短編アラカルト
小鳩子鈴
1
それはきっと夢の中
夢の中の私はお姫さまだった。
おっと、間違えた。お姫さまのようなドレスを普段から着ている、貴族のお嬢さまだった。
理由などは分からないが、先月、珍しく高熱を出して息も絶え絶えに寝込んだ日からほぼ毎晩、そういう夢を見るようになったのだ。
流行りも終わりかけたインフルエンザではなかったらしい。風邪にしては症状が発熱のみで薬も効かなかったが、週末の二日間を布団で過ごし月曜にはケロリと回復した。おかげで会社は休まずに済んだわけで、いいのか悪いのか。
夢の中の私はシャルロットという十七歳の可憐な……いや、ちょっと、大丈夫、自分がそれにプラス十歳オーバーだってのは分かってるって、そんな可哀想な子を見る目で見ないでよ。別に若い子いいなーとか思ってたりしてないから、本当にっ。
……こほん。それで、私そのものが彼女になっているのではなくて、なんというか、私の視界や感触は彼女――シャルロットと同化しているけど、考えたり体を動かしたりする意識はシャルロットのまま。つまり私はシャルロットとなりながら私自身の意識を保ち、シャルロットを自分として観察するという……ああ、ややこしい。説明は苦手なんだってば。
あれだ、半分同化している背後霊みたいなもの。私は夢の中でシャルロットに取り憑いて彼女を眺めている。シャルロットは私に気付かない。うん、そういう感じ。
向こうの気持ちは自分のことのようによく分かる。でも私の思ってることは向こうに伝わらない。
「あ、でも、私が歌うとね、シャルロットも歌うんだ。だから、なんとなーくシンクロはしているのかなあ」
そんな私の話に耳を傾けつつ、つい、と最後の一本を箸で器用につまみ上げると、ちょんと蕎麦つゆにつけてつるりと流し込む目の前の友人。いつもながらその綺麗な食べっぷりに感心していると、ちょっと呆れ気味に尋ねてきた。
「それが今月二回目の遅刻の理由?」
「いやあ。だってあんまりにもリアルな夢見で、起きてからもしばらく目が覚めないというか」
「まあ、春だしね」
「『春眠暁を覚えず』ですなあ」
「自分で言いなさんな」
会社近くの蕎麦屋は近隣事務所にお勤めのお父さんでいっぱいだ。私と同期の
時計をちらりと確認すると、美波は通りかかった店員さんにざる蕎麦の追加を頼んだ……春はお腹がすくよね、ってそのセリフ毎シーズン聞いてる気がする。ランチタイム限定でついてくる山菜の天ぷらは非常に美味しい。そこは否定しない。
「主任が朝礼の時あからさまにため息ついてたから。一、二分の遅刻でもさ、あいつネチネチしつこいから気をつけな」
「あの人なー、確かに。もう一個目覚まし用意するよ」
それがいいとうんうん頷く美波は、なんだかんだ言って面倒見がいい。社内の情報通でもあり、色々と疎い私は彼女に世話になりっぱなしだ。まるで姉のような視線で興味深そうに私を覗き込む。
「で? そんなに続けて見る夢なんて、面白いねえ。私、子どもの頃に一回だけ前編後編みたいな夢見たことあるけど、それっきりだよ」
「私だってこんなの初めてなんだって。しかもすっごいリアルなの」
だからこそ、起きてもしばらく目が覚めず、結果遅刻というこの状態だ。
「昨夜はね、なんか夜会に着ていくドレス選んでた」
「うわ、めっちゃ貴族のお嬢さまじゃない」
「だからそうなんだってば」
本当に、笑っちゃうくらい私とは無縁の世界。ドレスなんて二年前に後輩の結婚披露宴で着たパーティドレスが最後だ。しかもそんなのと比べようもないくらい 「正式な」ドレス。お針子さんが来て採寸とかして、布決めて色決めてデザインが、とかもう、結構疲れるのねアレ。重たいし。私、既製品でいいわ。
「コルセットがどうとか合わせる扇がどうとか」
「お、締めるの? ギューって」
「シャルロットは痩せっぽちで締めてもたいして変わりないから、それもコンプレックスみたい」
「なんと贅沢な」
「スレンダーで羨ましいんだけどね。ただ、向こうの流行りが豊満タイプだし、どこぞの姉妹のようなこれまたグラマラスなお姉ちゃんがいるから」
「激しく同情するわっ」
そう。華やかな姉の影でひっそりと壁の花になる妹。まさにそれが
シャルロット自身は特別に美人というわけではないが笑顔が可愛らしく、何よりも性格が素直でいい。本人は普通すぎると嘆く栗色の髪とブラウンの瞳も、私から見れば十分に綺麗。お姉ちゃんの紫の瞳と比べちゃいけない、あれは天使様の手が滑った特別仕様だ。常に大勢の取り巻きに囲まれる大輪の薔薇のような姉と比べれば、大抵の人間が霞んでしまうだろう。
偉いと思うのは、シャルロットは自分の容姿にがっかりはするものの、姉を慕っているし卑屈にもなっていない。私だったら羨んで妬ねたんで、終いには憎むだろうに。
