第29話 微睡みの槌 29


 叫ばずにはいられないほどの激痛を感じた。しかし、声は出ない。そもそも、喉があるかどうかさえわからない。

痛みは波のようにやって来ては突然消えてを繰り返し、それと同時に意識もすぐに消えていた。

 金属がぶつかるやかましい音が響いている。しかし、それも聞こえる時とそうでない時がある。

 ある時、断絶する意識が容易に繋がるようになった。それは、体が人間としての形に固執しなくなったサインだったのだろう。今、自分の体が不安定な形のままで辛うじて生きている事が分かった。

 再生した端から破壊されるのを繰り返しているのだろう。このままでは、一生死ぬ事なくここで潰され続けるのかもしれない。

 マトモな状態でないせいなのか、頭の中は至ってシンプルだった。

 とにかく、もっと強くならなければない。強靭に、しなやかに。もっと固く、何よりも優れた体が欲しい。

 そう考えていると、少しずつ潰される体の端々が束の間の抵抗をするようになった。

 破壊され、治す。また破壊され、また治す。

 ある程度まで繰り返した時、限界を迎えた。どれほど強くなっても、力に逆らう事はできないと悟った。

 だから、新しい方向を目指した。

 人間よりも丈夫なモノを作ろう。そう決めた瞬間から、新たな再生が始まる。筋線維の一本からあるべき形を放棄した。細くて堅い繊維を織り強靭な一本を作り、更にそれをまとめて一本にした。それで破壊されれば、さらに細く、強くなるよう編んでいく。

 骨も、皮膚も、内臓も、何もかもを変えていく。

 恐怖や後悔など、微塵もなかった。今はただ一つの目的の為だけに動く単細胞な生物のようだった。

 ある時、歯車が明らかに鈍い音を立て始めた。

あと一つ。あと一つ何かがハマれば、爆発的に進歩できる気がしていた。

 その時、視界の端に小さく光る金の粒が横切ったのを見た。それは、ふわふわと宙を彷徨うと、徐々に形を変え、金色の蝶へと変わった。

 それが何か、直観的に理解した。

 ノーラ、と呟こうとして、声にならない呼気だけがどこかから抜けていく。

 蝶が、まずい所に移動した。今にも歯車が噛み合おうとしている場所だった。反射的に腕が伸び、歯車に腕を突っ込んだ。体中の細胞全てが、たった一つの目的の為に活性化していくのを感じた。

掴んだ部分に思い切り力を込めてやると、金属が軋むような音を立てながら潰れた。そうして作った隙間から蝶を逃がしてやると、そいつは俺の胸にとまり、静かに羽を動かしていた。

「………………」

そこでようやく、自分に人間らしい思考が戻り始めた。このまま、この体を完成させようと思ったのだ。

 ある意味では、これは職人にとって最高の仕事かもしれないだろう。新しく生まれる真核の姿から何から全てを思うままにデザインする事ができるのだから。

 イメージはたくさんある。今まで目にしてきたもの、全ての中からほとんど無意識に自分の琴線に触れるものを集め、反映していった。

 かつて親方が渡してくれた本に炎を吐く化け物が載っていたのを思い出す。何故かそれがとてもしっくり来て、そいつをベースに自分なりに練っていく。

 仕上がるほどに、自分を制限している周囲の金属に対する不快感が増し、力任せに体をよじってそれらを押し曲げていく。もう、肉体はほとんど完成しつつあった。

 俺は全身の力を使って目につく歯車を全て破壊しながら隙間を掘り進んで行った。そして、最後の一枚を圧し折ると、外へと這い出した。

 真っ赤に染まる空と、そこを飛ぶおびただしい数の黒蝶が目に入る。気づけば、胸にいたはずの蝶は姿を消してしまっていた。

 束の間、軽い喪失感に茫然としていたが、近くにあった巨大な甲羅に気づくと、自身の中に凄まじい怒りが湧き上がるのがわかった。

衝動のままに飛び出し、尾の付け根に飛び付くと、何度も何度も拳を叩きつけ、出来た裂け目に体から突っ込み、思いきり引き裂いた。

 野太い叫び声をあげながら巨亀が暴れ出し、その後、素早く体を反転させてこちらへと向き直った。

 目が合った瞬間、相手の目に驚愕や怯えがあるのを見つけた。そして、その巨大な瞳には変わり果てた自分の姿が反射していた。

 赤黒く、醜く歪んだ肉体には金のラインが複雑に入り、皮膚は岩肌のようにゴツゴツとしている。爪は尖り、大きく裂けた口には鋭い牙が並ぶ。そして、体中には銀に虹を溶かしたような螺鈿細工色の目がギョロついていた。

 明らかな異形の姿であるというのに、まるで違和感が無かった。これが自分なのだ、とただ理解する事ができた。

 体から返り血を滴らせながら、ゆっくり相手に近づいていく。とても、シンプルな思考回路だった。目の前に敵がいるのだから、攻撃する。それだけだ。

 巨亀はそれに過剰に反応を示した。すぐに体勢を整えると、一気に駆け出し、踏みつぶさんと前足を繰り出してきた。

 巨大な壁のような足裏が迫って来るのを見て、避けなければならないはずが、ふと奇妙な疑問が頭に浮かんだ。それは、果たして自分の体はどれぐらい耐えられるのだろうか、というものだった。

 足を止め、俺は体中に気合いを込め、それを迎え撃った。

 人生のどこを探しても参考の無い、とんでもない重量と衝撃だった。体が爆散するかと思ったが、驚いた事に五体は繋がっている。それどころか、地面に足がめり込んでいるというのに、受け止める事ができていた。

 筋肉が唸りを上げて肥大し、体中の体液が廻っているのを感じた。同時に、腹の奥にいつかのような黒々とした熱を感じていた。

 いつまでも押し付けられる重圧に対して、力の限り反発し、押し返してやった。

 巨亀は一歩引き下がると、信じられないようなものを見るような目でこちらを見ていた。

 瞬間、体の奥に一度引いた熱が、洪水のように押し寄せ、全身の指先に至るまで隅々へと行きわたった。

「あああああああああああああああああああああ!!」

 叫ぶと同時に、体中の目玉から炎が吹き出し、天へと逆巻き、火柱となって昇っていく。

 その炎が空を飛ぶ黒蝶の群れに反射し、その姿を金色に変えたのが見えた。

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