12話 変わった患者(前編)
「はいはい、おっぱいですよー」
「むー」
かぁわいい。モニカ奥様の胸に顔を埋める赤ちゃん。ジェラルド司祭とモニカ奥様の間に産まれた男の子はリオンと名付けられた。モニカ奥様に似たスミレ色の瞳の赤ちゃんはよく泣き、よく笑い、よく眠ってすくすくと育っている。
「はい、ねぇやとねんねしましょうねー」
「あぶぅ」
お腹いっぱいになったリオンちゃんをゆすりながら、ゆりかごに寝かせる。温かい小さな体はミルクの香り、プニプニのほっぺが美味しそう。
良い子のリオンちゃんはゆりかごの振動にウトウトとしてやがて寝入っていった。
「さって、お皿を洗ってきます!」
子守の他には皿洗いに掃除、それから料理も。
「ケリーさん、お待たせしました」
「リオン坊ちゃんのご機嫌は治ったのかい?」
「お腹が空いていたみたいです」
先に洗い物をしていた大先輩のケリーさんの横に立ってお皿を拭いていく。ケリーさんからは仕事のいろはを色々と教えて貰っている。本人がさっぱりした性格なのも助かっている。ねちねちした先輩とか四六時中一緒にいるのはやだもんね。
「それにしてもあんたが来てくれて助かったよ」
「ケリーさん、急にどうしたんです?」
「いやねぇ、大人二人ならともかく赤ん坊の世話までってなるとあたしには手に負えないだろうと思ってね」
そうなのだ。それまで奥様も家事をしていたし、ケリーさんが手早く片付けてしまうので家事の方は回っていた。そこにリオンちゃんが産まれて、手が回らなくなった。今は私の仕事の半分はリオンちゃんのお世話が占めている。
「アンナマリー、ちょっと来てくれるかい?」
「ジェラルド司祭様。なんでしょう」
そんなある日、私はジェラルド司祭に呼ばれた。日中はこちらのお屋敷にいるので村の人が病気や怪我で私を頼りに来る事もある、だからこういう事は時折あるのだ。
「今日はどなたが?」
私も当然、そういう事だと思ってジェラルド司祭の元に行ったのだが、ジェラルド司祭の顔色がちょっといつもと違った。
「うむ……アンナマリー、君への治療の依頼……ではあるのだが」
「なんでそんな顔をしているんです?」
「その、司祭である私がこんな事を言うのはなんなのだが……ちょっと変わった人物でね……」
困ったような顔のジェラルド司祭。せまい村の事情だ。私はそれで誰の事を言っているのかすぐに分かった。
「もしかしてオルディス卿のことでしょうか」
オルディス卿は近頃村の外れのお屋敷に移り住んできた老貴族だ。こんな所になんで来たのか村人たちは首をかしげているのだ。屋敷の人間ともほとんど交流がなく、変わった人物なんだろうと皆決めつけている。
「うん、その通りだよ。足がひどく痛むので見て欲しいそうだ」
「そうですか……分かりました、行きます」
「いいのかい?」
「ええ。私、転生したせいで戦争で力を発揮出来なかったでしょう? ですから手の届く範囲の人は治してあげたいって思っているんです」
私が転生をしないであの勇者の小田さんのように転移していたら、きっと共に戦場を駆けていたのだろう。そう思うと申し訳ない気持ちもあるのだ。
「アンナマリー……それは君のせいではないよ」
「ええ、一応分かってはいるつもりなんですけど」
理屈ではそうなんだろう。でも私は、特に奥様の一件と出産があってから自分が自由でいる事よりも身軽な身分でいることでより多くの人を癒やしたいと思うようになってきていた。きっとその方が王城で聖女としてただ祭り上げられるより、人の役に立つんじゃないかと思うの。
「じゃあ、行って参ります!」
私はジェラルド司祭にりりしく敬礼をすると、教会を後にした。たしか、オルディス卿の住まいはこっちの方だね。てくてくと歩いていくと古びた屋敷が見えてきた。
「これは……」
庭先の手入れも行き届いてない古い屋敷。これじゃまるでお化け屋敷だ。私は恐る恐る、入り口のドアに近づいた。
「すみません! アンナマリー・ヘザーです。ジェラルド司祭の依頼で参りました!」
私の声に応えるようにギイイッとドアが軋みながら開いた。そこから顔を覗かせたのは、ケリーさんよりもっと年配のお婆さんとお爺さんだった。
「おお……お嬢ちゃんが、回復魔術師なのかい?」
「はい、そうですけど」
この二人が使用人なのか。これじゃ庭まで手が回らないのも無理はない。
「ああ、よかった。あなた、これで旦那様の具合もよくなるよ」
「よかったなぁ」
どっちかっていうとこの二人の方がなんかしらの治療が必要そうだけど。その旦那様とやらはそんなに具合が悪いのかしら。
「さあさ、こちらへ」
お婆さんメイドの先導で、屋敷の二階へと向かう。薄暗い室内はなんだかこっちの気分まで暗くなってくる。さっきまで賑やかに赤ちゃんの相手をしていたから余計に。
「旦那様、治療師さんがきましたよ」
「……入れ」
主寝室のドアをお婆さんメイドが叩くと、不機嫌そうな声で返答があった。ドアを開くとそこにいたのは眉間に皺を寄せた老人だった。
「アンナマリーと申します」
「まったく……必要ないといったのに。まぁいい。ヒルダ、二人にさせてくれ」
「かしこまりました、旦那様」
メイドが出て行くのを見届けると、老人――オルディス卿はベッドがら身を起こし、こちらに向いた。その時も顔をしかめて辛そうだ。
「では、治療をいたしましょう」
「ああ、と言いたいところだが……すまない帰ってくれないか」
「ええっ!?」
いかめしいその顔からは感情が読み取れない。呼んでおいて帰ってくれですって!? ふざけているわ。
「お前も知っているだろう。老いは回復魔法ではどうにもならんよ。あの二人には私から言っておく」
「あの……それでも痛みくらいは取れるかも知れませんし」
「必要ない」
ピシャリと、オルディス卿は言い放った。その目にようやく見えた表情は……何かに諦めたような表情だった。予想外の事態におたおたしている私を見て、オルディス卿はちょっとだけ表情を緩めた。
「よかったら……」
「?」
「そこの本を読んでくれるかね。ここの使用人は皆、目が悪くてね」
治療を拒否した老貴族からの提案は、これまた変わったものだった。
「どうした? すぐ帰らなければならないのかい?」
「いいえ、そんな事はないです」
私は枕元の本を手に取ると、しおりを挟んだところを開いて読み始めた。……どうしてこうなったのかしら?
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