第18話 微睡みの槌 18

「今出したのは、この夢に集まった多くの夢たちの真核だ。彼らは全員、君の味方であり、そして敵でもある。好きなだけ使うといい。そして、ぼくに君の力を見せてくれ」

 俺は一番近くに落ちていた真核を一つ手に取った。すると、それはすぐに形を変え、大きな灰色の槌へと姿を変えた。

「これはもしかして……最初の夢か。ありがとう、力を借りる」

 槌を大きく振り上げると、それを彼が先ほどまで腰かけていた自然石めがけて力いっぱい振り下ろした。直撃の瞬間、槌の色は一気に黒くなり、重量が増したのを感じた。岩に先端がめり込むと、巨大な亀裂を生みながら衝撃が突き抜けるのを感じた。

「こりゃすごい……」

「それじゃあ貧弱だぞ。もっと限界まで引き出せ」

 と、彼の声が頭上から降ってきた。驚いて視線を上げると、さきほど自分が手に取ったのと同じ色をした真核を持った彼がいた。

「こう使うんだ」

彼が握った真核は爆発的に膨張し、そみるみる内に形を変え、家一つはあろうかというほどの巨大な槌になった。打撃面は人の顔を模したような作りになっており、それがカッと目を見開く。

 突然、自分の体が何倍にも重くなるのを感じ、その場に崩れ落ちてしまう。

「っはっ……ッ!!」

「さあ、これが最初の洗礼だ」

 その言葉が聞こえた時、自分の数センチ先に槌が迫っていた。

 …………。どこかで水が跳ねるような、何かを叩きつぶすような音が聞こえた気がした。その時には自分の視界は真っ暗になっており、うまく聞き取る事ができなかったのだが。

 次に目を開けると、自分は先ほどを同じ場所に立ち、先ほど砕いたはずの岩までもそのままの姿でそこにあった。まるで、時間が戻ったみたいに。

「何……が……」

「君は今、致命傷を負った。しかし、湧水の力ですぐに回復したんだよ。さあ、どんどん行こうか。そうだな……あと、ざっと――――五千回は死んでもらう」

 そう言うと、男の目がスッと細くなり、視線が射抜くような冷たく鋭いものになった。

 体中から、どっと冷や汗が噴き出すのがわかった。初めて、自分の生死を弄ばれるという恐ろしさを理解したからだ。

「ぼさっとするんじゃない」

 彼は足元から一つの真核を拾い上げると、それを放り投げた。

「行け、『亜人影群体』」

 真核は空中で弾けて光を放つと、周囲の物影という影から大小様々な真っ黒な二足歩行の化け物が飛び出し、こちらへ目がけて殺到してきた。全員、口の中にある牙だけが真っ白だった。

「これも、さっきの……!」

 体は反応したはずだった。しかし、気づけば体中に太い腕が絡みつき、身動きを封じられていた。周囲からカチンカチンと歯を噛み合わせる音が聞こえる。それは、これから何をされるのを明確に想像させ、思考が恐怖に麻痺させられていく。しかし、抵抗はおろか、叫び声を上げる間もなく、凄まじい力で締め上げられ、すぐに意識が飛んだ。

そして再び目を開ければ、何事も無かったかのように、最初の場面へと戻っていた。

「はあ……はあ……。何だ……何だこれ……」

「もっと抵抗しろ。さもないと、精神が死ぬぞ」

 今度は目と鼻の先にまで、彼が迫って来ていた。

「う、うあああああああああああああ!」

 頭に浮かびそうな悪いイメージを消す為に雄叫びを上げ、足元にあった真核を拾い上げた。それは姿を変え、七つに分かれた剣へとなった。

 ギリギリの所で自分を奮い立たせ、向かわんとした矢先、目にしたモノがいとも簡単に心をへし折った。

「想像するんだ。真核が持つポテンシャルを引き出せ」

 彼が持つ剣は、七つどころか木の根のように枝分かれし、空に届かんばかりの巨大さだった。

 何だこれは。頭の中で無意味な思考だけがぐるぐると回る。しかし、彼は取り乱す一瞬の時間さえ与えてくれはしなかった。

「『一万六千八百七支破魔殲滅刀』」

 それはもはや、剣などというものではなく、小さな山が一つ降って来たようなものだった。大地を割るような衝撃と共に、俺の意識はまた、真っ暗な闇の中へと沈んだ。

 

