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甥と私と、それから彼と

 大好きなお姉さま、お義兄さま。

 秋も深まりだいぶ寒くなってきました。私たちはローズマリーの特製野菜スープのおかげか、風邪も引くこともなく元気です。

 お姉さまたちが天国にお引越しされてしまってから、早いものでもうすぐ一年ですわね。アッシュは先週三歳になりました。育ての親の私が言うのも何なのですが、とてもいい子に育っていますのよ。


 お義兄さま譲りのプラチナブロンドに、お姉さまそっくりの藍色の瞳のアッシュを見ていると、まるでお二人と今も共にいるようです。

 相変わらず外遊びが大好きですが、最近は家のお手伝いにも興味があるらしく台所に行ってはローズマリーの手元を覗き込んで野菜を洗ったり、お鍋をかき回したりしてくれます。ええ、もちろん、ご褒美のお味見が目的なのですわ。可愛らしいでしょう? それにちゃんと助かっていますのよ。チコリやレタスについた虫も怖がらずに綺麗に取ってくれますし。

 ローズマリーも、お嬢さまたちの小さい頃とは違いますわね、なんて昔と比べては楽しそうにしていますわ。だって、ねえ、やっぱり虫は苦手なんですもの。

 町の小さい子たちの間では今も騎士さまごっこが流行っていて、アッシュも最近は、姉さまはボクが守るからね! なんてことをよく言うのです……本当は、母親であるお姉さまに言いたかったでしょうに。

 小さな手に剣に見立てた木の棒を持ち、すっと真っ直ぐ背を伸ばして真摯に誓うその姿を見るにつけ、胸がきゅうっとしてしまいアッシュをぎゅうっと抱きしめてしまうのです。本当に、立派な、小さい騎士さま。

 お二人が馬車の事故で儚くなってしまったことは今でも信じたくない悪夢ですが、アッシュが私の手元に遺ってくれたことは神様の計らいだったのだと思わずにいられません。

 ローズマリーの助けもありますし、私の針子の仕事も順調。このままこの町で、アッシュが大きくなるまでずっと暮らしていけたらと――


 そう、思っていましたのに。


 今、私の目の前でお義兄さまと同じプラチナブロンドの男性が、非常に気難しい顔をしていらっしゃいます。

 瞳の色はお義兄さまのブルーグレーより少し薄い灰色。我が家の居間は普通の広さのはずなのですけれども、体躯もご立派で何やら威圧感のある方のため、座るソファーも目の前のテーブルもやけに小さく見えてしまいます。

 この方、我が家を突然訪ねていらして、お義兄さまの兄上だとおっしゃいました。まあ、私とローズマリーの驚いたことといったら! 

 とても恐ろしげな雰囲気でこちらを睨め付けながら忌々しそうにそんなことを言うなんて、アッシュがこの場にいなくてよかったですわ。せっかくの伯父上さまとの初対面がこれではどうかと思いますもの。

 ああ、アッシュは今日はお友だちの家にお呼ばれですの。ほら、リンデンさまのところよ。お姉さまたちが亡くなってからも縁が切れることもなく……ありがたいことですわ。アッシュとケインはまるで兄弟みたいに仲良しで、よく泊まりあいっこしてますの。

 今日もそれで向こうのお宅に――え、あら、また怒られてしまいましたわ。ええ、ちゃんと聞いていましてよ。

 さっきからやれ家が狭いだの(ですから普通ですって)

 町が田舎だの(田舎ですもの当然ですわ)

 礼儀がなっていないのと(女所帯に突然訪問なさる方に言われたくありませんわ)

 ……まあ、お義兄さま。伯爵さまのお血筋だったのですって? 聞いておりませんでしたわよ、そんなこと。王都にいらしたということは存じていましたけれども。

 ようやく見つけたって、そんなふうに言われましても。別に私たち隠れてなんかいませんわ。


 こちらにいらっしゃる長兄のホーソーンさまが嫡子でいらして、お義兄さまは次男。平民上がりの男爵家わがやのお姉さまとの結婚を反対され、ご実家の伯爵家とは縁を切って家を出た……と。

 まるで三巻本スリーデッカーのお話のようですわね。あら、からかってなんかいませんわ、そう怒らないでくださいまし。眉間のしわに編み棒でも挟まりそうですわよ。

 なんでしょうね、このホーソーンさまは。未来の伯爵さまがこんなに素直に怒りっぽくて、腹芸が命と聞きおよぶ貴族の方の世界でやっていけるのかしら。いえ、わかりやすくていいですけれど。え、だから好感が持てるって言ってるのですわ。

