第27話 微睡みの槌 27
巨大な異形の亀がそこにいた。
「あれが、この夢の本来の統率者の姿、という事なのか?」
「そう。でも、あれほどの規模のものはそうそういない。とにかく、規格外の一匹よ」
「しかし、大きければいいというものでもないだろう。あれならば、死角にさえ回ってしまえば―――――」
その時、巨亀の甲羅にある突起がゆっくりと伸び始めた。背中に柱を何本か刺したような異様な姿だ。よく見れば、柱の側面にはいくつかの穴が開いているのが見えた。
嫌な予感がする。あの高さ。あの穴。目的は一つしかないだろう。ほとんど反射的に姿勢を低くして腹這いになった時、穴の奥に赤い火が灯るのが見えた。
全ての穴から燃える何かが飛び出し、次の瞬間には町のあちこちから破砕音が響いていた。偶然にも近くに当たったものを見て、何が発射されたのかを知った。建物の壁にめりこんでいたのは、奇妙な風にねじれた白い浮遊夢魔の体だった。
あまりの事に言葉を失っていると、次に巨亀はゆらゆらと体を揺さぶり始め、尻尾を振り上げた。その尻尾の先についているものを見て、また俺の脳は思考を鈍くする。
そこには亀の体に比例して巨大になったリトル・ガルムがついていたのだ。
亀は首をぐぐぐっと横に溜めると、反動をつけて体を急回転させた。
凄まじい轟音を立てながら、巨大な歯車の群れが町のありとあらゆるものを噛み砕き、轢き潰して行った。
後には円状に残った瓦礫の山のみ。
「近づくのも危険か。一体、どう戦ったものかな……」
しかし、不思議と心は折れなかった。多少、ノーラの支援で真核の力は上がったと言っても、あんな規格外にまで通用するとは思えない。だが、いざとなればこちらにも奥の手が無いわけではないのだ。
「……そろそろ潮時なのかもな。ノーラ、騎士の力を頼る時が来たみたいだ」
「…………」
「アイツを倒せるだけの力は、もうそこにしか無いからな」
俺は物入れから一本の紐を取り出し、それで二の腕をきつく縛った。そして、胸の袋から青い真核を取り出し、それを咥え、痺れつつある腕にぴったりと剣をつけた。
腕一本だ。しかも、バッサリと落とせるわけは無いのだから、何度か叩きつけて切るしかあるまい。一体どれほどの激痛なのか想像もできないが、真核の力を使えばすぐに再生できるはずだ。
脂汗が滲むのがわかる。震える手で剣を握り――――――
「う?」
気合いとは逆に、体の力が急速に抜けていくのを感じた。
気づけば、すぐ側にノーラが立っていた。
「こうなるのは分かっていた。言っても聞かないものね。だから、無理矢理にでも止めるしかないと、そう思ってたわ」
次の瞬間、俺はどこかの暗い路地裏に倒れていて、腕の紐を彼女に切られていた。
「もういいの、デリス……。これまでずっと、真っ暗な中をわずかな灯りで走るような、心許ない日々だった。それでも何もかもを噛み合わせなければ、ここには辿りつけなかったと思う。だから、アナタには感謝してもしきれない」
「ノーラ、何を……」
「幸運にも、私たちはまだ混ざらずに分かれている。今なら、この真核を通してアナタの力を貰う事だってできるの。これを使って、私が戦って来る。多分、命がけになる」
「待……て……」
「やめろなんて言わせないから。だって、アナタがやろうとしていた事だもの」
「…………」
いよいよ、喋るのも億劫になるほど、倦怠感が増してきている。
「ありがとうデリス。妹の不始末は私が片づける。アナタは何も失う必要なんか無いの。立派な夢細工師になって。アナタきっと才能あるわ。近くで見ていた私が言うんだから間違いない。だって、あんなに誰かの為に一生懸命になれる人、そうそういないもの」
そう言うと、彼女は俺の上半身を抱き起し、力強く抱きしめてくれた。
「さようなら。本当にありがとう」
俺を壁にもたれさせると、彼女は立ち上がって駆けて行った。
「………………」
ああ、ノーラ、ノーラ……。
何故、さようならなんて言うんだ。俺が騎士になれば、二人でいられたじゃないか。これじゃあ、一人ぼっちだ。君が記憶を取り戻して聞いた事なんて、悲惨な事ばかりだ。もっとたくさん、色んな楽しい事やありふれた事を聞いてみたかったんだ。
君は何が好きだろうか。
普段、どんな事を考えていたんだ。
どんな場所に行って、どんな事をしてみたかったんだ。
永遠に君に会えなくなるのか。
「ノー……ラ……」
呟いた時、自分の目から涙が出ていくのがわかった。しかし、手でそれを拭う事さえできなかった。
「彼女は、行ったのですね。アナタを残して」