これはやはり、両親……は忙しくてあまり顔も合わさないから、乳母や家庭教師や使用人たち、あとはよく構ってくれた祖父母の愛情と教育のおかげだと思う。家の中では誰もお姉ちゃんと比べないで本人を見てくれてたからね。そしてお姉ちゃんもそんなシャルロットを可愛がっているし。
お姉ちゃんは外見は派手だが中身は普通の、どちらかといえばややシスコン気味とも言えるお姉ちゃんだ。派手だが。
「彼女だけ見れば十分に魅力的な子なんだけど。どうしてもお姉ちゃんと比べられちゃってねえ」
「不憫だ……この美波お姉ちゃんが慰めてやるから連れて来なさい」
「だから夢だって」
笑いながら食事を終え職場に戻るとフロアに着くなり主任に呼ばれ、ねちこい叱責を頂戴した。
四十歳を随分前に超えた主任は勤務態度に異常に厳しくやたらと細かい。社内の女性陣からシュートメと呼ばれているのは内緒だが、もしかすると家でも奥さんにそう呼ばれているんじゃないだろうか。
少しの時間とはいえ遅刻は遅刻なので大人しく拝聴するが、合計三分の遅刻に二十分の小言ってどっちが余計なタイムロスだろうかと疑問に思う。
しかも小言の内容が、遅刻からホワイトボードのマーカーの置く向きを揃えろという話に移っている。マーカーを使うのは外回りの営業チームの皆様で、私ら内勤は触らない日の方が圧倒的に多いのだが。この話も私が聞かねばいかんのか。
窓の桟を人差し指でツーとする主任の姿を脳内に浮かべつつ、帰りに駅前の量販店で大音量目覚まし時計を買おうと心に決めた。
その晩見た夢で、シャルロットは件の夜会に出ていた。
でも、お姉ちゃん反則だあ、なんなの迫力ボディで優美可憐を着こなすって。どこのハリウッドセレブよ。いや、今日の夜会はお姉ちゃんが婚約者と一緒に出席する初めての公の場だからね、ある意味お姉ちゃん主役でいいんだけど、隣を歩くシャルロットが霞む霞む。我ながら泣けてくるわ。
さらに、一曲踊った後はお姉ちゃんに群がる人たちに押し出されてしまった……だって、自分をエスコートしてくれてた従兄弟もぽやーっとお姉ちゃん見て惚けてるし。シャルロットとはぐれちゃったのに気付かないんだよ、信じられん。
お姉ちゃんは悪くない。悪くないんだがっ。
軽くため息をついてそっと会場のホールを後にすると、シャルロットはテラスから庭園に降りた。
……分かる。空気変えたいよね。ああ、でも、夜会の庭なんて色々と危ないから明かりの届く範囲にしておこう。あ、その辺はさすがちゃんとしているね、会場すぐそば、でもバラの木立で少し陰になったところにあるベンチに腰掛けた。
周りをキョロキョロ見てそっと靴を脱ぐシャルロット……レディ的にはアウトだが、足プラプラって可愛いから許す!
ベンチの周りの咲き始めのバラは、外側が白、内側に行くに従って濃いピンクへと変わるグラデーションが美しい、それこそピエール・ドゥ・ロンサール。お姉ちゃんのドレスと同じ色のそれをぼんやり眺めて、しっとりと柔らかい花弁にそっと触れる。
屋内からは音楽と人々のざわめき、庭のあちこちに飾られたランタン。揺れる灯りと月に照らされ闇に浮かぶ花々、遠くから聞こえる噴水の水音。バラに囲まれたベンチに独りで座るシャルロット――。
いつも。夢を見るたびに、シャルロットと同化して彼女の気持ちは伝わってくるけれど、私の気持ちが彼女に伝わることはない。それが今日はこんなに悔しい。
シャルロットの魅力は付き合えばすぐにわかる。彼女と親しい人はみんなそれを知っている……でも。
『――の妹さんなの?』
『へえ、似てないね』
『お姉さんは綺麗なのに』
『妹の方は』
ただ、比べてしまうだけ。悪気がある人ばかりではない。だからこそ、傷つく。
この細い肩で、小さい足で、今夜はよく頑張って立っていた。知ってるよ、本当は彼のことが好きだったんだよね。初めて会った時からずっと。シャルロットの方が早くに会ってたのにね。可愛いって、好きだよって言ってくれていたのに。
――妹として、なんて残酷な言葉。
大事に隠した幼い恋心は誰も知らない。恋した人はやがて義兄となる。そしてその隣で華やかに微笑む大好きな姉。
私だけが知っている。
抱きしめて、慰めてあげたいのに、こんなに近くにいるのに届かない。
だからせめて歌おう。歌は、届くから。
裸足の膝を抱え口ずさむのは子守唄。乳母が唄い、小さいシャルロットが子猫にうたった古い歌。春の宵闇に溶けていくような旋律は少し哀しく、どこまでも優しい。
書き損ねた手紙のようにくしゃくしゃになった心も、頑張らないと開けていられない濡れた瞳も。大丈夫、いつか笑って思い出せる日が来るって
