第8話 忙しい時に限ってヤツが来る

「薫〜」

昼過ぎになって避けて来た特集記事に取り掛かり始めたところで、営業の松岡がやって来た。人の名前をこんなにも軽々しく呼ぶことができるヤツは、この同期の松岡の他にいなかった。

「悪いけど、今は忙しい」

どんなに言ってみたところで引き下がる訳はないが、とりあえず言わないではいられない。

「何忙しぶってんだよ。ちょっと俺の話を聞いてくれよ。つーかメシいこ」

「忙しいんだよ。お前、外回ってこいよ」

ようやくやる気になった特集記事を、これ以上留めておくのはいくらなんでもまずい。僕が記事のラフを持ってくるのを、何も言わずに辛抱強く副編の吉野さんは待ってくれているはずだ。「何言ってんだよ。今戻ってきたとこだよ」

朗らかに松岡は言うが、僕は知ったこっちゃない。しかし、これ以上仕事のペースを乱されるのは御免だ。

「奢ってくれるならいい。だけど、あと1時間は掛かる」

にやりとして松岡は去って行った。


松岡修斗は、今から6年前、この出版社に僕と同期入社した男だ。遠慮のない男だったので、こっちも遠慮なく相手ができて基本的にいいヤツなのだが、たまに鬱陶しい。ただ本当に放っておいて欲しい時は絡んで来ないし、本当に困っている時は必ず助けにくる。本当に助けになるかは別だが、とにかくいいヤツだ。基本的に。なので松岡が絡んで来たということは、僕もまだ切羽詰まってないことになる。そしてそれは間違いではないだろう。もちろん特集に時間を掛けたい。出来ればこのまま机から動きたくない。でも、まだいいだろう。とにかくあと1時間は集中して頑張ることにした。


1時間後。

「昨日も来たんだけどな」

内田さん御用達の中華料理屋に松岡は入っていった。そこそこ若いがおっさん気質の松岡らしい。昼のピーク時はさすがに禁煙になっていたが、煙草も可ということも若いくせに愛煙家の松岡が好む理由だろう。

松岡はメニューを見もせずに麻婆豆腐定食を注文し、テーブルの下からスポーツ新聞を引き出し何も言わずに読み出した。全く淀みのない一連の動作は完璧に常連のおっさんだ。若いくせに。僕の呟きはスルーされたので、何事もなかったかのように、青椒肉絲定食を頼み、スマホを取り出したところで手を止めた。そうだ、ここ、時の流れから取り残された昭和のビルの地下は電波が入らないのだ。どのキャリアもこのビルの地下に電波を通すことは出来ないようで、そのためにここに来たがらない人は多かった。スマホをポケットにしまったところで、松岡が声を掛けてきた。

「内田さんは元気?」


そうやって今日の天気がどうとかいうのと同じ感じで、内田さんのことを聞いてこないで欲しいと言ったことがあるのにコイツは……。


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