第2話 僕は浮ついてない

「それで?」


 昼休み、今朝の出来事をさっそく僕は内田さんに報告した。僕の頭の中の妄想ではなく、実際に起きたことをだ。できるだけ淡々と話したつもりだが、その間、思いのほか気持ちが浮ついている自分に少し驚いていた。そして、内田さんは僕の話を遮ることなく話終えるのを待ってから一言、「それで?」と素っ気なく言った。


「とりあえず以上です」

 内田さんの気の無い反応に軽く動揺していることを悟られないように、明るく返す。

「そこで彼女のいるホームに行って声をかけたとか?」

「いや、遅刻しそうだったんでそこまでは」

 内田さんは軽くため息をついてからクールに言い放った。

「蓮田さんは本当に呆れるくらい惚れやすいですね」


 そうなのだ。僕、蓮田薫がどうやら、他の人と比べ確実に惚れやすいことは僕と内田さんの間では周知の事実であって、そのことは以前、今目の前にいる内田さんによって明らかにされたのだ。彼女、内田 夏那かなさんは僕が勤める出版社にいるアルバイトだ。大学を去年卒業したが、そのままフリーターとして引き続き顔を出してくれている。彼女は大学から始めた芝居にはまり、仲間の劇団の舞台に上がったり、弱小事務所に形ばかり所属してオーディションを受ける日々を送っている。内田さんは女優になるという夢があって、それに対して頑張っている点で既に尊敬に値する人であったが、極めて美しい上に、僕と不思議なほど気が合う、稀有な存在だった。そしてさらに言えば、惚れやすい僕がその気にならないという意味において、まさに唯一無二の存在であるのだ。

 しかし、内田さんは再び溜め息をつくと、何も言わずに目の前の麻婆豆腐をかなりの勢いで食べ始めた。まるで、僕のしょうもない話を聞いたことを後悔するかのように、惚れ惚れするような食べっぷりで麻婆豆腐たちを片付けていった。僕は今朝のことを話すために彼女を昼飯に誘い、彼女のリクエストで会社の近くの穴場的中華料理屋にやって来たのだ。その店は途轍もなく昭和感溢れ、いつ建て壊しになっても不思議でない古い5階建てのビルの地下にあって、完全に時が止まってしまったような店で、主に50過ぎのおじさん達に絶大な支持を集めていた。そして彼女は、文字通り“掃き溜めに鶴”を地でいく、その店には全く不釣り合いな種類の人でありながら、昼のピーク時には煙草を吹かすおじさんたちと相席になるのも構わず、決まって麻婆豆腐定食を食べているのだ。


「その運命の彼女とどうしたいんですか?」

 食べ終わった内田さんはからかうような台詞とは裏腹に、感情を込めずに、いかにも僕がどう答えるのか分かってるけどとりあえず聞いてみた、という感じで言った。僕は少し慌ててしまった。なぜなら、僕は聞かれるまで何も考えていなかったのだ。どうしたい?


 確かに僕は一体どうしたいんだろう?

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