5話 『見せない』
「錺さん、あの動物は一体……」
それは、実験が開始されてから数日が経ってのことであった。
動物園入り口の監視カメラを見ながら黒服の一人が尋ねてくる。
「おや?伝わってなかったんですかねえ。ほら、会社の方で実験したときはネズミが使われたじゃないですか。あれとは別の個体なんですがね、能力が面白かったので特別に参加させてみました。ちなみに一匹目のネズミはその場にいた研究員を皆殺しにした後、射殺されました」
「面白いって……あまり他にいないような能力なんですか?」
淡々と事務作業を行いながら錺は答える。
「ええ。単なる身体強化系は角や牙、爪など身体の一部を強化しますが、稀に相手に対して何か効果を及ぼす能力もあります。実際、『見えない暗殺者達』にもそういった能力の持ち主はいますしね」
書類作業を終えた錺はノートパソコンを開く。
「……そうだ!このネズミも『見えない暗殺者達』に入れておきましょう。まあ私たちが勝手にそう言っているだけなので彼らには仲間意識などないでしょうが」
そう錺が言うからにはこのネズミの能力も『見えない』ものなのだろうか。
黒服は聞きたい衝動に駆られるが、錺からは能力に関する質問は受け付けないと言われている。自分で見極めろと。死んだ動物の能力は報告書に纏められるため、知ることはできるがそれでは何か負けたような気持ちになる。
「うんうん、いいですねえ。では、私はこれで失礼しますよ」
「今日も早いですね」
時刻はまだ午後5時にすらなっていない。安心安全製薬には定時というものはないが、それでもこの時間は早すぎる。
「ええ。今日は妻との結婚記念日でして。家族で外食なんですよ」
またかよ、そう黒服が錺の家族面における普通さを思い知っているうちに錺は帰宅していった。
【エボリュー動物園にて】
「ふむ、鳥類も檻の外に出ている者はあらかた狩りつくしたか」
人型となった鳥類には腕に翼が生えている、羽が顔や手にある、嘴があるなど鳥らしい特徴が見える。
コウモリのバッターは鳥類を専門として狩っていた。
鳥類――とりわけ猛禽類は総じて視力が良い。高空から獲物を見つけ、下降してくるのだから。
優れているものがあるから狩りの対象となる。劣っているのではなく、優れているゆえに対象となる。普通の狩りであれば、闘う相手の基準とするならおかしいのであろう。だが、バッターにとってはこれが普通で、最善である。
『
視角不能化とは見えない、この一言で片づけられる。
視力が良かろうとも見えない。暗視能力があろうとも見えない。視野が広かろうとも、動体視力が良かろうとも、未来視があろうとも、過去視があろうとも、千里眼があろうとも、視覚を共有しようとも、新たに目を増やそうとも、透視ができようとも、紫外線も赤外線も見えようとも、眼力がすごかろうとも、ステータスが見えようとも、見えないものが見えようとも、見えなければ何ら恐れることはない。
目から脳へと繋がる神経が切断されたかのように対象の視界は闇に塗りつぶされる。なまじ目に頼っていた者はそこで慌てふためき、そこをバッターが口に生えた鋭い牙で喉元の頸動脈を噛みつき殺す。
「あそこにもまだ飛んでいやがったか」
見ると、空には一人の少女が悠々と空を滑空していた。
「おーい!」
あまり広い範囲には聞こえない、だが空を飛ぶ少女には聞こえる程度の声で少女に自分の存在を知らしめる。
「何かしら?殺してほしいのね」
相手は制空権という圧倒的に有利な状況だ……と思い込んでいる。
「……馬鹿なことだ。いつから飛べることは偉いと思い込んでいる」
少女がこちらを見た瞬間、バッターの『
「え?何、急に目の前が真っ暗に……キャァッ」
視界が塞がれたことにより少女の飛行は歪み、曲がり、上下左右の認識が無くなり、やがて地面へと落下していく。
「な、なに?私に用があるんだったら、早くこれを何とかしなさいよ!
