第7話 夜の10時は深夜なのか

 僕の会社は9時半が始業だ。営業だけでなく、自分の所属する編集部もほぼ揃う。いわゆる「働き方改革」の波が、僕の勤める小さな出版社にもじわじわとやって来ているのだ。いつの間にかそうすることを否応もなく求められる状況になっていたという感じで、経理と総務を兼任するような古参の社員が必死になって、お上からの決まりごとをうちの会社に落とし込んでいた。その目に見えるかたちとして、夜の10時以降の深夜残業の原則禁止が厳命された。夜の10時が深夜なのか、という根本的な突っ込みはありつつ、深夜残業代を今後きちんと出すようにしたら、うちのような出版社は立ち行かない、という理由にはもう納得するしかなかった。社内で大きく分けて5つある編集部はどこも不満はありつつも、それぞれ対策を求められた。そして、僕の編集部は、朝定時に来ることで、夜の10時前には必ず帰ることになった。それまで原則11時までに出社すれば良かったので、朝は割とのんびり出来ていたから、定時に間に合うようにするのは生活全体を変える必要があった。僕は入社から4年ほど営業部だったのでさほど苦にならない、と思いきや編集に異動してからの日々ですっかり鈍ってしまい、しばらくはラッシュ時の電車に辟易したものだ。これで6時半の定時の終業時間に帰れる訳ではないなら何の意味があるんだ、と思ったが、意外なほど午前中に進める仕事がはかどる。朝の方が頭が良く働くというが、これに加え、大学から続く睡眠時間の慢性的な不足を改めたことも効いたようで、頭はすっきり、さくさく仕事が進む。おかげで入稿してから校了までの5日間は例外として、確実に10時前に上がれるようになっていた。その意味では「働き方改革」万歳だ。

 さて、そろそろ取り掛かるのを後回しにしてきた特集の作業をしなければ。朝、10分ほどロスをしたとはいえ、始業の5分前に着いた僕は、アナログなタイムカードに打刻し机に向かう。そして今日やるべき仕事をメモに書き上げていく。これは僕の毎朝の決まった仕事の始め方だ。やるべきことは分かっている。でもすぐに手を出さないで、他のこともリストにしていく。特集の他、細々としたやることが7つくらい上がった。それをさらに順序付けていく。理想はいくつか軽く片付けられることをやった上で、仕事として重い特集記事に入りたい。できれば午前中には。もちろん今日中に全部を終わらせられないので、ライターへの発注、素材の手配、そしてラフには手をつけたい。そのためには、吉野さんに了解を得る必要がある。考えている中で、今日やらなくてもいい仕事も出てくる。そういったことをまず丁寧に整理してから、僕は実際の作業に入るようにしている。

 そんなことをしてると、内田さんが出社して来たのが視界の隅に入った。いつもながら話しかけづらいオーラを放っている。朝の彼女はあまり機嫌が良くない。社内の誰もが思っているのに、本人だけがそれを否定するからちょっと笑える。


 今日も変わらず、内田さんは呆れるほど美しかった。

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