5

君と楓の木の下で(前)

 先生は変わっている。

 王立植物園ガーデンの首席責任者で、男爵家の嫡男で。愛想はないけれど顔立ちは整っていて背は高いし、この国では珍しい黒髪という異国風な容姿も悪くないのに。

 城下の一等地に下賜された立派な屋敷にも戻らず植物園の仮眠室に泊まり込んで、毎日毎日、地面と草木の面倒ばかりをみている。

 だからほら、こうして先生宛ての荷物や手紙は全部職場ここに届くんだ。

「先生、手紙届いてます」

 ちらりと俺の手元を見て、そのままつ、とずらす視線が示す先は温室の隅。落とした葉や小枝がつまれている一角。

「はーい、今日も焼却ですね」

「分かっているならいちいち確認するな」

「念のため、ってやつですよ」

 小さく息を吐いて、薬草を植え替え中の地面へと意識を戻す先生の目にはもう、俺も手紙の束も映っちゃいない。

「いいんですか? これ、今度の王家主催の夜会のお誘いでしょう」

「その王から、仕事を優先していいとの言質はとってある。問題ない」

 そうは言っても、今回の夜会は先生が見つけて栽培に成功した新種の薬草や、最近まで地味に流行っていた樹木の病の対応薬なんかに対する功労がメインのはずなんだけど。主賓が欠席っていいんだろうか。

「でもほら、マクドウェル家、サーバント家、ああ、こっちはジョンソン家……みんな綺麗どころと評判のご令嬢がいる家じゃないですか」

 適齢期からは多少過ぎてはいるが、まだ三十代前半。高名な植物研究家でもある独身の先生は、婚約者の定まっていない貴族令嬢にとって数少ない優良物件だ。そんな先生とどうにかして繋がりを作ろうと、こうして夜会の度にさまざまな家から手紙が届く。

 届くだけで先生が応えることはないのだが。

「なら、ルーカス。お前にやる」

「貰えるんなら喜んで貰いますけどね。その日はダイアナと約束してるんで遠慮しておきます」

「……サリーとか言ってなかったか」

「いやあ。ダイアナもちょっと気が強いところが可愛、」

 せっかく惚気ようとしたら、手を振って遮られてしまう。そのまま植え替えを終え丁寧に土をならすと、呆れたようなため息と一緒に使い終わった移植ゴテを渡された。

「相変わらずだな」

「だって女の子はみんなそれぞれ可愛いじゃないですか」

 本当に。サリーは色白でぽっちゃりしていて、ぎゅっと抱きつくと猛烈に気持ちいい。ダイアナはそのきつい目元が色っぽくてたまらないし、トレイシーは足首がセクシーだ。

 そりゃあ自分の気の多さは分かっているけれど、別に一人に決める必要もないし……偶然ばったり会っちゃって頬を張られることも、時々あるけれど。

 そんなことをいつも通り言う俺に、先生はいよいよ呆れ顔だ。

「ねえ先生。結婚はともかく、恋人くらい作っても」

「ルーカス、ここ一帯に水やりを。肥料は朝に言った規定の配合で。終わったらそこの不要物の始末、第三温室の世話と育種日誌。明日は城下西区域の貯水池周辺の調査だ」

 大げさにもう一度息を吐くと、先生はそれだけ指示を飛ばして温室の外に出て行ってしまった。

「はいはーい。人使い荒いなあ、もう」

 まあ、いいんだけどさ。薬品棚から瓶を数種類取り出し、水瓶に測り入れていく。

 最後に濃い緑色の液体をとぽとぽと深い瓶に落とし、両手をかざして反応を促すと弱く発光を始めた。

 ちょうどいいところまで変化を進ませ、手をかざしたまま水を吸い上げる。くるりと手のひらを上に返すと温室の中にシャワーのように雨が降った。

「まさか俺が、こんなご大層なところの水やり係になるとはね」

 魔力を誇る貴族の家に、力もなく生まれた厄介者――そんな俺を拾ってくれたのは、ほかならぬ先生だった。


 城下でフラフラとろくでもないことばかりしていた俺が、たまたま店に居合わせた先生に絡んで、コテンパンに負かされて。

 俺の中に隠れていた、自分でさえ知らなかった水魔法の素養。それに気付いた先生は、実家と王宮に話をつけ退学処分になっていた学園に復学させ、ついでに俺をガーデンここの職員にした。

 ――あれから五年。去年学園を卒業して十九歳になった俺は、今ではここの副責任者だ。といっても、職員は俺と先生とあと数名しかいない。

 作業を手伝う人たちは欠かさないが、地味な割に重要な役目を担う植物園は常に少数精鋭なんだそうだ。

 ……仕事は屋外が中心だし、朝も早いしでキツイから、なり手がいないのが実情だと思う。物は言いようだ。

 身の置き所のない自分に苛立っていただけで、別に好き好んで荒れていたわけではない。早々に実家からも見切りをつけられていた俺は、あのままだったら碌な人生ではなかっただろうことは明白だ。

