第25話 微睡みの槌 25

「ノー……じゃなくて、アイノーラ、か」

「ノーラでいいわ。結構、気に入ってるから。それよりも、気を付けて。この部屋の中、かなり夢と混ざってしまってる。多分、妹が急かしてるのね。何があるかわからないから、警戒はしておいて」

「あ、ああ……」

 そう言うと、彼女はゆっくりと扉を押し開けて中に入った。

 ざらり、と巨大な舌で舐めつけられたような不気味な感覚を感じた。かつて母塊の中で悪夢を使った時のような、異界感に近いものだ。

「来たわよ、ジアーラ」

 ノーラが声をかけると、部屋の奥に置かれたベッドから体を半分起こした一人の女性がこちらを見た。見た所、ノーラよりも少し年上に見える。実際、彼女が死んだ後にいくらか時間が経っているだろうから当たり前なのかもしれないが、それだけでなく外見にひどく疲れを感じさせたからだろう。目元に力は無く、頭髪に白髪が混じっており、表情も冴えない。しかし、そんな彼女もしばらくノーラを見てから力なく笑った。

「姉様……ああ、やっぱり、きっとそうだと思った。私を殺しに来てくれたのね、姉様。ああ、待っていたわ。さあ、こっちへ来て……」

「……私には、そんな理由は無いわ。何故、そう思ったの?」

「だって、命がけで守ってくれたというのに私、この通りまるでダメだったんですもの。頑張ったわ。がむしゃらに頑張った。でも、ダメだった。私は出来損ないだもの。でも、もう関係なくなった。もう私を罵る人はいないもの」

「お父様とお母様は、どうしたの?」

「嫌ですよ、そんな目で見ないで下さい。私は何もしていません。保養地で事故に遭ったんです。私が、体を壊したから。この土地の水では満足のいく子が産まれないからと、有り難い力のある土地へ行かれたんです。ふふふ、おかしい。まるで天罰でも下ったみたいじゃないですか。……とはいえ、そうでなければ私が手にかけていたでしょうけれどもね」

「アナタの気持ちはわかるわ。お父様たちを擁護する言葉も無い。けれど、アナタがそんな風に歪んで欲しくはなかった」

「知らないからそんな事がいえるのですよ。お姉様が亡くなった時、アイツらが何と言ったと思いますか? ――――アイノーラの方で良かった、と言ったのですよ! 人でなし、畜生です! あんなおぞましいものが両親だなどと、思いたくもない……!!」

 ジアーラはよほど激昂しているのか、指が手に食い込むのではないかというぐらい強く拳を握っていた。恐らく、それが彼女の起点なのだろう。何度も思い出し、決して忘れぬように憎しみを研ぎ澄まし続けていた。

「でも、それなら……アナタは破滅根を使って、誰を狙ったの? 私はてっきり、両親もろとも町を破壊しようとしているのだと思っていたわ」

「誰でもありませんよ。言うなれば、何もかもです。できるならば、地の、海の、空の続く限り全てを消してしまいたかった。でも、それには残念ながら足りなかった。だから、妥協したのです。嫌な思い出があるこの町だけに」

「無関係の人まで巻き込むというの?」

「無関係ではありません。私の人生にこの町は切っても切れないものです。人生そのものを焼却しようというのですから、当然丸ごと破壊しなければいけません」

「そんな理不尽な話があってたまりますか!」

「そうですね。でも、そんな私を生かしてしまったのはお姉様ですわ。私、とても悪い人間になりました。今、あの日に私を助けた事を後悔しているでしょう? だから始末をつけにきたんでしょう? ええ、いいです。私、すぐにでもこの命を――――」

 あ、と言う間にノーラは彼女を捕まえると、思い切り頬を叩いた。

 パン、と乾いた音が部屋に響き、時間が止まったかのような静寂が部屋を満たした。そうして、今度は妹を引き寄せると、力強く抱きしめた。

「後悔など、してはいません。するわけがない! 私はアナタが大好き。今も昔もずっとそうよ。もしも、生まれ変わっても同じ人生だったとしても、何度だってアナタを助ける為に炎に飛び込むわ。だって……、アナタは私のたった一人の大切な妹だもの」

