第13話 微睡みの槌 13


 翌日の夜、クラッススが工房へと迎えにやって来た。先方とは話がついたらしい。

 俺はノーラを真核の中に入れ、準備を整える。自分の一番いい装備は前回の攻略の時に破損してしまったので、剣以外は親方の備えからいくつか借用させて貰った。

 準備万端、さあ出かけようという時、フラメルが見送りに出て来てくれた。

「気を付けるんだぞ、デリス。悪夢は破滅根持ちよりは危険ではないけど、何より嫌な代物だそうだ。無理をせず、必ず無事に帰って来てくれ」

「ありがとう。出る限りの力を尽くして来るよ」

「ああ、もちろん。……君は、何だか少し変わったね。成長なのかな? いや、今はそんな話はよそう。最後に私から情報だ。件の破滅根持ちだが、消滅するまでの期限は恐らくだが残り十日。誤差は半日という所か」

「そんな事が分かるのか」

「まあ、私にも色々とツテがあるのさ。悪夢を手に入れて戻って来て再アタックするとすれば、余裕を見てタイムリミットは八日と見ておいてくれ」

「分かった。ありがとうな。それじゃあ、行って来る」

「ああ、武運を祈る」

 心配そうに俯くフラメルに背を向けて、俺は裏口から外へ出る。そこには、御機嫌そうに鼻歌を口ずさむ仮面の男が待っていた。

「さあ、案内してくれ」

「了解致しました」

 彼はツカツカと歩き出すと、暗い夜道を迷う事なく進んで行った。

 路地裏や脇道、普段はなかなか使わないような狭くて暗い道ばかりを選び、しかも早歩きほどの速度で抜けていく為、ついていくのはとても苦労した。

その内、自分の頭の中にある地図が役に立たなくなり、方向感覚が喪失し、まるで知らない世界へと連れて行かれているかのような、奇妙な感覚が生まれていた。

 どれくらい歩いたろうか、体にほんのりと汗が浮かんだ頃、俺達はとある民家の裏口の前にたどり着いた。そこは、看板はおろか照明すらないような、本当にどこにでもあるような普通の裏口だった。しかし、周囲を見てみれば、建物の壁に囲まれ、真上は分厚い布で蓋をされており、月の光さえほとんど入って来ないような、不気味な空間だった。

「さあ、我が友よ。中へどうぞ」

 クラッススはどういうわけか、昨日の一件以来、こちらの事を妙に慣れ慣れしく「友」と呼ぶようになった。正直、あまり気持ちのいいものではなかったが、今は少しでも友好的であってくれる方が得なので、何も言わないでおいている。

 俺はドアノブを握り、ゆっくりと引いて中へと入った。

「――――これは、図書館?」

 目に飛び込んで来たのは、二階から地下二階までの巨大なぶち抜きの空間。そして、その壁は全て本棚になっていた。あまりの荘厳さに、俺は束の間、見入ってしまった。

「すごいでしょう、ここはアトリエ、『密事図書館』。限定的な種類の夢ばかり扱う、知る人ぞ知る場所なのですよ」

「……確かに、一見で来れるような場所ではなさそうだな」

 また、噂でも聞いた事のないようなシロモノが登場だ。ここ最近、驚いてばかりなので、何だか不安になってくる。一体、俺はどれぐらい自分の世界を把握できているのだろうか。

「ウフフ、ご安心を。私でもよっぽどの人でなければここを教えたりはしないのです。知らなくとも当然。本当は一緒にゆっくりと店内を見て回りたいのですが、今日はあまりそういう雰囲気ではありませんよね」

「ああ。しかし、少し興味があるのは否定しない。あくまで、見習いとして、だけど。ところで、ここには勝手に入っていいのか?」

「ええ、問題ありませんよ。責任者の方からは承諾を頂いています」

「責任者、ね」

「先方も興味津々で、是非ご挨拶したいと仰っていたのですが、どうしても都合が合わず、こちらにはいらっしゃらないのです。残念ですねぇ」

「……さてね」

「まあ、この一件が片づけば機会などいくらでも作れるでしょうから。今日のところは横目で見学するだけ、という事で」

 クラッススは嬉しそうにステッキを振り回しながら、階段を下りて行く。俺はそれに続き、移動しながら並んでいる本のタイトルをざっと見てみた。

 なるほど、どれもこれも、外であれば持っているだけで奇異の視線にさらされそうな、かなり偏った嗜好のものばかりだ。中には、ちょっと理解に苦しむような、というか考えたくもないようなモノもあり、気分が悪くなりそうだった。

