第21話 微睡みの槌 21
*
朝の目覚めは、空腹感と共にやって来た。そういえば、マトモに食事を摂るのはひどく久しぶりだ。今まで疑問に思う暇も無かったが、やはりあの夢の中はよほど特殊だったのだろう。
とにかく、胃がモヤモヤとする。今日ばかりは決まりなど無視して思う存分に好きな物を食いたい気分だったが、どうにかその誘惑を頭から消した。
と、そこで初めて懐の袋にノーラの気配が無い事に気づいた。それと同じタイミングで、階下から何かをひっくり返したような音が響く。
嫌な予感がして部屋を飛び出すと、ダイニングの所でうつ伏せになって伸びているノーラを見つけた。
「大丈夫か。すごい音がしたけど」
「あー、大丈夫。ちょっと躓いてお椀をひっくり返しちゃって……」
「怪我とかは無い?」
「大丈夫、大丈夫」
ノーラは少し顔を青くしながら苦笑いを浮かべている。
「彼女は、君に朝食を用意しようとしてくれていたのだよ。最後の一歩までは概ね上手くいっていたんだが」
声がした方を見ると、食器棚の取っ手にフラメルがへばりついていた。
「うん、そうそう。フラメル先生に料理を習ってね。ほら、見て! 芋を蒸かしたよ」
どこから聞くべきなのか見当もつかないが、それはさておき、
「ありがとう。丁度、ものすごく腹が減っていた所だったんだ」
と言う。すると、ノーラは心底安心したような顔をした。
「それで、どういう経緯でこんな事に?」
「えーっとね、朝になってデリスを起こしに行ったんだけど、昨夜は頑張り過ぎて疲れてるみたいだったから、朝食ぐらいは用意できないかなと思って。で、先生に見つかったの」
「なるほど。悪いなフラメル、面倒みてもらっちゃったみたいでさ」
「いや、大した事はしてないよ。彼女が実験的な包丁の使い方をする前に、なるべく簡単なレシピに切り替えて貰ったまでさ」
「ホント、ありがとうな……」
危ない所だった。そうか、彼女は包丁を使えないのか。今後は危ない物は逐一教えていかないといけないみたいだ。
「ところで、デリス。昨夜は……その、頑張ったんだって? まあ、こんな状況だけれども、君も男だからな。ただ、先に言っておいてくれれば一晩くらいは外で過ごすのもやぶさかではないから、次からは事前に……」
「勘違いしないでな。そういう意味じゃないから。……報告が遅れたけど、昨日の夜に例の破滅根持ちは攻略し終わったんだ。で、真核はクラッススに預けてある」
「なんだって……?」
「ああ、言うのが遅くなって悪かった。俺も昨日は色々あって……」
「いや、そうじゃない。攻略したって? 本当にかい?」
「……そのはずだけれど、何かあったのか?」
「うん、話は食事をしながらにしようか。せっかく用意して貰ったのに、冷めてしまってはもったいないからね」
「あ、ああ……」
俺はノーラと一緒に散らばった食器類を片づけ、フラメルを食卓の端に下ろしてやると、席についた。
お祈りを唱えてから、皿に置かれた芋を割ってかぶりつく。独特の土臭さとほのかな甘みが広がり、次いで熱さ口内を刺激する。素朴で、どこか安心する味だ。蒸かし具合もなかなかいい。
「美味しいよ。初めてとは思えないな」
そう言うと、ノーラは嬉しそうに笑って、何も言わずに自分の分の芋を齧り出した。気を回してくれたのか。少し申し訳ない。
「フラメル、話の続きを聞かせてくれないか」
「うん。実は、君が出かけてから奇妙な現象が起きてるんだ。いや、正確には既に起きていた事にようやく気づき始めたというのが正しいかもしれないが。最近、町の人が見る夢の中に焚火が現れるようになったのさ。最初は誰も気にしなかったのだけれど、とにかく毎日毎日、どんな夢にも同じ焚火が現れるもんだから、不審に思った人が調べてみると、本当にほとんどの人が同じような物を発見している事がわかったんだ」
