第20話 微睡みの槌 20

 俺は再び、窯の重い扉を開き、すでに蒸気の篭った窯の中へと入った。緊張はある。抵抗も恐怖もある。でも、不思議と頭は落ち着いている。自信がつくような事なんて何一つ無かったはずなのに、だ。

 懐に手を入れ、三つの真核がちゃんと袋に収まっている事を確認すると、胸にじんわりと温かいものが溢れた。久しぶりに、悪くない気分だった。

 ゆっくりと瞬きを一つ。

空間の膨張を感じたら、もうそこは夢の中だ。

 等間隔に並んだ焚火で埋め尽くされたうすら寒い荒野、その向こうにかつて見た廃墟がある。俺はなるべく深く深く呼吸をしてから、最初の一歩を踏み出した。

「ノーラ、せっかく出られたのに、また戻って来てしまって悪いな」

「気にしなくていいよ。何だかね、今は少しこの夢の事がわかる気がするの。これは、とても危険。破裂したら、本当にタダじゃ済まない事になるんだと思う」

 ノーラの言う事は正しい。どうあっても、この夢は攻略しなければならない。しかし、それとは同時に頭の隅で引っかかっている事があった。それは、果たしてどんな人間がどんな思いを抱えてこんな物を生み出したのか、その背景だ。

「何も、こんな破滅を望まなくたっていいじゃないか……」

 俺は、焼き崩れ、朽ち果てつつある町を見て、素直にそう思った。

 入口から堂々と入り、道のど真ん中に立った。すると、向こうからフラフラと甲冑が一人だけで歩いて来た。なるほど、最初に入った時とまるで同じだ。

「ありがたい」

 俺は懐から黒い真核を取り出し、それを空に掲げた。

「お前が本当に手強い奴だと再確認できたからな。だから、悪いが手段は選ばない」

 握った拳を中心に、暗色のシャボン玉のようなモノが現れ、それは物凄い速度で膨張し、周囲一帯を覆った。それと同時に、どこかから金属を捻じ曲げるような、不快な音が響き渡る。

「汚れてしまえ」

 変化はすぐに目に見えた。そこら中に潜んでいたのであろう浮遊夢魔たちが頭を抱えてもがき苦しみながら這い出したのだ。見れば、甲冑の浮遊夢魔はとくに激しくのたうち回り、兜を脱ぎ捨てていた。見れば、それは他の浮遊夢魔とまるで同じ、白い体に単眼をしていた。

「予想通りだ。やっぱり、どう考えてもおかしいもんな。人を待ち伏せするような頭脳があるような奴が、何度も何度も同じ方法で襲って来るなんて、そんなの有り得ない。さあ、出て来い」

 そう言うと、地面に転がった瓦礫の下から、もう一つ、別の甲冑が這い出して来た。

「本当に、どうしようもないほど嫌な相手だよ、お前は。でも、今回は俺の勝ちだ」

 再び、真核の中にある力を引き出していく。すると、空間そのものが緩慢に波立つような奇妙な感覚と共に、どこかからしわがれた老人が絞り出すような声が聞こえた。

『全ての生あるモノは軽蔑されよ。皆、等しくもがき苦しめ――――』

 その言葉が発端となり、浮遊夢魔たちの体はオレンジ色に変色し、捻じれるように形を変えて行き、ほどなく全員がその場で物言わぬ樹木となった。

 俺はゆっくりと歩き、地面に半分埋まった、不自然に甲冑をぶら下げる木の前に立った。

 あれほど恐ろしかった敵が、今や抵抗できないどころか、動く事さえできない。その様に呆気なさすら感じる。

 木の中心あたりに触れ、意識を集中させると、奥の方に微かに真核の反応を見つけた。俺は剣で慎重に切れ目を作ると、そこに手を入れて異物を取り出した。

 それは、静脈から溢れた血のようなどす黒い色をした、捻じくれた小瓶だった。

「本来がどんな風だったのかはわからないけど、なるほど確かにあまり趣味がいいとはいえないな」

 取り出した真核を腰の物入れに仕舞い、俺は出口へ向けて歩き出した。

 この夢を攻略すればきっと気分は晴れ晴れとし、堂々とできると思っていた。しかし、今はそんな気持ちどころか、空虚さで一杯だ。何故だろうか、頭の隅でずっと何かがひっかかっていた。

 廃墟の町を出る直前、何気なく振り返ってみるも、そこには先ほどと何も変わっていない。一体、何が自分を苛んでいるのか、全く理解できない。

「どうしたの、デリス? 何か気になる事でもあるの?」

「いや、何でもないよ。それより、早く帰ろう」

 一旦疑念は置いておこう。それよりも、早く親方の様子を見に行かなければ。

 小走りで桶まで戻り、すぐに夢から抜け出した。そして、窯の外へ出ると、やはりクラッススが待っていた。

「どうでしたか?」

 そう聞かれたので、俺は先ほど手に入れた小瓶を取り出した。

「フフフ、成功させると信じていましたよ。やはり、あまり苦戦はなさらなかったようですね。頼もしい事です。それでは戦利品を見させて頂きますね」

 彼はしばらく色々な角度で真核を眺めていたと思ったら、ある一点でピタリと動きを止めた。

「ふむ……」

「どうかしたのか?」

「……少し、気になる点が。いや、これは悪夢を使ったが故なのか……。ふーむ……。申し訳ありませんが、この真核、しばらく預からせて頂けませんか? もう少し詳しく調べたいので」

「どういう事だ? 何を見つけたんだ?」

「何を、というほどの事ではないんですが、今まで様々な真核を見て来た身としての、直観から来る違和感といいますかね。とにかく、早急に調査いたしますよ。結果が出るまでは体を休めていて下さい」

 そう言うと、クラッススは深く頭を下げてから、素早く走り去って行った。

「何なんだ一体……」

 釈然としない気持ちはあるが、今すぐに何かをするには体はすでに限界が近い。とにかく、一度工房へと戻る事にした。

 夜道をゆっくりと歩きながら、どうにかアトリエに戻った時にはもう、頭がぼんやりとしてうまく思考する事もできない有様だった。

「出発したのが夜で、帰って来たのも夜か……。何だか、変な感じだ」

 裏口から中に入ると、少し埃っぽいような臭いがした。明日は親方の見舞いに行ってから、掃除をしなければならないだろう。

 水槽を覗いてみたが、フラメルはもう寝てしまっているのか、反応が無い。

 起こさないよう、物音を立てないようにゆっくりと歩いて自分の部屋へと入り、装備を適当に外すと、倒れ込むようにベッドに寝転がった。

 そこで、ようやく安心できる場所へと帰って来たという実感を得られたのか、猛烈な眠気が襲って来た。

「ちゃんと布団を着ないと風邪をひくよ」

 まどろみながら、ノーラの声を聞くが、それに反応する事ができない。とにかくもう、瞼を開く事すら億劫だった。

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