第15話 微睡みの槌 15

 パチン、と。まるで舞台装置を素早く整えて照明が灯るように、全ての異常が無くなり、気づけば先ほどとは違う場所に立っていた。

「ノーラ、俺は今、どれくらい気を失ってた?」

「……ほんの数秒くらい……かな。私にもよくわかんない。母塊に入る時みたいに、一瞬で違う場所に移動した感じだった」

 もしかしたら、これはあの悪夢が取り込んだ別の夢の中なのかもしれない。

 改めて周囲を見渡してみれば、地面はさきほどの舗装された道路よりも更に先鋭化された、一枚の石を丹念に削ったようなツルツルとした質感の坂道になっている。横幅十メートルほどの地面はしっかりと視認できるが、その先はかなり高い崖になっている。底は何も無いのか、それとも影になっているのかその判別すらつかない真っ暗闇。進む事ができるのは、眼前に続く細幅の道のみであるらしい。

「なるほど、確かに一本道には違いない……」

 最初の一歩を踏み出すと、どこからかボーンボーンという柱時計の音が聞こえてきた。先ほどまでは何も無かった右側の闇に巨大な振り子が現れ、ゆっくりと揺れていた。

 もしかして、時間に制限でもあるのか? と思った時、何かが転がるような振動が足から伝わって来るのを感じた。俺はすぐに剣を正面に構えた。

見れば、坂の上からスイカほどの大きさをした、肌色の何かが不自然なほどゆっくりと一定の速度で転がって来ていた。それをしっかり視認できるほど近づいて来た時、正体を知って一瞬、背筋が凍った。それは、大きな人形の首。しかも、まだ幼い子供のデザインをしているようだった。

「悪趣味この上ないな……」

「ひえぇ……気持ち悪いぃ……」

 いつの間に出て来たのか、胸元から顔を出したノーラが顔を青ざめさせていた。

「どういう気持ちになったらこんな夢を見るんだろうな」

「全く想像つかないね。あれ? でもあの首たち、避けてくれるんじゃない?」

 そう言われ、よくよく観察し直してみると、確かに転がって来る首は徐々に両端に別れ、俺が立っている場所を避けようとしているようだった。

「浮遊夢魔じゃないのか? いや、でも考えようによっちゃ、挟み撃ちにしようとしているとも見えるけど」

「うーん、どうなんだろうね。でも敵意は―――――」

 彼女が何かを言い終わる直前、頭の中に太鼓の音を不自然に伸ばしたような、重苦しい音が響いた。反射的に耳を塞ぐと、今度は掠れた話し声と、金属を擦るような高音が、塞いだ手を無視して鼓膜を刺激し出した。

「ああああ、っぐ……!!」

 不快に声は次第に人数を増やし、それはまるで誰かの手が耳を通して我先にと脳を目指し埋めていくような、恐怖と不快感を催させた。

「うるさいっ! うるさいっ!」

「デ……? どう……の、……リス!? しっか……て!」

 ノーラが何かを言っているが、それも聞こえない。

「ハァー……、ハァー……ハァーああああああああああああああ!」

 絡みついて来る何かを振り払うように、頭を振って悶え苦しいんでいると、突然それまでの騒音がぴたりと止んだ。無音の空間の中、視線を上げると、坂を転がって来ていたはずの首たちがピタリと止まり、その全ての瞳がこちらを見ていた。

「…………ッ!!」

全身から冷や汗がぶわっと噴き出し、今までの生涯で経験した事のないほどの恐怖を感じた。

「なんで、俺を見る……。何を望んでる」

 話しかけてみても、彼らは答える事は無く、哀願するようにただこちらをじっと見つめ続けている。その反応に、次の行動をどうするべきか迷っていると、今度は坂の上の方からズシン……ズシン……と巨大なものが移動する音が聞こえてきた。

 見上げると、坂の上からボロボロの包帯を全身に巻き、その隙間から無数のキノコを生やした巨人がこちらへゆっくりと向かって来ていた。ソイツはゆっくりと移動しながら、地面に停止している人形の首を手に持った槌で一つずつ潰し、時折言葉にならない声で短く唸っていた。