少女はなおのこと自分本位なことを言う。
だが、これでいい。このほうが殺したときに後味が悪くならないのだから。最も、命乞いをする者を殺すのも、死なないと思っている者を殺すのも楽しいのだが。
彼が鳥類を狙う理由、それは鳥類が視覚に頼り生きているからではない。
彼が――コウモリが鳥類ではないからだ。
ネズミに似ているから鳥類からはじかれた。
翼が生えているから哺乳類から仲間外れにされた。
鳥類と哺乳類のどちらからも認められず、仕方なく哺乳類に入れられたが、コウモリはそれですべてが解決したわけではない。
昼間は鳥類がいるから夜に行動するようになった。昼間は鳥の来ない洞窟の中で怯え暮らす。
哺乳類にはまだ感謝できるかもしれない。だが、鳥類には憎しみしかない。
「ちょっと!早く能力を解きなさいよ!」
ああ、威圧的だ。本当に鳥類は愚かしい。
「待っている。すぐに楽にして……いや、解放してやるからな」
暴れる少女を大人しくさせ、バッターは少女の背後へと回ると、その細い首筋へと齧り付き生き血をすする。
「あ……が……」
自分の活動量となる血をすすれば後は自然に致命量となる出血かショック死を待つだけだ。
今、少女がどのような表情をしているのかバッターには分からない。
『
本当に鳥類は愚かだ。こんなこともできないのだから。だからこそ殺しやすい。
「さて、思いのほか血を吸いすぎてしまった。これならもう一匹くらいなら狩れるか」
バッターの能力は体力の消耗が大きい。だが、血を吸うことで一時的に体力を上昇する。そのため、こうして獲物を殺す際には血を吸っているのだが……。
「今日は後一回くらいなら問題ないだろう。だが、念を込めてそこまで手間取らなさそうなのを……」
さすがに通常ならば一日一回発動が限界の能力を血を少し多めに吸ったからといって多用はできない。
「あいつでいいか」
バッターの前から一人の老人が歩いてくる。
こちらに気づいているのかいないのか、真っすぐに。
「小僧よ。貴様はこの有様をどう思う?」
バッターが声をかける前に老人が口を開いた。
しわがれているがそれでも凛と芯がある声だ。
「あん?この有様だって?」
すでに能力発動の条件は整った。老人がバッターを認識した時点で。
なら話に付き合うというのも一興だろう。元よりもう少し体力を回復させたいというのもあるが。
「左様。今の動物園は暴力と破壊に満ちておる。みな、秩序を忘れ、あのようなよそ者い園内を闊歩されて我慢ならないのか?なぜ今まで通りに大人しくできない?なぜ殺し合う必要がある?」
「そりゃあ、一か月を生き残るためじゃないのか?だから殺しているんだろ」
一か月間、生き残れたらこの動物園から出られるとあの人間は言っていた。
だからどの動物も生きるために殺しているんだろう。そうバッターは言う。
「それは建前じゃろうて」
「なに?」
「本音で語れよ、小僧」
老人は声を荒げる。
「あの人間は生き残った者がここから出れるとは言ったが、別段殺した者だけが出られるとは言ってはおらん。檻の中で一か月過ごしていれば良い。そんなことすら分からんような頭の持ち主はここにはおらんじゃろう」
実際にはそれすら分からない動物も何匹かいた。だが、それは生来から殺しを楽しむ者や死に対して何ら執着も遅れもないものばかりだ。
そして、バッターは
「……そんなこと分かってるんだよ」
分かっていながらも殺すものであった。
「だけどよ!このチャンスを逃したら鳥どもに復讐ができないんだ!なあ、分かるだろ?」
「分からぬな。儂は全てを耐え、生きる方が性に合うておるのでな」
「……ハッ。所詮は臆病風に吹かれたやつってか。最後に聞いておこう。アンタは哺乳類か?」
鳥類か哺乳類か。哺乳類ならば見逃そう。だが、鳥類ならば……
「否。儂は哺乳類などではない。そう、儂は……」
「ハハッ!爺さん、楽しかったが、話はこれまでだ。鳥だったこと、それにこうしてノコノコと檻の外を出歩いていたことを恨むんだな!」
バッターの『見えない暗殺者達』と言われる所以の能力が発動する。
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