…………。

 ……。

 どれくらいの時間が過ぎたのか、巨大な力に潰されては再生を繰り返し続けた。

 潰され、切られた。次に焼かれ、枯らされ、貫かれ、挽き潰された。それからも何度も何度も、抵抗する間もなく何度も殺され続けた。その内、だんだんと現実感が無くなって来て、自分がどうしてここにいるのか、何をしているのかも曖昧になりつつあった。

 浅く水に浸かりながら、俺は空を眺めていた。

「デリス、立つんだ。君は今、最初の扉を開きつつある。さあもう少し」

 体は動こうとしていた。しかし、その為の意思が枯渇してしまっていた。もしかしたら、嫌気がさしつつあったのかもしれない。

「君が立たねば、ゼードルは死ぬぞ」

 その言葉に、胸の奥がビクリと震えた。

「お……お……」

 義務感がそうさせるのか、体は起き上がろうと震えるが、うまくいかない。

「もうやめて」

 そこで、側から、ノーラの声が聞こえた。

「どくんだ、君も彼のパートナーであるなら、ここは耐えてくれ」

「そんなの知った事じゃない。私にとって、今はデリスだけが身内なの。これが修練だろうと何だろうと、嬲られている様は見ていて気分のいいものじゃない。もっと他のやり方にして頂戴」

「それは無理だ。これは必要な事なんだから。悪いが、今しばらくは我慢してくれ」

「私は……どういうわけかこういう光景を見ていると、体が勝手に動いてしまうみたいなの。とにかく、嫌。嫌。すごくイライラするの」

 彼女の髪がザワザワと浮き上がるのを見た。そして、怒気に呼応するように、彼方から何かが迫って来ていた。

「今すぐデリスから離れて。さもないと、私も何するかわからない!」

 ノーラが叫ぶと、彼女の周囲に大きな火の玉がいくつも現れた。

「これはこれは……なるほど……。まだ完全には融合していないせいか、君もまた同じような能力を使えるわけなのか。普通、夢魔というのは宿主に依存しなければ力を発揮できないものだが、これはすごいな……」

「悪いけど、もうこれ以上は会話する気ないから。デリスの手助けは私がするわ。だから、アナタの力はもういらない」

 ノーラ、ああノーラ……。俺はどうして彼女を忘れていたんだろう。

 俺は、今にも振り上げんとしている彼女の手を掴んだ。

「……止めないで」

「待ってくれないか……。もう少し、やらせて欲しいんだ。ごめん。謝るよ。どうして勘違いしていたんだろう。俺なんかまだまっとうな職人ですら無いのに。半人前って評価すら甘いんだ。そんな俺がここまでどうにかこうにか生き残ってこぎつけたのは、君の力があったからなんだ」

「…………」

「ノーラ……頼みがある。俺に力を貸してくれ。もう一度、心に火を入れたいんだ」

「でも…………。いえ、アナタがそうしたいなら」

 彼女は俺の頭を一撫でしてくれてから、真核の中に戻って行った。

「なあ、アンタ。そういえば名前なんだっけ? 忘れちゃってさ……」

「最初に言ったろ。ネロだよ。しかし、どうやら少し元気が戻ったみたいだね」

「ああ、何だろうな。そう、覚えがあるぞ。これは、初めてノーラと出会った時と一緒だ。なあ、ネロ。ここでは死ぬ事は無いんだよな? だから、人間の限界を超えた、凄まじいモノを生み出せるんじゃないか?」

