはすでに寿命を迎えようとしていた。
すでに百年余りを生き、最後にはこの動物園で穏やかに死ぬのも悪くないと思い始めていた。
珍しさもあり以前は来場者も多かった。ジュウゾウもそのときは張り切ってガラスに近づくなどのアピールをしていたが今はそれも懐かしいほど毎日暇な日である。だが、それでもいいのだ。
平穏で平和であるならば、この日常が保たれているならば何も問題はない。
そう、日常に変化がないなら、何の文句もなかったのだ。
シーラカンスは生きた化石と呼ばれるほど化石で発見された数千年前のものと今でも生きているものに変化がなかった。
進化する必要がない場所に棲んでいたから変化がなかったのか。
変化したくないから進化する必要のない場所に棲んでいたのか。
理由は分からない。だが、ジュウゾウは変化を嫌っていた。
変化を嫌うジュウゾウに宿った『
熱い環境なら身体がそれに慣れる。寒いなら寒さに慣れる。
環境に身体が左右されない能力。
ある意味で変化ではあるが、ジュウゾウはこれを進化と思うようにしていた。
変化は嫌いだ。だが、進化は生きるために必要なもの。今まで進化することがなかったのはこの現状を元の動物園に戻るためである、と。
ジュウゾウの能力は身体に永続、半永続的にかかる影響を打ち消す。
一瞬の衝撃だけは無効化できないが、今や電流にも対応できるようになった。
首輪からの電流は気絶程度では済まない電圧となっているが、ジュウゾウには全くと言ってもいいほど感じていない。
無効化ではなく対応であるため、能力が発動されてから効果が発揮されるまでは幾ばくかの時が必要だ。電流も一時的に痛みが走った。視界が闇に包まれて何も見えない時間もあった。しかし、長い時を生きたジュウゾウはそれしきでは狼狽えない。
視界が闇に包まれてからわずか5秒。それだけの時間で視覚以外の感覚が発達した。
今では皮膚で風の流れを感じ、嗅覚で相手の状態を知り、聴覚で位置取りや状況を判断できる。
「くっそぉぉぉ!」
能力をかけた張本人が効果がないと知り殴り掛かってくる。
汗の臭いや心音から焦っているのが手に取るように分かる。
先ほどちらりと見えた牙は鋭いように思えたが、攻撃手段は拳。そこまで強靭なようではなかったはずなのに。
「……若いのぉ」
自分の思い通りに事が運ばないとすぐに混乱する。場の状況に合わせられない。
ジュウゾウは最小限の動きで拳を避け、腕を絡めとる。
ジュウゾウの身体能力はそこまで高くない。人間に比べれば高いが、動物相手だとやはり劣る。
「……へっ。俺の腕を折るってか?そんなに弱い力じゃ」
バッターの腕を絡めとる力が弱いのはジュウゾウの力が単に弱いからではない。余分に込めてないからである。振りほどけない程度の力しか必要ないから。
「これでいいんじゃよ」
言われるまでもないが、ジュウゾウの身体には首輪から発せられる電流が流れている。
電流はジュウゾウを気絶させるか殺すまで止まらない。そういう風に設計されているから。
その身体に触れた相手がどうなるか……想像は着くだろう。
「ぐわぁぁぁぁぁ!」
ジュウゾウの身体からバッターへと電流が伝わる。
ジュウゾウが気絶しないため、時間が経過するごとに強くなっていく電流が。
数秒と経たなかっただろう、それだけでバッターの心臓は止まる。全身から焼け焦げた臭いが立ち込める。
「すまんのう。貴様がこの動物園に変化をもたらすような存在だから、儂は殺すしかないんじゃ」
バッターの腕をほどき、ジュウゾウは立ち上がる。
「ああ、そうそう」
一度背を向け、歩き始めたジュウゾウはすでに絶命したバッターへと振り向く。
「哺乳類だなんだと聞かれたが、儂は……シーラカンスは魚じゃ。……まあ何でそんなこと聞いたのか、よう分からんがの」
そして再びジュウゾウは歩き出す。変化を消すために。
一度眠ったらこの電流はジュウゾウが気絶したと判断し、流れなくなるだろう。
また明日、何か人間にしないといけないかのう。そうジュウゾウは思いながら弱くなった視力を捨て、鋭くなった他の感覚を張り巡らせる。
視力がなくなってこれから闘いに困ることはない。代わりに発達した聴覚や嗅覚で余りうるほどに補える。もし少しでも心残りがあるのだとすれば……
「昔来てくれた人間たちの顔はもう見れんのが残念じゃのう」
いずれは聴覚が無くなり人間の声が聞こえなくなり、嗅覚が無くなり人間の臭いが分からなくなるのかもしれない。その度に他の何かが発達して代わりとなっていくのであろう。
だが、それだけで済むのなら。ジュウゾウ一匹の感覚が無くなるだけでこの動物園の変化が無くなるのなら……
「それで死ねるのなら本望じゃわい」
こうして、哺乳類にかろうじて感謝をし、鳥類を憎んでいたコウモリのバッターは魚類に負けた。鳥類に負けなかった分、これで当人には幸せだったのかもしれない。
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