 先生が俺を拾った理由は分からないが恩はある。

 返せるなんて思い上がってはいないが、俺が先生より出来ることと言ったら女の子を口説くことくらいだ。色恋沙汰を面倒がる先生にせめて可愛い恋人を、と頑張っているのに、当の本人に全くその気がない。

 なんでだろうなあ、確かに手間がかかることはあるけれど、女の子可愛いし、あったかいのに。先生だって、恋愛や結婚が絡まなければ人付き合いだって決して悪くないから、人間嫌いってわけでもなさそうなのに。

 前に聞いたら「間に合っている」の一言で取り付く島もなかったけれど、仕事ばかりでどうみたって恋人の一人もいる様子がないんだよな。いや実際、仕事はすごいし尊敬できるけど。

 処分する枝葉を抱えて温室の外に出ると、冷えた秋の空気が首元をかすめた。

「う、寒っ」

 外は紅葉が真っ盛り。この温室周辺はしなかばなど落葉樹が多くて、周りはまるで濃淡取りそろえた黄色の色紙をちぎり絵にしたような鮮やかさ。この金色に輝く景色は、たぶん、今日あたりが一番の見頃だろう。

 ……こうして景色を眺めて楽しんでいる自分がいるなんて、木の名前ひとつ知らなかった五年前の俺は信じやしないだろうな。


 また吹いた風に思わず首をすくめると、ぽたりと雫が眼前に落ちる。

 自分は濡れないようにガードを張っていたが、やはり多少は水がかかってしまった。こっち方面の魔術は今も得意ではない。新しい液肥は人体にも無害だけど、この気温では乾く前に風邪を引きそうだ。

 濡れた前髪に指を当てて魔力を込めると、水滴が細かい霧のように四散した。鮮やかな黄色の濃淡をバックに、秋の高い空にキラキラと消えていく雫は幻想的なものだと思う。

「わあっ、きれい」

「え?」

 誰かがいるとは思わなくて、驚いた俺は抱えていた木の枝や手紙を落としてしまった。

 植物園の立ち入りは許可制だ。今日は温室への来園予定はなかったはず。

 声のした方を振り向くと、俺の背の半分ほどの女の子が、消えていく水滴を笑顔で見上げながら走り寄ってきた。

もみえたの!」

「え、あ、それはよかったね……?」

 温かみのあるオレンジ色のドレス、同色の髪飾り。ぱっちりしたはしばみ色の瞳に長い睫毛。濃い栗色の巻き毛はつやつやしていて、きっとあと五年もすれば見事な美少女になるに違いない。

 君だれ? と言う前に予想外の質問を受ける。

「あなたがルーカスね! ねえ、キアランはどこ?」

「え、君、先生の知り合い?」

 俺の名前も知っている上に、キアラン・ハーフォードは先生の名前だ。こんな子供が先生を呼び捨てにするのは違和感があるが、あまりに自然に口にしているところをみると、いつもこう呼んでいるのだろう。親戚だろうか。

 俺の質問に女の子は花がほころぶようにして笑った。

「ねえ、どこにいるの? ケイトリンが、あいにきたのよ」

 ケイトリン。

 今まで先生からは聞いたことのない名前だ。でも親戚の話とかって、ほとんどしないからなあ。

 話すことといえば植物や土や水、天候のことばかり。

「ええっとね、さっき出て行っちゃって……事務室のほうにいると思うんだけど」

「じむしつ?」

「うん。ほら、あそこ。君、向こうから来たんでしょう、途中で会わなかった?」

 俺は林の端の向こうに見える茶色い屋根の建物を指差した。ここからだと大人の足で五分ほどはかかるそこに、昼にはなかった馬車が停まっているのが見える――ああ、なんだ。この子は視察に来た貴族が連れてきた子か。

 俺の指す方を見て女の子は見るからに肩を落とした。

「なんだぁ……あのね、かあさまにナイショできたから、すぐもどらなきゃいけないの。みつかったら、おこられるの」

「そっか。すれ違っちゃったのかな、残念だったね。一緒に行って、君の母さまに謝ってあげようか?」

「ダメなの! ひとりでもどるの!」

 膝に手をついて視線を合わせて送ろうかと言えば驚いたように肩を揺らして、自分の顔の前で大きく手を振ってみせた。

 と、くるりと向きを変えて、黄色く色づいた葉をはらはらと落とす木々の方に向かって駆け出した。

「あ、君」

「ばいばい!」

 舞い散る落ち葉に同化しそうな色合いの女の子の背中は、あっという間に小さくなる。

「まあ……あの方向なら、危ないことはないし」

 つむじ風のような出来事に唖然としつつも、落とした手紙や小枝に手を伸ばす。

 どこの家の子だろうか。仕草も話し方もまだ幼かったけれど、どこか雰囲気のある子だった。何度か視察に来た王女殿下達と少し似ているような、違うような――ああ、でも、あの栗色はマロングラッセみたいだったな。


 立ち上がりもう一度事務室の方を見たときには、女の子の姿はすでに見えなかった。

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