 あら、今度はお顔を真っ赤にされて。ああ、わかりましたから、少し落ち着かれては? ほら、お茶もすっかり冷めて喉に良さそうですわよ。

 まあ、ふふ、そんなにふくれなくても、ちゃんと熱いのをお淹れしますわ。美味しいでしょう? お義兄さまもこのお茶がお好きだったのですよ。

 ……そんなに珍獣でも眺めるような目で見ないでいただきたいわ。え、ええ、もちろん怖いと思いますわ、だってこんな体の大きな男性に威嚇されたら誰だって。あら、そうですの。生まれつきなら仕方ないですわね。

 ああ、でも、見えにくいからって目を眇めていると人相が悪く見えて損ですわよ。せっかくお顔立ちは整っていて素敵なんですから。

 私は詳しくないのですけれど、王都には眼鏡とかいうものもあるのでしょう、お試しになってみては? ……あら、そうですか。


 それで、何でしたかしら。アッシュを王都に連れ帰るというお申し出でしたわね。

 お断りさせていただきます。

 後継者だなんて、ホーソーンさまがご結婚されてお子さまに継がせればいいお話じゃないですか。何もわざわざ亡くなった弟の子を探し出してまで……いえ。いいえ。お断りします。教育はこちらの町でも十分です。

 お金? 姉夫婦が遺した信託財産はそっくりそのまま、アッシュが成人してから使えるようにしてあります。我が男爵家には領地もありませんけれど、借金もないのです。これだけは胸を張れますわ。

 父からの仕送りはアッシュの為に手をつけずにおりますし、日々の暮らしは私の針の収入で十分賄っていけます。

 お義兄さまはここでの生活に、姉とアッシュとの暮らしにそれは満足してらっしゃいました。ここでなら自分らしく生きていけると、元の場所には戻ることはないと常々。家族三人で、ずっとこの町に住むと笑っておりました。亡き方のご意思を、尊重なさいますわよね。

 まあ、嘘? 私がどうして……そうですわね、お義兄さまの持ち物をご覧になりますか。日記が、ございますの。それから、お花を供えにまいりませんこと?

 ――お帰りですか。何のおもてなしもできませんで失礼いたしましたわ。ローズマリー、お見送りを。

 ええ、そのお義兄さまの日記はお持ちになって構いません。読み終わりましたらアッシュにお返しになってくださいませね。




 まあ、ホーソーンさま。あのまま王都にお戻りになったものと……あら、いいえ、そんなつもりでは。ええ、まあ、そうですわね、一目くらい会いたいですわよね、分かりますわ。昨日は突然のことで失念しておりまして。ええ、今日はアッシュもここにおりますわ。

 アッシュ、こちらはね、王都からいらしたホーソーンさま。あなたの伯父上さまよ。

 そう、あなたのお父さまのお兄さま。ふふ、そうやって並ぶとよく似ていますわ。やっぱり伯父甥なのですわねえ。

 え? 私、お二人が仲良くなるのに反対などいたしませんわよ。ここから王都に連れて行くのだけはおやめくださいと……ああ、アッシュ、違うのよ。そんなわけないでしょう、あなたを手放すはずはないわ。

 ええ、ええ、もちろんよ。ここにいてちょうだい。あなたのお手伝いがないとローズマリーだって困ってしまうわ。もう歳だから手や腰が痛いって、随分頼りにしているでしょう。そう、だから泣かなくていいのよ。

 大好きよ、アッシュ。私の宝物。

 ほら、台所に行ってココアでもいただいていらっしゃいな。そうね、うんと甘くしてもらっていいわ、特別よ。


 ……いい子でしょう? 私にとってもかけがえのない忘れ形見なのですわ。

 大事な、家族なのです。もう日記は最後までお読みになりまして? でしたらお分かりでしょう、お義兄さまが何を望んでいらしたのか。

 だから私は、――本当に? ああ、ホーソーンさま、ありがとうございます。ええ、それはいつでも歓迎いたしますわ。あの子も伯父上さまと仲良くするのは嬉しいと思いますの。




 まあ、ホーソーンさま。あら、いいえ、そんな迷惑だなんて。ほんの少しだけですわ……冗談ですってば、そんなにむくれないでくださいませ。ほとんど毎週末いらしてくださって、お仕事は問題ないのかしらってちょっとだけ思いましたの。

 ええ、その手には乗りませんわよ、王都には参りません。アッシュに会いたいのでしたらこちらでどうぞですわ。

 ところでこの町には宿もないのにいつもどちらにお泊りに? あら、いくら馬とはいえそこからでは二刻はかかるじゃないですか。って、大変、馬のお水とか……ああ、それならよかったですわ。

 あら、じゃあ、ホーソーンさまだってお腹がすいていらっしゃいますわよね。お昼をご一緒にいかがです? 王都の貴族さまにお出しできるような豪勢なものではないですけれど、お義兄様も味には満足してらっしゃいましたわ。ええ、そうなさいませ。

