小料理屋【源さん】の店先ののれんが書き分けられ、中にまた一人お客さんがやって来た。源治はアジの切身に味噌と大葉を合わせて、包丁で細く切っている。切っていると言うよりも叩いて細かく切っているのだ。

 店に入ってきた客である占部うらべは椅子に座ると、テーブルに置かれた瓶ビールを手酌でグラスに注ぎ、お通しのやっこをつまんでいる。


「何か作りますよ、お客さん。今日はいいアジがありますから、さんが焼きがオススメですよ?」


 源治が言う。ほう、と一言告げるが興味はなさそうである。ただひたすらやっこをつまみにビールを飲んでいるだけだ。


「お客さん、うちは魚料理が売りですぜ」


 小さな生簀に悠然と泳ぐ季節の魚がきらきらと輝いている。占部はあのねぇ、と一言告げる。


「あたしゃ魚、苦手なんすよ」

「ほう、そいつは失礼しましたねぇ」

「なんだい、感じ悪いなアンタ」

「まぁこっちにしてみりゃ、魚食えないくせに何で来たのかって気分だけどなぁ」

「ちょっとアンタ……」


 郁子が言う。源治がじろりと占部を睨むと、占部は機嫌が悪そうに立ち上がった。


「帰る」

「あぁ、帰ってくんな。お題はいらねぇからよ」

「いや、そうはいかねぇ」

「アンタから金を貰う気にもなれねぇ」

「失敬だな。アンタ」


 郁子がおどおどとしている。占部は2千円をカウンターに叩きつけると背を向けた。


「アンタ、ちょっと。他にお客さんもいるんだからさぁ」

「構やしねぇ。塩だ塩」


 源治は呆れた目で自分を見る郁子をよそに店先に出て行って粗塩をぶちまけるように撒いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る