焚火、そう聞いて俺の頭には嫌でも浮かぶ光景がある。そう、あの破滅根持ちの夢、そこにも大量の焚火があった。
「とはいえ、今の所それが悪さをしたというわけでもないから、関係があるのかどうかもわからない始末でね。しかし、君らが攻略したというのなら、徐々に収束していくのかもしれないさ」
「そうだといいが……」
ずっと頭の隅で何かが引っかかっているのに、それが何かわからない。フラメルの話にもどういうわけか同じ部分がヒリつくのを感じているというのに。
「ところでデリス、悪夢の中はどうだった?」
「ん、ああ……。貴重な体験をたくさんしたよ。といっても、話しても信じて貰えないような事ばかりだったけど。そうだ、フラメルは親方の師匠、先代の事って知ってるか?」
「先代? ああ、ダインの事か。少し面識はあったけれど、何しろ工房には滅多に寄りつかない人だったからね。あまり詳しいとは言えないかな」
ダイン、というのか。もしかして人違いだろうか。
「そうだな……彼の事が知りたいのであれば、弟子だった二人に直接聞いてみるか、もしくはゼードルの部屋にある本棚を調べてみるかだね」
「本棚?」
「入って右側の本棚さ。そこにあるのは全て先代が集めたものなんだよ。人となりを知るのに、本棚を見るというのは悪くないさ」
そういう考え方もあるのか。食事の後片付けが済んだら、少し覗いてみようか。
そう思いながら芋を平らげると、すぐに隣から食器を取られた。
「気になってるんでしょ。ここはいいから行っておいでよ」
「ありがとうノーラ。でも、悪いよ。用意までして貰ったんだから、後片付けは俺にやらせてくれ」
「気にしないで。私が好きでやってる事だから。それに、デリスが感じてる不安、私にも何となくわかるの。できれば、早くそれを解決して頂戴。それは多分、私には手伝えないから」
そこまで言われてしまうと、流石に出張りにくくなってしまった。
「分かった。今日は甘えさせて貰う事にするよ」
そう言い、俺はフラメルに監督をお願いしてから、親方の部屋へと向かった。
二階の突き当たり、一番奥が親方の私室だ。何度も入ってはいるが、それほどじっくりと観察した事はあまり無かった。
部屋に入ると、埃の臭いに混じって懐かしい香りがした。嗅げば、すぐに思い出せる。いつも追いかけていた大きな背中。何度も見た、素晴らしい棍棒さばき。まだ思い出にする必要は無いのに、何故かノスタルジーを感じてしまっていた。
気を取り直して、フラメルが言っていた本棚を調べる事にした。
見た所、よく掃除が行き届いている。とても大事にされているのだろう。棚にあるのはほとんどが何かの図鑑や資料などで、娯楽のようなものは見当たらない。
いくつか手に取ってみて気づいたが、その内の何冊かは見覚えがあるものだった。昔、壁にぶつかった時に読むように手渡してくれたのを覚えている。
「知識と想像力が強さの源泉、か……」
やはりどこか、彼には同じような思想を感じる。
俺は彼が言っていた事を再び反芻してから、目に付いた本をいくつか手に取り、パラパラとめくってみた。
『奇妙な生物たち』、『幻視幻聴図鑑』、『危険な植物』、『伝聞妖怪図鑑』などなど。どれも想像力をかきたてるようなものばかりだ。とはいえ、やはりあまり普通の人が必要としそうもないものばかりだが。
本棚から人物像を想像するというのはなかなか難しい。
と、そこで一つの項目に目を留めた。
「黒い蝶……」
母塊の中で見られる蝶。他の生物にとって危険な場所に生息している。理由は不明。生物の死骸を糧としているからではないかとも言われているが、彼らの食事を目撃した者は誰もいない。
と、頭の中でパチンと噛み合うような感覚があった。同時に、体中がプツプツと泡立ち、全身がぞわりとした。
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