第28話 微睡みの槌 28
恐る恐る目を開けると、自分とクラッススを囲むように、分厚いシャボン玉のようなものが広がっていた。
「これは……」
「全て分かっていました。こうなるであろうとね。ですから準備は万端なのです」
クラッススの手には鉄さび色の石があった。それは、周囲のシャボンが消えるのと同時に崩れて消えてしまった。
「……あの強烈な爆発を受けて生きているっていうのか? そんな事あるものか」
「確かに、あの威力で生きているモノはそうそういないでしょう。しかし、そうではないとアナタがよく知っているはずです。ここでは単純な生死が勝ち負けではないと」
言われ、再び巨亀がいた場所を見た。そこはしばらく土煙がのぼっていたが、それが段々と晴れ始めていた。
「あれは……」
そこには、不気味な白いブヨブヨとした肉に包まれた巨大なルビーが鎮座していた。なるほど、あれが核であるらしい。
「そうか、確かにそうだ。あの真核を抜いて初めて、俺達の勝ちなんだ……」
「その通りです。だから、言ったでしょう」
突如、白い物体が小刻みに震え出した。それは瞬く間に増殖すると、少しずつ元の形へと変化して行っていた。
「他のどの浮遊夢魔、統率者と違うのは、どれだけの攻撃を加えたとしても、真核を摘出し、支配権を奪う事ができない限り、アレは何度も蘇るのですよ。そして、それができるのは細工師だけ。だから、彼女だけでは勝ち目などありはしなかった」
目の前で起きている事が信じられなかった。彼女の決死の覚悟が何の意味も無かったなんて、すぐに許容できる方がどうかしている。
「何故、彼女に教えなかった? お前は、知っていたのに!」
「教えたとしても、彼女は信じなかったでしょう。そして、結果は変わらなかった。仮にあそこにアナタがいて、真核に触れる事ができたとしましょう。しかし、アナタの力ではアレを抜く事などできなかったでしょう。それほどの相手です。結果、二人ともが倒れるしかなかった」
「……それでも、それでも何かが少し違っていれば、結果だって変わっていたかもしれないじゃないか……」
「そうかもしれませんね。しかし、もうどうする事もできない」
「最初から、お前の言う通りに騎士になっていれば一番良かったっていうのか? それが正解だったのか?」
「酷ですが、少なくともノーラ嬢が消える事は無かったかもしれません」
ああ、最悪の結末だ。ノーラは俺がいたからここまでたどり着けたと言ってくれたけど、それでもこの有様じゃないか。本当に正しい道ではなかった。
「素材の夢魔が消えてしまった以上、あなたをすぐに騎士にするという事もできなくなりました。となると、もうお手上げです。ここは退却し、いずれ奴などものともしないほどの力を手に入れ、復讐を果たす他は無いでしょう」
「……しかし、それじゃあ町が……親方が……」
「悔しいでしょうが、諦めて下さい。まずは逃げのびて、命を繋ぐのです。そして、いつかアナタの中で育った憎しみを力に変えましょう。さあ」
気持ちが悪い。自分の目的を隠そうともしない。それでいて、話し方はひどく親身だ。本当に、心から気持ちが悪いと思う。だから、どうしても、コイツの考えとは違う方へと思考が落ちていく。しかし、解決策なんてものは出ない。
ノーラの最後の表情を思い出す。きっと、一生忘れないだろう。彼女の事を考えていると、無意識に胸の袋を握りしめていた。
もう諦めるしかないかと決心しようとした時、その感触がある一つの考えを閃かせた。それは物凄い勢いで思考を繋げると、一つの打開策へと変貌した。
「……お前の言う事に従うわけにはいかない」
「……何ですって? ではどうするのです? もしかして、その体で向かって行くつもりですか? 無駄な事を。自己満足にもなりはしない。ああ、いえ……まあ、自殺したいというのであれば、止めはしませんがね」
初めて、クラッススから怒りや諦めという感情が滲み出たのが分かった。
「勘違いするなよ。まだ、最後の博打が残ってるって言ってるんだよ」
「博打、ですか……」
「これを見ろ」
俺は胸の袋に入っていた、一つの真核を取り出して見せた。それは、ネロから貰った水色の真核だ。
「これは……治癒水の真核ですか。なかなか貴重なものですが……。ああ、なるほど。これを使ってノーラ嬢を復活させようというのですね? 残念ですが……」
「無理だって言うんだろ? でも、まだ俺の中にはほんの少しだけ彼女が混じっているはずだぜ?」
