第16話 微睡みの槌 16

目の前には先ほどとは打って変わって無機質な、白い壁があった。

「今度は、随分狭いな……」

 そこは、箱の中を連想させる場所だった。壁と床、天井。それ以外には何もなく、底面が十メートル四方の正方形、高さはその倍くらいだろうか。

 と、そこで背後から金属がかち合うような音がした。

 振り向いてみると、いつからそこに居たのか、フライパンに手足が映えたような真っ黒な生き物が左右にゆらゆら揺れていた。

 ソイツの顔にはやけに大きな口だけがついており、それを噛み合わせる事で金属のような音を出しているらしかった。

「今度は随分と小さい」

 口だけの小人は甲高い声でケタケタ笑うと、助走もつけずに加速してそこら中をすごいスピードで走り出した。

「まあ、その体格で単体と来れば、そうなるよな。でも……」

 相手の姿を目では追わない。俺は軽く深呼吸してから、再び火球を纏った。

 次の瞬間、うなじの辺りの一つが勢いよく膨らんだのを感じた。振り向いて確かめると、炎の槍が小人の体を刺し貫き、半分ほどを焼き潰していた。

「相性が悪い」

 これで二匹目。あとどれくらいいるのか知らないが、このレベルが続くなら問題なさそうだ。そう、思った。

 カチンカチンと、音が響く。見れば、半分以上を潰したはずの小人が、五体満足でそこに立っていた。しかも、二匹に増えている。

「そう来たか……。攻撃を与えると増えるってか……」

 もしくは、有効な攻撃の種類が限られているのかもしれない。そうなると、手持ちにキッチリと符合するモノが無ければ、攻略は難しいだろう。ここに入って初めて、一時撤退という選択肢が浮かんで来ていた。

 こちらが攻めあぐねていると、二匹の小人は並んでゆらゆら揺れながら、口を開いた。

『もしも失敗したら、親方はいなくなってあの店は晴れて自分の物だ』

『高く買ってくれそうなアテもあるし、そのお金で何のしがらみもないどこか遠くの町に自分の店を持とう』

「これは……」

 どういうわけか、こちらの事情を知っているような事を話し始める。

『大丈夫。誰も責めやしないさ。しょうがなかったんだもの』

『ラッキーだなぁ。たくさんお金も手に入って、皆から妬まれる事もない。きっと、もう一泣きすれば、まだまだ得ができそう。どこに行っても、同情して貰えて、よくしてくれるだろうな』

「全部、的外れだ。どれだけの金であっても釣り合わないような物はある。心から尊敬でき、信じられる師がどれだけ貴重か。自分を慈しみ、成長を見てくれる人の存在が、どれだけ有り難いか」

 俺が睨みつけてやると、二匹の小人は一際大きくケタケタ笑った。

「何が可笑しい――――」

 そこで、異変に気付いた。自分の顔に何かが貼りついていたのだ。慌てて触れてみると、それは金属製の仮面であるらしかった。

「一体、いつの間に」

『慈しんでるなんて嘘さ。どうせ、自分がヨボヨボになった時にこき使えるように、今から調教しているんだ』

『洗脳してるんだ』

「やめろ。それ以上言うと―――」

 ズン、と顔に重みを感じた。あまりにも急激な変化に、咄嗟には支えきれず、床に倒れ込んでしまった。仮面に触れてみると、先ほどとは明らかに形状が異なり、ゴツゴツとした二回りは大きい物になっていた。恐らく、先ほどの仮面の上から更に別の仮面がついたのだろう。しかも、どうやっても外れそうにない。

 ルールがある。今更ながら理解した。

 とにかく、受け答えをしてはダメだ。それをすると、仮面が増える気がする。

「攻撃すれば敵が増え、会話すれば身動きの制限が増える……。そういう事か」

『デリス、危ない!』

 その言葉に、咄嗟に反応してしまった。再び体中に火球を出現させ、その内の二つが反応した。炎の槍で貫かれた二匹は分裂し、今度は四匹に増殖した。

「クソ……何でもアリだな。まさか、ノーラの声真似とは……」

「だ、大丈夫? どうしよう、黙ってた方がいいよね?」

「こっちは、本物だな。ああ、とりあえずはそうしてくれると助かる」

 とはいえ、果たしてその真っ当すぎる対処が効くのかどうか。

『親方は自分に黙って秘密の仕事をしていた。他にもまだ内緒にしている事があるんじゃないのか? 実は、信用されてないんじゃないのか?』

『信用されてないんだ』

「…………」

 沈黙し続ける事はできないでもない。しかし、突破口が見つからないというのがとにかく精神的に厳しい。だが、ここで何とか踏みとどまっている限り時間は稼げる。いや、ちょっと待て。喋ってるのが二匹なら、残りはどこに行ったんだ?