「嘘よ……そんなわけない。お姉様は私を憎んでるのよ。だって、私……」

「私はアナタを許すわ。何もかもを許す。だから、今からもう一度、背筋を伸ばして立って、まっすぐに歩いて。自棄になんてならないで」

「やめて……そんな事を言わないで。私もう、疲れたの。もう、嫌なの……」

「それでも、それでもよ。それでも、お願い」

「もう、取り返しがつかないわ。あの破滅根が町を消し飛ばすもの」

「させない。そんなものこそ、私が消し飛ばしてあげる。その為に来たんだもの」

 それが決め手になったのだろう。ジアーラは、最初は静かに、徐々に感情が溢れるまま、自身の姉にすがりつきながら泣きじゃくった。嗚咽で言葉にならない謝罪を何度も何度もつぶやいていた。

 そんな彼女をノーラは優しく抱き、背中をさすってやっている。

「ジアーラ、もうアナタは大丈夫。さあ、横になって。目を閉じて眠るの。そうして、目を覚ました時には、もう厄介事は全て綺麗さっぱり無くなっているわ。そうしたら、今度は館を出て、どこかへ養生に行きなさい。そうね、海が見える場所がいいわ。綺麗な、真っ青な海原が広がる所。そうして、何も考えずにただぼんやりと過ごすの」

「……姉様も一緒に行きましょう。お願い、ずっと側に居て。そうしたら、きっと私、また頑張れるわ」

「残念だけど、それはできない。こうして会えたのは嬉しいけれども、私はもう死んでいるもの。これは、一時の幻だと思って」

「そんな……」

「さあ、横になって。大丈夫だから」

 そう言うと、ノーラはジアーラの頭を枕に乗せると、優しく布団をかけてやった。

「姉様、眠るまで手を握っていて」

「ええ、もちろん」

 いつしか、ジアーラの表情から緊張がとれ、憑きモノが落ちたような、安らかな顔つきになっていた。よほど安心したのだろうか、彼女はものの数分もしない内に、寝息をたて始めた。

 ノーラは彼女が寝入ったのを確認してから、ゆっくりと手をほどき布団の中に戻してやると、額にキスをした。

「付き合わせてごめんなさい」

「いや、いいさ。とはいえ、完全に蚊帳の外だったな。もしかして、俺の事は見えてなかったりして」

「きっと誰が一緒だったとしても、妹は私にしか興味を示さなかったと思う。それだけ、自分自身の世界が狭く極端になってしまっていたのね。……さあ、これで憂いが無くなった。これからが本番よ」

 そう言うと、彼女は片手を高く挙げると、頭の上で円を描くようにぐるりと回した。すると、先ほどまであった部屋の中に満ちていた不快感が薄れ、空気が澄んできたような気がした。

「本来なら、夢の主は破滅根に対して拒否感を示すものだけど、妹はそうじゃなかった。だから、際限なくアチラ側に有利な条件ばかりが揃った。けれど、これでもう供給は断った。とはいえ、もう準備はほとんど終わっていただろうから、向こうからすれば、焼け石に水でしかないのだろうけど」

「そうか……だから、君は外に出なければ、と言ったのか」

「そう。今はそれがしっかり分かるけれど、あの時は不完全な状態だったから、具体的な目的がわからなかった」

 随分と遠回りしてしまったものだ。しかし、それでも確実に道が繋がって来ている。

「という事は、もう一息で解決できると思っていいのか?」

「…………。そうね。でも、ここからが一番、重要な部分だと思う。それじゃあ、こっちへ来て」

 そう言うと、彼女はベッドを回り込んで窓の方へと向かうと、ガラス戸を押し開き、テラスへと出た。

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