第4話 今夜は麻婆豆腐

 昼に内田さんが食べていた時から、

 今夜は麻婆豆腐にしようと思っていた。


 僕は駅を出てすぐの商店街のスーパーでひき肉と豆腐、長ネギを買い、商店街の通りから細い路地を入ったところにあるアパートに帰り着いた。駅から5分も掛からない上に、独り暮らしには十分過ぎる環境、スーパーをはじめ、主だったファーストフード店、ラーメン屋、居酒屋、パチンコ屋、定食屋、弁当・惣菜屋、喫茶店、書店、レンタルビデオ店、クリーニング屋、床屋(美容院)などが駅ビルと商店街にある。そのくせ若者が少ない落ち着いたところで、なぜだか単身者にさほど引きがないようで、僕が住むアパートも駅近でありながら思いのほか安く、僕としては本当に申し分ないところだった。

 2階建て全部で8部屋というこじんまりしたアパートに僕は住んでいる。階段を上がって3部屋目が僕の部屋だ。帰るとまず外に干した洗濯物を取り込み、少し空気を入れ替えてから窓を閉めてカーテンを引く。リモコンで天井の明かりを点けると、1DKの部屋が明るく浮かび上がった。人によっては明るくないと落ち着かないというが、僕は逆に暗めの方を好んだ。テレビもつけっ放しにしておく方ではなく、専らニュースを見る時に限った。編集の作業をしていると、一日中机に座りっ放しでひたすら原稿を読んだりすることになるので、自分が現実世界から切り離されたような気分になる。そのバランスを取るように、現実世界の、今の自分とは直接関係のない出来事を無性に知りたくなるのだ。

 ご飯は1食分は残っているので、すぐに麻婆豆腐に取りかかる。買ってきた長ネギを細かく刻めばほぼ準備は完了だ。麻婆豆腐は、調味料さえ揃っていれば実は簡単に作れる。だから僕は合コンなどで料理自慢をする女の子が、僕が麻婆豆腐を作れることに「すごーい」などと本気で感心するようなら、その子の料理の腕前に疑問符を付けようと思っている。ただ、正直に言って、これまでにどんな女性ともそんな会話の流れになったことはない。ちなみに内田さんは全く料理をしないらしく、僕が自炊をすること、とりわけ麻婆豆腐を作れることにいたく感心している。料理をしないと言い切るのは、いかにも彼女らしいなと思った。


麻婆豆腐を作っていると僕は、決まって内田さんのことを思う。


 フライパンにゴマ油をひき、そこにスライスしたにんにくを入れ弱火でじっくり加熱していく。強火だとゴマ油の風味が飛んでしまうからだ。


 辛ければ良いってわけじゃないと内田さんは言う。単純に辛いのが苦手な訳じゃないことも合わせて力説する。


 にんにくの旨味が出たところで粗みじん切りにした長ネギを炒める。もうこの時点で美味しい匂いが漂ってくる。


 彼女は“どちらかと言うと”絹ごしが好きという。僕は“絶対”に絹ごし派だ。


 ひき肉を続けて入れ、醤油、お酒をたらし豆板醤、甜麺醤を加え、味を馴染ませたところで絹ごし豆腐を一丁丸ごと投入する。独りで食べるので、そのまま入れた後で適当に菜箸でざくざくと分けていく。形が崩れても構わないので予め豆腐を湯通しするのもなしだ。後はしばらく煮詰めて味を確かめてから、火を緩めて水溶き片栗粉を少しずつかけ回してとろみを付け、最後に山椒をかけて完成だ。


 熱々じゃない麻婆豆腐は許せない、という彼女の意見に僕も全く同意見だ。


 僕は出来上がった麻婆豆腐を深めのお皿に入れ、炊飯器からご飯をよそってリビングの長めのローテーブルに並べていただくことにした。

 まずまずの出来だった。


 もし僕が作った麻婆豆腐を内田さんが食べたらなんて言うだろう?

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