「がっ!」

 気づくのが少し遅れたのが致命的だった。脇腹と腕に強烈な痛みが走る。体をくねらせて見てみると、見失った二匹が噛みついていた。

 なるほど、数を増やさせたのはこの為だったらしい。時間稼ぎには、別の手段を使わなければ……。

 俺は腰のホルダーから琥珀色の真核を取り出すと、それを放り投げた。

「三つ足盲目犬! こいつらを捕まえろ!」

 呼びかけると、空中の真核から紫の靄が溢れ出し、すぐさまそれが犬の形になった。そして、地面に着地するや、矢が飛ぶような速度で駆け、二匹の小人をあっという間に捕まえ、床に押さえつけた。

『ケラケラケラケラ』

「まだ笑うか……」

 その理由は、すぐにわかった。奴らは自分から盲目犬の爪を身体に深く食い込ませ、分裂したのだ。その上、俺の命令に忠実に従い続ける盲目犬を利用し、どんどんと自分を増やして行った。

「まずい! 戻れ! それ以上は……!」

 自分の指示は一歩遅かった。数が増えれば力関係は簡単に逆転し、盲目犬は大量の小人に密集されて押しつぶされてしまった。

 数十匹に膨れ上がった小人達は邪魔者を片づけるや、歯を鳴らしながら、こちらへと殺到して来た。奴らの半分は体へと向かい、残りは頭の方へ寄って来ると、仮面の穴から手を差し込み俺の口や目へと手を差し込んで来た。

「や、やめろッ!」

 今度はその言葉一つで、体に金属製の拘束具が出現し、身動きを奪った。奴らは数が増えるほど、こちらの言葉に過敏になっているらしい。ここからは一言すらも漏らせない、そう考えたのを見越していたのか小人たちは俺の耳や目、嫌悪感を催させる場所に手を伸ばし始めていた。

「こんにゃろ! 離れろ!」

 痺れを切らしたのか、真核から半分だけ体を出したノーラが小人達を払いのけようとする。しかし、彼らはまるで意に介す事なく、俺をいたぶろうと集まり続ける。

「待て、ノーラ! 危ないから中に――――」

彼女の存在を見たせいか、ふと頭の隅に一つの疑問が浮かんだ。

 コイツらは一体、何を望んでいるのか?

 先ほどの夢は、自分への攻撃を望んでいた。では、コイツらは? 攻撃される事は望んでないように見える。では、こちらを拘束して嬲る事が望みなんだろうか?

「いったぁい! 噛んだ! 噛んだぁ!」

 そこで、はたと何かが自分の中で繋がった。

「ノーラ! 中に入ってろ!」

「でも、このままじゃ噛み殺されちゃうよ!」

「いいや、大丈夫だ!」

 最初から間違っていたのだ。攻略すべき対象がいつも分かり易い敵の姿をしているなんて思うからおかしいのだ。そう、倒すべきはコイツらじゃない。

「もう、質問はしないのか!? 今なら何でも答えてやるそ!」

 その言葉に反応し、無数の小人達は我先にと言葉を投げかけて来た。しかし、それらはあまりにもたくさん重なり過ぎて、それぞれが何を言っているのか理解する事はできない。

「何を言ってるのかサッパリわからん! それぞれが譲り合うという事もできないのか低能どもめ!」

 俺が言葉を投げかける度、仮面と拘束具がどんどんと分厚くなり、膨れ上がっていく。

「俺は親方を救うんだ! 人助けをする為にここに来たんだ! お前ら、グズどもの為になんぞ払ってやる時間なんて、一秒も無い! 恥知らずな出来損ないどもめ! お前らのような害虫、潰れて死んでしまえ!」

 膨張速度はどんどん上がっていき、それに比例して小人たちの声は遠くなっていき、ある時点で何かにぶち当たるような鈍い衝撃を感じた。どうやら、部屋の限界まで拘束具が広がったらしい。

 周囲で、ギシギシと不穏な音が響き始めた。あと一言でトドメになる。

最後の言葉は決めていた。

「俺の邪魔をするな」

 その瞬間、金属がひん曲がるような不快な音ともに、何かが弾けるような音が響いた。

 小人らの声が彼方へと遠のいていき、その代わりに草の臭いを伴ったそよ風が仮面の隙間から流れ込んで来た。

 浅く呼吸をしながら、ゆっくりと目を閉じ、そして開く。すると、予想通りの光景が目前にあった。

 サラサラと揺れる透明の麦穂の群れ。その先に、数人の人影が立っていた。今回は、年齢も性別もまばらなように見える。

「ノーラ、通訳を頼む」

「あ、うん。えっとね……あの人たちは、抵抗の大事さを知っている人たち」

「抵抗……」

「押しつぶされつつある時にも、小さくても抵抗の声を上げたかった人、上げた人、それを許されなかった人。多分、そういう人たちなの」

「そうか……」

「デリス、大丈夫? ちょっと!」

 頭がぼんやりする。さっきまでは何とか気力で無視する事ができていたが、最初に噛まれた所の傷は結構深かったらしい。押さえても、血が止まらない。

 意識が途切れて地面に倒れ込む際、自分の耳にも誰かの声が聞こえた。

『ありがとう。必ず湧水を飲んでね』

 意味を考えるより前に、自分の頭が何か液体へと沈むのを感じた。

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