唐突に、聞き覚えのある声が聞こえた。それは、人の心を撫でつけるような喋り方だ。見える範囲に姿は無い。しかし、とても近く、息までかかりそうなほど近くにいるような、そんな気もした。
「狙いは良かった。私を振り切るというのは正解だったと言えるでしょう。ですが、残念ながらそれは無駄だった。何故なら、必ず私を必要とするようになるからです」
「お前は……」
「彼女は恐らく、勝てはしないでしょう。相手の力を見誤っているのですから」
視界の外からぬっと手が伸びると、小瓶に入った液体を口の中に流し込まれた。
「さあ、飲んで下さい。これで少しは動けるようになるはずですよ」
抗う事もできず、その甘ったるい液体を喉の奥に入れると、体中に微かに力が漲るのを感じた。
ゆっくり頭を上げると、すぐ近くに趣味の悪い仮面があった。
「……詳しく教えろ、クラッスス」
「勿論。とりあえず、話は移動しながらとしましょうか」
自分の脇の下に腕が差し込まれ、肩を借りる形で持ち上げられた。そして、そのままゆっくりと引きずられるように歩き出した。
「……お前は瞬間移動まではできないのか」
「アレはこの夢と繋がっている彼女だけのモノですよ。さて、何から話したものか」
「……相手の事だ」
「そうでした。今、彼女が戦っているモノ。あれはアナタ方が知る破滅根とは少し違うのですよ。言うなれば、ランク一つ上の破滅根。そもそもの話をすれば、あれはどちらかと言えば病に近いものなのですよ。彼らは夢を変質させ、現実もろとも破壊すると、違う夢へと渡っていくという性質を持っているんです」
「……それじゃあつまり」
「ええ。言うまでもなく、何度かの経験を積めば頭角を現す者というものが現れてくるという事です」
合点のいく部分は多かった。あれはどう考えても異質だったのだ。まるで人間を相手にしているような感覚すらあった。
押しやられた瓦礫の山を登りきった時、凄まじい熱波が吹き込んで来るのを感じた。反射的に腕で顔を庇いながら、薄く開けた目で見ると、大きく開けた場所の真ん中で、巨大な亀の周囲を小さな炎が飛び回っているのが見えた。その炎は、時折大きく膨らみ、その度に熱波が産まれていた。
ノーラが戦っているのだ。
巨亀は尻尾を振り回したり、背中の塔から弾を打ち出しているが、その尽くを躱され、その度に体のどこかを炎の槍で刺されている。
「見た所、彼女が善戦しているんじゃないのか」
「そのように見えます。ですが、果たして彼女は削りきる事ができるでしょうか?」
確かに、それほどダメージは通っていないようには見える。しかし、ノーラだってそれは承知の上のはずだ。何か、あるのだろう。
巨亀はしばらく鬱陶しそうにしていたが、段々と攻撃が脅威で無い事がわかると、無視し始めた。そして、先ほどしたように尻尾を振り回し、町の破壊に専念しだした。
「やっぱり、火力が足りないのか……。ノーラはどうするつもりなんだ?」
「見ていればわかりますよ。しかし、流石ですねノーラ嬢は。ここまで全て、彼女の思惑通りに進んでいますよ」
何もかも分かったような口ぶりだが、果たして本当にコイツは理解できているのだろうか。そうでなければいいと思う。だが、もしも当たっていたとしたら……。
「失敗するというのなら、彼女を止めないと。一度、退いて対策を練るべきだ」
「そうですね。ですが、彼女がそれをよしとはしないでしょう? それに、もう手遅れみたいですよ」
ノーラ自身に巨亀が関心を示さなくなったのを見るや、彼女はゆっくりと死角から甲羅に取りついた。そして、突起にしっかりとしがみついた。その瞬間、彼女の体が真っ赤に燃えだした。
「あれは…………」
「彼女の中に蓄えられた力。その全てを一点に集中させて一気に放出するつもりなのですよ。まあ、一言で言えば、自爆、ですか」
全身に鳥肌が立つのを感じた。
「やめろ……やめろ、ノーラ!!」
そこでようやく、自分の背中に異様な気配を感じたのか、巨亀が暴れ始め、その騒音で俺の声はかき消されていく。
巨亀の暴れ方は尋常ではなかったが、ノーラは離す事なくピッタリとくっついていた。
「――――」
彼女の顔など見えるはずがない。しかし、確かに一瞬、まるで時間が止まったように彼女の表情が見えた気がした。とても優しい顔で笑っていた。
次の瞬間、凄まじい閃光と共に、大きな爆発が起こった。避けようと思う暇も無かった。目を閉じるので精一杯だったのだ。しかし、次に来るはずの衝撃は来ず、くぐもった音だけが周囲に響いていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。