第9話 嫌な話

「あのな」

ため息と共に僕は言った。松岡はそんなの分かってると言わんばかりにニヤっとしながら、

「彼女は忙しいの?」と聞いてきた。彼女が忙しいかなど僕に分かるはずもない。広い意味で編集のバイトである内田さんは、5つある編集部のフォローをする貴重な戦力として暇な時などないように、いつだってサクサクと仕事をこなしているのだ。そう、バリバリとかガツガツという感じの前のめりな必死さとは無縁のクールさで、もちろんダラダラなどではあろうはずもなく、例えそれが郵便物の仕分け作業といった、頭を使わずに機械的に出来るような単純なことであっても、彼女にかかると何かすごく価値のあることをやっているように見えるから不思議だ。どんなことであっても任せられるから、各編集部から引く手数多なのだ。本来なら総務付きのバイトとして、総務の担当が彼女の仕事を管理すべきところ、今では彼女自身の裁量で各編集部の仕事をこなすようになっていた。


「まあ、いつだってフルで仕事してるだろ」

彼女の忙しさは彼女しか分からないのだ。言ってはみたものの、松岡がそんた事情を知らない訳はなく、話は別にあるのだろう。どうせろくでもないことだろうが。

「この前さ」

松岡が言ったところで麻婆豆腐がテーブルに出された。続いて僕の前には青椒肉絲だ。暫く黙々と食べる。元よりいかなる携帯の電波も通さない場所なので、食べることに集中だ。

「この前、カナちゃんに合ったぜ」

猛烈な勢いで食べながら松岡は言った。誰に対しても基本、下の名前で呼ぶ松岡に改めて突っ込むことはしない。ここは慎重に行かねば。

「会った?」と疑問符をつけて返す。「まぁ、会ったというか、見かけたというのが正しいか」松岡は修正する。「会ったというのと、見かけたというのはだいぶ意味がちがうね」

僕は冷静に指摘する。そう、大違いだ。松岡は何ともいえない顔つきになった。あまり言いたくないからだろうか。話したくもあり、話したくないことなのだろうか。だとしたら僕はあまり聞きたくなかった。でももうそれも遅い。

「わりとイケメンと一緒に歩いてたんだ。親しげに」

やっぱり、聴きたくなかった話だ。内田さんが誰といようが何をしていようがまったく自分には関係のないことだ。彼女とそれなりに仲が良いのはあくまでも会社の中だけであって、それ以外の、彼女が過ごす時間の大部分は、自分とは関係のないことであるのだ。それは当然なことだと分かっているが、改めて認識することが僕はあんまり好きではない。自分のことを取るに足らない存在であるかのように考えてしまうからだ。そんなことを僕に話してきた松岡に、腹立たしい気持ちでいっぱいだ。


 まったく。せっかくの美味しい青椒肉絲も台無しだ。

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