第10話 鉛筆と邪念

 鉛筆をカッターで削る。子供の頃、父に教えてもらった時のことを思い出す。力を入れすぎないで、六角形のそれぞれの角を均等に落とすように。少しも難しいところのない、何でもないことのように父は実際に削りながら教えてくれたけど、きちんと削れるようになるには時間がかかった。僕はまだ4歳だったから。まだ早いと止めることなく、ましてや何で出来ないんだと叱ることもなく、ただ淡々とお手本としてその度に鉛筆を削ってくれた。父はいつも僕を子供扱いしないで、やりたいことはできる限りやらせてくれたし、出来なければなぜそれができないか、またはやらせたくないかを僕が納得するまで話してくれた。子供に対する大人の対応として、父のそれが当たり前でなかったことは、自分が成長するに従い、特に社会人になってから身にしみて感じている。


 カッターの刃が柔らかく木肌を削いでいくと鉛筆の芯に行き当たる、その時の感触の違い。ぼそぼそぼそと鉛筆が削れていく。削った鉛筆の芯を自分に向けた時に、削った面どれもがきれいに揃うように……。


 今はパソコンで文字を打つばかりで手で書くことは殆どしないし、鉛筆を使う必要もないけど、アイデアを出したり、考えをまとめるような時など、僕はしばしば鉛筆を使う。そしてわざわざカッターで鉛筆を削るのは、気持ちを仕事に向かわせるための儀式みたいなものだ。あとは単純に好きというのもある。


 要するに、松岡は内田さんが好きなのだ。うちの社内でそう思っているのはヤツだけではないし、それはこの会社だけの話ではないだろう。彼女の舞台を観れば多くの人がどうやっても惹かれてしまうし、彼女を好きになるに違いない。普段の彼女だって、人としても女性としても、見た目も性格も良いのだから好きになるのも全然不思議ではないのだ。松岡が惚れるのも分かる。

 僕にとって松岡は気のおけない友達だ。社会人になると、友達と呼べる存在が新しく出来るなんてことは本当に稀だ。元々友達が少ない僕にはなおさら貴重といえる。ただ、だからといって僕が松岡に協力する義理はないのだ。いつもはストレートな態度をとる松岡が変に遠回しになるのも気に入らない。一緒に歩いていたのは誰なのか聞いて欲しいのだろう。僕も知りたい、でも聞いてどうするというんだ? 彼女に付き合ってる人がいてもまったく不思議じゃない。いや、いない方がおかしいだろう。でも、僕があえて聞かなくちゃいけないことなのか?


 僕のもやもやした思いも、カッターで削り落としてゆく鉛筆の欠片と共に払い落としていく。仕事に集中できるように。


 いや、そもそも、内田さんに釣り合う相手っているんだろうか。


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