「こんな場所に一体、どんな人間が出入りするんだか……」

「当然の疑問ですね。しかし、こういった物を嗜むのが特別な人間だなんて思って欲しくはありませんね。というか、いらっしゃるお客さんはほとんどが真っ当で普通な人ばかりですよ。そう、例えば……偶然にもアナタ方が毎朝のように牛乳を貰う男性、彼もかなり年季の入ったお客様でしてね。まあ、具体的に何をお求めになっているのかは、アナタの今後の食生活の為にも黙っておきますよ」

 全身に鳥肌が立ち、胃が不自然な動きをし始める。しかし、そのリアクションを求めてのいるのは明白なので、努めて平静を装った。

「早く本命の所へ案内してくれ」

「了解しました」

 階段を二階分降りた所で、目的のものはすぐ正面に見てとる事ができた。丁度、向かって一番奥にガラスケースに入れられて堂々と展示されたそれは、歪な形をした宝石の集合体のようだった。

 近寄って観察してみると、どうやら元は大きな翡翠色の塊だったのか、そこをベースに様々な石が力ずくでめり込まされたようになっている。

「これが……悪夢。何だか、イメージと随分と違う。てっきりもっと禍々しい感じかと」

「悪夢がイコール万人に対して悪いものという事はありませんよ。あくまで、一般的では扱い難い属性を持ち、そして他の夢に影響を及ぼす力を有している、というのが特徴です」

「つまり、人によっては喜ぶ場合もある、と?」

「その通りです」

 クラッススはきっと仮面の下でニッコリと笑っているのだろう。言葉尻からそれを察する事ができる。

「ところでこの母塊、本当に数年間も消えていないのか?」

「ええ、もちろん。正真正銘、これは存在し続けていますよ。もっとも、最初は片手に乗る程度の小さな翡翠でしたが。どうもこの母塊、自分が気に入った夢を勝手に食べているようでしてね」

「食べる?」

「ええ。以前、潜られた職人さんがそのような事を仰っていました。何でも、まだ母塊にすら変化される前に夢と夢の間を渡って先んじ、取り込むのだとか。恐らくは、そうやって力を蓄えているのでしょう」

「そんなバカな……」

「ですから、とても特別な存在だと言っているのです」

 化け物のようなやつだ。ここに来てようやく、フラメルの言っていた言葉の意味を理解できてきた。

「世の中がこんなに広いなんてな。事の善悪を別にすれば、夢細工師冥利に尽きる出会いかもしれない」

 別に、誰かに対して言ったわけではなかった。むしろ、自分自身に言い聞かせて鼓舞する為のつぶやきのようなものだった。この先へは、恐れを隠す為の言葉を、自分の正中線を維持する言葉を、必要とされている気がした。

「本当にコイツを攻略してしまって構わないんだな?」

「もちろんです。貴重なものではありますが、いつ危険な夢を取り込んで爆弾になるかわからないという可能性も持っていますから。是非とも攻略して頂きたい、との事ですよ」

「了解した」

 俺がそう返事をすると、クラッススは手を叩き、人を呼んだ。すると、どこからともなく黒いヴェールを被った女性達が現れ、テキパキとした動きで母塊の台座を移動し始めた。

 女性たちがどこへそれをどうするのかと見ていると、彼女たちは近くにあった本棚を綺麗に半回転させ、そこに現れた隠し通路の中へ運び込んで行った。

「デリスさん、この奥にはすでに窯が準備してあります。心の準備ができ次第、どうぞいつでも向かって下さい」

 俺は三度、大きく深呼吸をしてから、隠し通路へと足を踏み出した。中は薄暗く、とみに頑丈そうな石造りになっている。もしかしたらここは、元は何かもっと別の用途だったのを窯に改造したのかもしれない。

 奥に行くと、壁伝いに燭台を持った先ほどの女性達が並んで待っていた。その光景に、どこかうすら寒いものを感じながらも、俺は奥につけられた、やたら真新しい扉を開ける。

 中に入ってみると、大きな桶の中に先ほどの母塊が入れられ準備は万端のようだった。そして、俺が入るや一人の女性が焼き石を持ってやってきて、それを桶に沈めた。彼女は用事が済むとすぐに立ち去っていき、丁寧に扉を閉めていった。

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