第14話 微睡みの槌 14
「……………」
俺は湯気が少しずつ部屋を満たしていく間、母塊の中へ入るまで腕を組んでじっと待つ。ここの窯はコーラル・スパニングよりも広いせいか、心なしかいつもよりも蒸気が溜まるのが遅い気がする。
いい頃合いでゆっくりと瞬きを一つ。それだけで、空間が一気に膨張したような解放感に包まれた。
前回の反省を生かし、すぐに意識を集中させる。しかし、今回に限ってそれはほとんど必要なかった。気づけば俺は、どこか都会めいた街中にいたのだ。その為、周囲には警戒すべきものだらけだった。
「これは一体…………」
よくよく見てみれば、どの建物もどこか気品があって整然としており、大国の城下町を思わせる雰囲気だ。下に目を向けてみれば、石畳もこれ以上ないほど美しく均等に敷き詰められ、モザイク調の模様まで浮かんだ洒落っぷりである。
しかし、何よりも目を見張ったものは、軒先や道の至る所にいる人間の姿だった。いや、ここが母塊の中であるのであれば、あれらは全て浮遊夢魔なのだろう。ちなみに、どういうわけか誰一人としてこちらを襲って来るどころか、注目してくる者すらいない。
「何だか化かされてるみたいだ。今まで見た事も無かった人間に近い浮遊夢魔が、ここにはこんなにたくさん……」
キョロキョロとしていると、数メートル先のベンチに腰かけていた青年が立ち上がり、こちらに手を振ってきたのを見つけた。青年は、こちらが動かないのを見るや、近づいて来た。反射的に、剣を構え、迎撃の体勢をとる。
「やあ、はじめまして。ぼくはネロ。よろしく」
「…………」
「緊張してるね。でも、大丈夫だよ。ここに来た職人さんは皆、似たような態度をとるもんだからさ。むしろ、武器を振り回して来ないだけ有り難い」
確かに、こんな状況だ。いきなり寄って来た相手を警戒するなという方が無理な話だろう。しかし、俺は先例を知っているから、まだ比較的に冷静でいられている。
「……何故、話かけて来たんです?」
喋ってはいても、周囲の警戒は怠らない。いつ、そこいらに歩いている輩が襲って来るのかわからないのだから。
「うん。会話する気があってくれてホッとした。甘い物は好き? そこに美味しいフルーツサンドの屋台があるんだよ。よかったら一ついかが?」
「結構です」
「じゃあ、コーヒーはどうかな? あっちの赤い日よけの店、なかなか味のあるブレンドをするので有名なんだよ」
「それも結構。今は目的に集中したい」
「なかなか切羽詰まってるみたいだね……。なるほど、それじゃあここに来た目的を聞こうかな。まあ、母塊に潜るのに理由なんて一つだろうけどさ」
「その前に、先に聞いておきたい。ここにいる人たちは浮遊夢魔なんですか?」
「いいや、違うよ。彼らはただの景色の一部であって、実際にそこにいるわけじゃないんだ。話しかける事も、触れあう事だってできない。もちろん、襲っても来ないよ。オーナメントってぼくは呼んでる」
「オーナメント……アナタが作ったんですか?」
「そう。ぼくはこの混ざり合った夢たちの管理人だからね。リクエストに応えて色々と作って送るわけさ。いや、君らにとってはそれよりも統率者って言った方が馴染み深い呼び方なのかな?」
「という事は、真核はアナタの中にあるんですね」
「残念ながらぼくは持ってないよ。ここにも無い。何なら気が済むまで調べてくれてもいいけど、時間の無駄だろうね。目当ての物は別の場所に管理してあるのさ」
随分と親切に教えてくれるもんだ……。これが本当に誰も攻略した事のない母塊なのか? それとも、問答無用で切りかかっていれば話が違ったのか。
「それじゃあ、どこにあるかも教えてくれるんですか?」
「ああ、その必要は無いよ。ここからは一本道。進めば辿り付ける、それだけだ」
「…………? そこらじゅうに道があるみたいだけど?」
「すぐにわかるよ。それよりも、君が先に進むつもりなら説明しておかなきゃならない事がある。大事だからよく聞いて。いいかい、水を見たら必ず覚えておくこと。この夢の中で手に入る水は全て、君の傷を癒してくれるようにできてる。そして、同時に出口にもなる。どうにもならなくなったらすぐに脱出したまえ」
「……ここまで親切が過ぎると、罠としか思えないんですが」
「警戒するのは当然だ。でも、こればっかりは仕方ないんだよね。ここはあまりにも長いこと攻略されずにいたせいで、大きくなりすぎたんだ。だから、難易度を下げないと真っ当な人間には手も足も出ないわけだよ。難しい方が燃えるってのもわからないでもないけど、今もどんどん成長してるわけだから、いずれ本当に手がつけられなくなっちゃうんだよね。間違いなく。皆、そろそろ一度解散したいのさ」
「まるで、無理にでも攻略して欲しいような言い方ですね」
「…………。夢はいつか覚めるものだからね。いつまでも続いちゃ道理に合わない」
「他の夢を吸収するのをやめれば自然に消えられるんじゃないのか?」
「かもね。でも、それはしない。世の中に長くいるものはね、理由があって長居してるのさ。この夢だってそう。その証拠に、君もここへ来たんだろう?」
「…………」
確かに、それには違いないけど……。ん? 待てよ……。
「それじゃあまるで、この母塊が―――――」
残念ながら、最後まで言い切る事はできなかった。突然、酩酊したように頭がぐわんぐわんと揺れたような感覚に陥り、目の前の光景が二重三重にブレるのが見えた。
「皆、君には期待しているよ。心を強く持って。そして、今の目的意識に溢れた自分を忘れないで」
その言葉を最後に視界は真っ暗になり、俺は立っている事すらままならず、地面に膝をついた。
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