「そういう事だね。しかし、人間は勝手にブレーキがかかるものだから、いくらすごいものを考えても、実現できない。ありえないものだからね。でも、ナマの夢ってもっと自由なものだろう? まだ君は現実の延長にしかいないのさ」

「ああ、何かわかる気がするな」

 俺は落ちていた真珠によく似た姿の真核を一つ掴んで立ち上がった。

「そうだな……、『ジャンキー』って所か」

 その真核は瞬時に真っ黒に染まり、中から人の顔をしたヘドロのような物が噴き出した。

「ふむ、それじゃあさっきまでと変わらないようだけど?」

「アンタの真似をしたってつまらないだろう? もっといい事を思いついたんだ。――――プラス『ファイアフラワー』」

 地面に転がった真核をもう一つ拾い、二つを思い切り叩きつけてやった。手の中で紫の光が溢れ、自分の手を焼き貫いた。しかし、それでも無理矢理に押し込めると、宙に浮いたヘドロが爆ぜ、美しい色とりどりの火花へと変化した。

「行け」

 火花の魔人は断続的に爆発を繰り返しながらのたうちまわるように相手へと飛んだ。

「これはすごい。足し算の発想か。確かに、命の保障がなければやりたくてもできない事だ。しかし、まだ生ぬるい」

 彼は足に金色の具足を発現させると、こともなげに俺が放った魔人を蹴り潰した。

「小手調べだからな。本命は別だ」

 手の中で二つの真核が爆ぜ、破片が水の中に落ちるとすぐに再生したのを確認してから、新たに一つを拾い上げ、胸元にあるノーラの真核を取り出して軽くぶつけた。

「『レインフォレスト、プラス、ノーラ』」

 周囲の水が急激に温度を上げ、間欠泉のように吹き上がって相手へ目がけて向かう。

 しかし、ネロは空中を走るようにしてそれ避け、空へと飛びあがった。

「よくなってきた。もっと上げて来なよ」

「ああ、頑張るよ」

 頭の中で熱湯の柱を操るイメージをすると、それらはグルグルと渦を巻き、巨大な熱湯の玉になり、空中に一列に並んだ。

俺は十分に引き絞ってから、その一番手前に渾身の拳を叩きこんだ。すると、水の玉は衝撃に反応して形状を槍のように変え、それが一気に連鎖していく。それは一つが潰れる度に加速していき、強弓から放たれた矢ほどの早さとなり、ネロの腹へと突き刺さった。

 やった、とは思わない。相手の方が何枚も上手なのだから。

 そして、その判断はすぐに正解だったとわかる。気づけば自分の足元から地面が消え、真っ暗な闇の中へと体が投げ出されていたのだ。そして、体は重力に引かれてゆっくりと落下し始めていた。見れば、頭上の遠くに地面らしきものが見える。どうやら、一瞬で遥か上空へと移動させられたらしい。

「素晴らしいよ、デリス。さあ、もっともっとだ……」

 少し離れた場所に、ネロが浮いて両手を挙げていた。その手の先、遠くに銀色に光る月がある。まさか、と思った時には、それはすでに動いていた。

 自分の体感する落下速度が急速に遅くなり、彼方にあった星の光が弧を描きながらスライドして線になっていく。

「知っているかい、地上から観察すると星は回転するんだ。だから、光が軌跡になる」

「…………」

 美しい光景だった。とても雄大で、自分の尺度では測る事などできないほど巨大でありながら、鳥肌が立つほど精巧な存在に目が離せなかった。

「星の光に乗ってみるかい?」

 ネロがそう言うと、全ての光が遠くからこちらへやって来るのが見えた。それは、最初はとてもゆっくりと動いて来ていたが、ほんの数秒が経つとその内の一本が目で追う事などできないほど速くなり、俺の左腕を消し飛ばした。

 痛みは感じていたと思う、だがそれを無視させるほど、全ての星から一直線に降って来る光は美しかった。

 巨大な光に包まれてから数秒後、目を開くと再び地面に立っていた。

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