 アッシュなら向こうの庭ですわ、声が聞こえますでしょう。ええ、そうですわね、お昼まではまだ時間がありますから、ぜひ甥御さんと楽しんでくださいな。


 ――今日はたくさん食べるのね、アッシュ。そんなに伯父上さまとの遊ぶのは楽しかった? ああ、そうねえ、それは私では無理だわ。

 それじゃあ、午後も肩車をしていただいて、樹の上の方の林檎を取ってもらおうかしら。

 あら、アップルパイお好きじゃない? 好き? 好きですわ、私も。そうですわよね、ふふ、ではお願いしますね。

 え、ええ……好きですわ。ちょっとホーソーンさま、そんなに何回も言わせないでください、私すごく食いしん坊みたいじゃないですか。ですから、大好きですっ、もう。

 まあ、アッシュ。林檎と伯父上さまとどっちが赤いかなんて、比べてはいけません。




 まあ、ホーソーンさま。こんなに冷たい雨ですもの、今日はもうお出でにはならないと……いえ、そんなわけでは。こんな格好で失礼いたします。髪も、もうほどいてしまって――ローズマリー、タオルとお湯を。コートはこちらに、そのままでは風邪をひいてしまいます。いま、温かいものをお持ちしますね。

 残念ですが、さすがにアッシュはもう眠っておりますの。ええ、雷も怖がらないでぐっすり。あ、少しだけ屈んでくださいますか、すっかり頬も冷えて……ホーソーンさま? 手を離してくださらないと髪が拭けませんわ。

 ――え、あの、そんな。

 私なんてお姉さまと違って、髪も瞳も普通で。綺麗でもないですし、恋人も許嫁もおりませんわ、見たらお分かりでしょうに。男爵家とはいえ名ばかりですもの。

 ええ、仕事でずっと外国に行っている父が亡くなればそれまでの、一代限りの爵位ですし。こんな私に縁談など……クインスさま? ああ、子爵家の。ええ、まあ、顔見知りというか。

 そんな、針のお仕事を回してくださるミセス・ローリエの御親戚というだけで……それは、まあ、そのようなお申し出は、確かに。

 でも、私はお断りしておりますわ。それにこんなお話、一体どちらで――あの? ホーソーンさま、手、が。手を、離してくださっ――


 あ、ローズマリー。ええ……ホーソーンさまならお帰りに。そうね、いつも突然よね。え、顔が赤い? だ、大丈夫よ、そんな、熱なんてないわ。ううん、平気、ただちょっとわけがわからなくて。

 どうしてこんなこと――うん? あ、いいのよ、ひとりごと……気に、しないで。




 お姉さま、お義兄さま。お姉さまのお好きだったミモザが今年も綺麗に咲いています。春の花は黄色が多いですわね、そう思いません?

 ホーソーンさまはあの秋の日以来、足繁く通って来られまして、私にはとても真似のできないパワフルな遊びでアッシュを魅了し、すっかり仲良くなりました。

 以前に騎士団にも所属していらしたそうで、男の子たちに請われて剣を教えたり、先日は流れの暴れ者を取り押さえたりしてくださいまして町でも人気者です。

 最近は私に隠れて二人で何やら話すことも多くて……やはり、男の子には大人の男性が必要なのでしょうね。ちょっと寂しくなっていますと、アッシュがトコトコと近づいてきて、大好きだよ、とぎゅっとされました。他人の気持ちを汲める優しい子で嬉しいです。切なくって愛しくって泣きそうになりました。

 お姉さま。

 私はこの町でアッシュとローズマリーと静かに暮らしていくはずでした。それなのにどうしてか伯爵家の馬車に乗っています。

 ああ、そうでした。ご病床のお祖父さまに会って欲しいと請われて……お義兄さまとお姉さまになさった仕打ちも謝りたいとおっしゃっていると、そう言われて王都への滞在を決めたのです。

 さすが伯爵家の馬車は立派で、天井も高く中も広いです。座る場所は余るほど。

 ――なのにどうして私はホーソーンさまの膝の上に座らされているのでしょう。

 しかもアッシュとローズマリーは別の馬車なので二人っきり。膝から降りようにも、ホーソーンさまのがっしりとした腕が腰にしっかり巻きついていて身動き一つ出来やしませんし、動こうとするたびに耳元で名前を呼ばれて、揺れて危ないから静かに、などと言われてはすっかり全身の力が抜けてしまうのです。

 あんまり顔も近いので困ってしまうのですが、こちらを見る瞳に最初の頃の鋭さは全くなくて……かえって甘さと熱を感じてしまうのは、王都で作られたという眼鏡のおかげで目を眇めなくなったせいなのでしょうか。


 何か、さっきから耳元でホーソーンさまが向こうでの予定を山のように教えてくださっていますが、正直それどころではありません。

 なぜそこで舞踏会とか夜会とか。お披露目って私は関係ないでしょうに。え、あ、ちょっと近いです、ホーソーンさ、まっ。


 お姉さま、私たちあの町に帰って来られますわよね……?

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