22話 嫁たち

 ゆったりとした午後。リオン坊ちゃまもお昼寝の真っ最中で静かな時間が流れていた。


「奥様、お茶の用意ができました」

「あら、もうそんな時間なのね」


 刺繍をしていた手を止めて、モニカ奥様は顔をあげた。そろそろ休憩にジェラルド司祭も戻ってくるだろう。そんな矢先のことだった。


 ――ドンドン!ドンドン!


 突然表の扉が激しく叩かれた。うわっ、ビックリした。大きな音にまどろんでいたリオン坊ちゃまも泣き出す。午後の静寂は唐突に破られた。


「はいはい、お待たせしました!」


 扉を開けるとそこに立っていたのは……勇者の小田さんだった。


「おおう、アンナマリーか……」


 その顔は憔悴しきっている。例の鎧も身につけずに軽装で荷物も鞄ひとつだけ。


「あら、ハヤト。いきなり何しに来たの」


 私が意外な訪問者に驚いて固まっていると、リオン坊ちゃまを抱いたモニカ奥様がやってきた。


「ああモニカ。ちょっと匿ってくれ」

「ええ……匿う? まぁここで立ち話もなんだから居間へどうぞ」

「すまない」


 小田さんは居間のソファーに座ると、ようやくひと心地着いたというように深い息を吐いた。


「アンナマリー、お茶をひとつ追加でね」

「はい」


 私は厨房にとって返してセシリーとケリーさんにお客様が来たことを伝えた。


「お客様?」

「まさかこの間の……」

「それは大丈夫。ケリーさんは知ってるでしょ、以前ここに来た勇者の小田さん」

「ああ……それにしても急だね」

「そうなのよ」


 追加のお茶を持って居間に戻ると、ジェラルド司祭も教会の執務室から戻ってきている所だった。


「ハヤト、どうしたんだい?」

「ジェラルド。それが……嫁たちが喧嘩して手が付けられなくなったんだ」


 ん? 嫁たち? 嫁が複数形? 大事な人が出来たって言ってなかった?


「……それはそれは。こんな所にいないで早く帰った方がいいんじゃないか」


 ジェラルド司祭はため息を吐くと珍しく冷たく小田さんに言い放った。


「大体ねー、ハヤトはお嫁さんを貰いすぎたのよ」

「だって、アンジェラもチェルシーもヘレンもサブリナもみんな可愛いんだ……!」


 くっ、と小田さんは呻くと悔しそうに膝を叩いた。なんかかっこつけてるけど言ってることがおかしい。


「その可愛い妻たちを置いて、ハヤトはこんな所まで何しにきたんですか」

「だからいったじゃないか、ちょっと匿って欲しいと」

「逃げてもどうにもならないですよ、さぁ帰った、帰った」

「そんな事いわないでさぁ~!!」


 小田さんは情けなくジェラルド司祭に縋り付いた。


「うわ、カッコ悪い」

「なんだと、アンナマリー!」

「あっ」


 思わず口から本音が。元が同じ日本人だと思うとどうも遠慮がなくなるのよね。しかし小田さんはジェラルド司祭のご友人だ。この態度はよろしくなかったわね。


「ごめんなさい……」

「いいのよアンナマリー、確かにカッコ悪いもの」

「モニカまで!!」


 モニカ奥様にも冷たくされて小田さんはさらに泣きそうな顔になった。


「モニカ奥様、聞いてもいいですか?」

「なぁに? アンナマリー」

「小田さんにはそんなに沢山の愛人が居るんですか」

「愛人じゃない! 妻だ!」


 私の質問を遮ったのは小田さんだった。


「アンナマリー、日本は一夫一婦制だったがこの国は違うんだ」

「だからって四人もお嫁さんを貰うのは珍しいけどね」


 なぜか腰に手をあててドヤ顔の小田さんの言葉をモニカ奥様が補足した。


「で? なんで奥方たちは怒ってるんだい、ハヤト」

「それが……もう一人……妻を迎えようと……」

「はぁ?」

「気の毒な子なんだ。両親が亡くなって……」

「猫の子じゃないんですから」


 うーん、小田さんは情にほだされるとすぐに奥さんにしてしまうきらいがあるらしい。


「そんなの使用人として雇えばいいじゃないですか」

「へ……?」

「あのね、女だって職さえあれば立派に食っていけます。私だって12歳ですけどちゃんと自分のお給金を稼いでいるんですから」

「そ、そうかな……」

「そうです! 小田さんは今居る奥さんを大事にすることをまず考えてください」


 しゅーん、と小田さんは私にしかられて小さくなってしまった。言い過ぎたかなぁ……このちょっと憎めないところが小田さんの良いところでもあるんだけど。


「じゃあ、俺帰るわ。このままだと……」


 そう言って小田さんが席から立ち上がろうとした瞬間だった。バーンっと大きな音を立てて扉か開いた。


「ジェラルド! モニカ! いるか?」


 そこには長い紫の髪をたなびかせ、大剣を担いだ美女が立っていた。


「あっ、あっ、あっ……アンジェラ!!」

「おう、ハヤト。やっぱりここに居たな。男のくせにこそこそ逃げ回りやがって」

「それはそのう……」


 小田さんの奥さんのひとりか。かなりの美人だけどすごい男勝りだ……。小田さんちょっと意外な趣味してるのね。


「アンジェラ、エミリーの事は使用人として面倒をみることにしたから……そんな怒らないでくれ」

「はぁ!? あんたあんな可愛そうな子を放って置くつもりなの?」

「いや、放っておくとかそういうんじゃなくて」

「他の嫁たちはあたしが説得した。安心しな!!」

「えええ……!! ちょっと、どうやって!?」


 アンジェラさんはそう言って小田さんの襟首を掴むとズンズンと出口に向かって引き摺っていく。


「あのう、お茶でも一杯いかがですか」


 私がそう声をかけると、そこではじめてアンジェラさんは振り返った。


「気遣いは無用だ。お騒がせしたな」


 そうして颯爽と小田さんを連れたアンジェラさんは去っていった。私をはじめ旦那様と奥様も唖然としてその姿を見送るしかなかった。


「あの……小田さんの奥さんが増えて行くのって」

「ええ、もしかしたらアンジェラのせいでもあるかも……」


 ――小田さんの未来に幸あれ。私はそう祈らずには居られなかった。

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