今、少しだけ休んだら戻ろうね。みんなが、お姉ちゃんが気づいて心配する前に。
「これは、どうされましたか」
ため息に乗せた細い歌声は、突然降ってきた別の声に消された。慌てて顔をあげれば目に飛び込む正装のアッシュブロンドと、闇色に馴染む帯剣の黒髪。
心臓が止まるほどに驚きながらも、気付かれぬようにそっと足を戻すシャルロット。
彼女が瞬時に判断したところによると、この乱入者は今日の夜会の主催者であるこの邸の息子と、その友人と言う名の護衛騎士。ということは乱入者ではないのか。そうは言っても気分は侵入者だが。
……おい。おいちょっと息子くん。体調を心配してくれるのはありがたいが、大丈夫って言ったらそれがどうしてじゃあ庭を案内するって話になるんだ。普通は会場に連れ戻すんじゃないのか。ああ、バラと噴水、それはさぞかし綺麗だろうが……って、おい。なんかこいつ、あれ、でも――どこかで。
そういえば、一度会ったことがある。家族で行った海岸の避暑地、たまたま食事をした店で相席になった。お姉ちゃんも一緒だったのに何故かシャルロットにばかり視線を向けて……その時は、また比べられているのだと思って特別に気にもかけなかったから、そのあとで思い出したりもしなかった。
覚えていますかと聞かれて小さく頷くシャルロットに、花がほころぶような笑顔を見せる。それを見て戸惑いつつも頬を染める彼女に、さらに満足そうな息子殿。
一度会っただけなのに忘れられなかったなどと言い募られて、もうシャルロットはどう見ても容量オーバーなのに、握った手も攻撃の手も緩める様子はなさそうだ。
確かに、お姉ちゃんガードが厳しくてエスコート役以外の男性とまともに話もしたことなかったけど! 何度もパパを通して面会を申し入れてたとか、そんなことひとつも知らなかったから!
強引な一方でガラス細工に触れるようなエスコート。何かの決意が込められたその手をじっと見ていたら、うなじのあたりに視線を感じた。
振り返れば二人の後から少し間を開けて従う黒髪の護衛騎士。私と目が合って、彼は驚いた顔をした……ちょっと待て、目が合う?
背後霊状態の私と?
呆けて立ちすくむ私に彼の手が伸びる。その指先が近づいて来るのを信じられない気持ちでぼんやりと眺めた。触れられるほど近づいたそれにハッと我に返り一歩下がると、片眉を上げて面白そうにくすりとされて、その笑顔に不覚にも胸がドキっとする。え、何この動悸息切れ。シャルロットとリアルにシンクロしてるに違いない。
あ……へえ、笑うと垂れ目になるんだ。泣きぼくろ発見。声なく動く彼の唇が何かを告げる――『み、つけた』?
もう一度手を伸ばされて
遠くで鳴る鐘の音
鳥の声――
――布団に起き上がり、けたたましく鳴り響くベルをばちんと止める。カーテンの隙間からは爽やかな朝の日差し。見慣れた自分の部屋。裏の公園から何故か聞こえてくるホーホケキョ……いつものヒヨドリはどこに行った。
大音量目覚まし時計の威力は抜群だった。
今朝も元気な美波は私を見つけると満面の笑顔で走り寄ってくる。いやあ、ごめん。今日はちょっとそのテンションについていけるほど回復していないんだ。なんだったんだろう、アレ。まだすっごいモヤモヤしてる。
「うーわ眠そうね。まあ、これ聞いて目ぇ覚まして。
「は、これまた急に」
おっと、バッチリ起きたよ。マジか。昨日まで元気に小言してたのに。あれは何だ、置き土産だったのか。要らぬ。
「内示はあったらしいけどね、相変わらずだねウチの人事の秘密主義も。代わりの人、早速来てるよ。仕事に厳しい結構なイケメンともっぱらの噂」
「中身がシュートメでなければ、顔なんてどんなんでもいいわ」
「あはは、確かにねー」
それじゃあまたお昼にね、と手を振って席に戻る。さて課長も来る時間だし朝礼だ。入室の音に立ち上がれば、課長の後ろに続くのは新・主任。フロアに着くなり私をガン見している彼は黒髪で、あ、いやまあ日本人だから大抵黒髪なんだけど、あれ、目元にほくろ……ちょっとデジャブ。
――は、あっ? え、何で急に私が主任の補佐? え、ちょっと美波、なにその両手合わせて「南無〜」ってポーズは!
うっわあ、ヤダ、どこかで見たよこの片眉上げる不敵な笑顔、しかもつい最近、正直に申告すればほんの数時間前!
何でそんなに嬉しそうに、え、わ、笑うと垂れ目が泣きぼくろで何これどういうこと?
誰か一連のこれらについて説明プリーズ、ついでに距離が近くない!? なんなのこれちょっと心臓落ち着いて、もしや不整脈とかっ?
「……どこかで会ったかな?」
ええ、夢で――なんて、言えるかそんなこと!
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