「ようやく、分かり易いのが来たな……。要するに、アイツを倒せばいいわけか」

「ちょっと! 私の声聞こえてる? 大丈夫なの? ねぇ!」

 そこでようやく、ノーラの声をハッキリと認識できた。

「ああ、すまん。少し耳をやられてたみたい。でも、もう大丈夫。ちゃんと聞こえてるから。心配かけた」

「ならいいけど。体、どこかおかしいと感じたらすぐに撤退してよ。デリスに倒れられたら、私一人でこんな気味の悪い所の出口を探さなきゃいけないんだから」

「まあ……その時は、よろしく頼むよ」

「勘弁して……」

 ノーラが真核に戻ったのを確認してから、俺は胸の巾着袋を握った。全身に力が漲り、体の周囲に火球が現れる。

「ねえ、あんなに大きいのと本当に戦うの?」

「大丈夫だ。見た目は派手だけど、普通の母塊に出て来る浮遊夢魔と雰囲気はそう変わらない」

 軽く助走をつけてから、坂道を一気に駆け上がる。こちらの存在に気づいたのか、相手は人形を潰すのをやめ、槌を大きく振りかぶった。俺は相手の動きを注意深く観察しながら、数秒先の行動を検討する。

「横だな」

 相手は槌を最大限に上げきると、薙ぎ払うように一気に振るった。対し、こちらは足元に移動させた火球を爆発させ、飛びあがる。空中で大きく前へ一回転している最中、先ほどまで自分が立っていた場所を巨大な塊が通過していくのを確認する。

 相手はこちらが躱したと見るや、槌の動きを無理に止める事なく、背中を力強く反らせて叩き下ろす構えに入った。

 当然、空中で身動きの取り易いこちらが追撃を許すはずも無い。俺は背中で火球を二つ混ぜて爆発させると、勢いを殺す事なく、敵の持ち手へと目がけて体当たりした。

 後ろ側に全体重を預けていた包帯茸は足を滑らせながら背中から倒れると、大きく唸り声を上げた。

「オオオオオ……オオオオオ……」

 敵が怯んだなら、こちらはすぐに追撃せねばならない。長ものを振り回している内はいいが、素手で掴まれればこちらが不利になる。

相手の腕を伝って頭へと走りよると、額を切り裂いた。頭蓋骨らしきものがなかったおかげで、一太刀でかなり深い傷がつけられた。そこに勢いよく腕を突っ込み、三つ混ぜの火球を流し込んで中で膨張させる。火球は一気に膨らんで巨大な炎の槍となり、包帯を焼き切りながら頭を真っ二つに引き裂いた。巨人は少しの間ピクピクと痙攣した後、完全に脱力して腕をだらりと垂らしたまま動かなくなった。

「真核の気配は無い……。つまり、まだ終わりじゃないのか」

 そう零した瞬間、自分の周囲に仄かな光が溢れた。警戒しながら反射的に顔を覆った時、風景がまた一瞬の内に変化しているのに気付いた。

 そこは、ガラスのように透き通った透明の穂が揺れる、黄昏時の麦畑だった。麦穂はキラキラと光を反射しながら、鉱物的な質感とは裏腹に本物の麦のようなしなやかにそよいでいた。

 先ほどとのギャップも相まってか、あまりにも風流な光景に面食らってしまうも、離れた場所に人影を見つけて、一気に緊張感を取り戻す。

逆光のせいで表情までは判別できないが、形から推測するに、白衣を着た男性だと思われる。

「何か言ってるよ」

 突然、胸元からノーラが首を出してそう言ったので、耳をすすましてみたが、俺には何も聞こえなかった。

「何て言ってるんだ?」

「うん……えっとね……ありがとうございましたってさ」

 自分がした事が、彼にとってどんな利益になったのだろうか。何だか、釈然としない気分には違いない。

「もっと詳しく聞けないか?」

「んーっと……あ、ダメだ。もう行っちゃったみたい」

 気づけば、男性の姿はどこにもなくなっていた。

「あの人はきっと……何か使命感みたいなものに苛まれていた人。それがずっと辛くて、辛くて……心を苦しめていたんだと思う」

「つまり、それがさっきの化け物で。俺が倒したから胸のつっかえが取れた、と?」

「ううん、もっと何て言うか……複雑なの。何て言えばいいのかな……とにかくね、自分では納得してるし、それを正しいと認めてくれる人はたくさんいるんだけど、それでもどうしても……誰かに叩いて欲しかったんだよ」

「……なるほど、複雑だ」

 彼にどんな背景があって、何を思っていたのか。知りたいような気はしたが、それはやはり知ってはならないのだと思う。そういう仕事だ。

「大丈夫だよ。デリスが思いっきりぶち壊したから。それよりも、気を付けて。ここが本当に説明された通りの場所かどうか、怪しくなってきた」

 確かにそうだ。しかし、俺はその事よりも急にどこか冷静で大人びたノーラの態度が気になった。いや、姿からすればそれが年齢相応なのかもしれないが……。

突然、再び最初の移動時のような脳を揺らされるような感覚に襲われた。しかし、一度は経験した事なので今回は比較的、意識の立ち上がりをフォローしてやれる。母塊に潜る時のようにゆっくりと瞬きをすれば、景色が変化する。

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