「それでも、不可能でしょう。体の一部といっても、ほとんど混ざってしまっているのだから、そう単純な話ではないはずです。一体、どうやってあなたと彼女を区別するっていうんです?」
「その必要は無いんだ。アレを使えば、一度に全部できる」
俺は暴れる巨亀の尾、リトル・ガルムを指さした。
「まさか……」
「ああ、そのまさかだ。アレは敵を噛み潰す。だから、その中に入って自分を分解する。死ぬ間際ギリギリの俺を蘇生させながら、一緒にノーラを蘇生させる」
「そして、その過程で騎士となり、その力で脱出する、と……?」
「そうだ」
しばらく、お互いの間に沈黙が流れた。
と、思うと、突然クラッススは肩を震わせながら、笑い出した。
「ふふ……ふふふ……。あはははははは! いい! とてもいい! アナタは私が思っていた以上に最高だ! まさか、そんな事をやりたがる人間がいるなんて! 狂っている、ああ実に狂っている。しかし、素敵だ。ロマンチックだ……ああ……」
「もしも成功したらアイツに勝てるだけの力を得られるか?」
「……傷一つでそこらの職人並。腕一本なら、更にそれを凌ぐ力を。なら、身体を丸ごと使ったならどうなるのか。私にもサッパリ予想できません。ですが、破格の力を得るであろう事は間違いないでしょう。もしかすると、神の域に指をかすめる事もあるのではないでしょうか」
「足りるなら、問題ない」
「是非とも協力させて下さい。ここで躓かれるのだけは、絶対に見たくない」
「目一杯、協力しろ。踏みつぶされたり、食われたり、流れ弾に当たるのも困る。確実に、あの尻尾を食らわなければならないんだ。さて、具体的な話になるが――――」
「承知しております」
そう言うと、クラッススは俺の腹に手を回し、軽々と担ぎ上げた。
「おい、待て! そうじゃない! お前は囮にでもなってくれればいいんだ!」
「こちらの方が手っ取り早いでしょう。ご安心を。確実にお届け致しますよ」
クラッススはそのまま音もなく走り出した。不思議と、揺れが少ないのが不気味だった。
それなりの速度はあるものの、ほとんど遮るものが無くなった広大な平地を走っている。これは目立つ。見つからない方がおかしい。
巨亀も自分に近づいて来ている小さな存在を認めると、背中をブルブルと震わせた。それだけで、恐らくやろうとしている事は予想できる。
と、次の瞬間、クラッススの体がグンと曲がったかと思うと、体を前方へ投げ出すように駆けだした。その数秒後、頭上で凄まじい轟音が響き、さきほどまで走っていた場所に土煙が上がっていた。
「おごっ……おっ……」
流石に、そこまでになると、揺れと衝撃は激しくなる。クラッススが加速する度に腹を殴られるような感覚が襲って来ている。とはいえ、速度を緩めろと言うわけにもいかないので、必死に耐えている。
何度か砲弾を躱し近づく事で、巨亀も異様さに気づき、警戒度を高めているようだ。
しかし、ある程度近づけば砲よりも効率のいい攻撃方法を選ぶのは当然だろう。こちらの目的がそれだなんて、きっと夢にも思ってはいまい。ただ、そこまで近づくのが至難の業だと思っていた。しかし、まさかこんなにも早く解決するとは……。いや、本番はこれからなのだから油断はできないが。
無謀な特攻に見えただろうか。いや、そう単純に考えてくれる相手じゃない。そもそも、先ほどノーラの捨身の一撃を浴びたばかりなのだ。当たり前だが必ず警戒はするだろう。もしかしたら、まだ俺たちに見せていない何かを隠しているかもしれない。あるいはそれがこちらの狙いをしっかりと潰せてしまうかもしれない。
だが、それでも。それでも、こちらにじっくりとやっている猶予など無いのだから、賭けるしかない。
全身がヒリつくような感覚のまま、俺は相手の次の行動を見ていていた。
そして、敵の絶好の間合いへと侵入した時、その巨大な尾が持ちあがるのを見て、俺は成功を確信した。
「準備はいいですか、我が友よ。投げますよ」
もう、覚悟は決まっている。とっくにだ。
「――――やれ」
地面を削りながら巨大な物体が迫って来るのがわかった。そして、自分の体が宙に放り出されるのが分かった。
全ての景色がゆっくりと動いている。歯車の一つ一つが竜の咢のように見える。巨大さも相まってか、それはどこか神話の世界を想像させた。
それらが眼前に近づいた後は、一瞬だった。痛みを感じたのかどうかもわからない。ただ、どこかで風船が割れるような呆気ない音が聞こえただけだった。
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