第12話 微睡みの槌 12

 その背中を見送りながら、俺はしばし立ち尽くしていた。何故、自分があんなにスイッチでも入ったかのように興奮気味に彼へ向かっていったのか分からなかった。いつもであれば、適当に当たり障りなく返答をして相手が飽きるのを待つはずだ。それがどうして、あんな事を言ってしまったのか。

 親方が不在で自分しか店を守る者がいないという状況だから攻撃的になったのだろうか。どうも不安だ。

「話は終わった?」

 背後からの声で我に返った。

「ああ、終わったよ。といっても、大した話じゃないけどね」

「…………うん」

「まあ、大見得切ったはいいけど、件の悪夢がどんなもんか次第なんだよな。とはいえ、親方をみすみす死なせるわけにはいかない。恩人だしな」

「恩人?」

「そう……。といっても、すごく個人的な、ちょっとした話なんだけどね」

「興味あるな。聞かせてよ」

「いいけど、本当に大した話じゃないからね。……うん、実は俺、ちょっと変わった体質でね。どんな夢を見ても、それを母塊として取り出すと真っ黒い石にしかならないんだ。真核になっても同じ。ちなみにコレ、もう何百回も試してるから本当の話だよ。どんなに美しい夢でも、どんなにありきたりな夢でも、俺の真核が輝く事は一度も無かった。幼い時にはそれがショックでね。嫌で嫌で仕方なかった。周りの人が持つキラッキラの宝石がとにかく羨ましくて、何度泣いたことか」

「へぇ」

「それでも諦めきれなくて、藁にもすがる思いで扉を叩いたのがこの店だった。当時は親方の無愛想な顔が恐くてずっと店に入れなくてね。でも、勇気を出して来てみたんだよ。腕がいいって評判だったから期待してたんだけど、ダメだった。今にして思えば、俺に問題があるんだから、誰が取り出そうと一緒なんだよなぁ。でもまあ、やっぱりガッカリしてね、もう諦めてしまおうって思ったんだけど、それを見てた親方がね、その石っころを銀細工で綺麗に飾り付けてくれたんだよ。それが、何とも言えないぐらい嬉しくってさ。初めて、自分の中から美しい物が生まれたような気がした。それ以来、もう夢中さ。いつか自分もあんな風になりたいって思うようになった」

「なるほどねぇ」

「親方が居なかったら、俺は今でもずっと陰鬱な気分のままでいたかもしれない。それを救ってくれた親方は、やっぱり俺の恩人だし、ヒーローなんだよな」

「いい話じゃない。ようやく、デリスが危険を冒してでも行きたがる理由が分かった気がする。でも、それを聞くと尚更、やっぱり何か申し訳なさがあるなって……。私も、オヤカタさんを傷つけた夢の一部なわけだし……」

「君に責任なんて無いったら。これは、俺と親方の問題だよ」

「うん、そう言ってくれると助かる」

 ノーラは少し俯いて芳香剤の袋を弄っていた。と、その時、ぐうぅとどこからかお腹が鳴る音が響く。ちなみに、俺ではない。となると……

 彼女に目を向けると、顔を真っ赤にしてふいと目を逸らされてしまった。それにしても、すごいタイミングで鳴るもんだ。

 俺は吹き出しそうになるのを堪えて、それとなく話題を振ってみた。

「ああ、そういえば、もう随分な時間だものな。しかし、浮遊夢魔ってお腹が減るのか?」

「減るみたい。夢の中に居た時は全然感じなかったけど」

「初めての感覚なのに、空腹って理解できるものなのか?」

「何でだろうね? 何でか知ってるみたいなんだよね。それに、別に不自然だとは思わないし……」

 彼女自身、他の浮遊夢魔とは少し違うようだし、色々と異なって来るのは当然なのかもしれない。おまけに、初めて外に出た例が彼女なのだから、異例づくめでどう影響しているのかサッパリ分からないのも仕方ないだろう。

「それじゃあ、何か用意するよ」

「お願いします」

 結局、仕事はイマイチ進まなかったけど、まあ食後にも少しやればいいだろう。

 手に持った芳香剤を弄りながら少し申し訳なさそうにはにかんでいる彼女の脇を抜け、俺は厨房へと向かった。買い出しに行っていないので、保存食のような物しかないが、ありあわせでも何とかなるだろう。

 水を汲み、安く買った塩蔵肉を洗って塩気を落とす。その間に火にかけた鍋に豆と乾燥した海藻、貝を放り込み、酒と塩を入れて蓋をしておく。

塩蔵肉を取り出して一口大に切り、同じく小さく切った黒ネギやホド芋などを裏庭から摘んで来た香草と手早く炒める。

 煮込んだ豆のスープは個別に、炒め物は大皿にそれぞれ盛り付け、大き目のパンを二つに割って皿に置いた。それをダイニングに持って行くと、ノーラが興味深そうに覗き込んで来た。

「わお、これも香ばしい匂いがする。美味しそう」

「有り合わせで手早く作ったからそこまで期待されると困るけどもね。それに、親方の料理に比べれば、まだまだだし」

「そうなんだ。でも、こういう事って普通は目上の人はやらないものじゃないの?」

「普通はね。親方は食事が何より好きな人だったから。自分がその日に食べたい物を、納得する形で食べたいって心情があるんだってさ」

「ふぅん。こだわりってやつかぁ」

 彼女はそう言うと、するりと席に降りると、フォークを掴んだ。

「でも、何より今はデリスの料理を楽しみましょう」

 俺は曖昧に笑いながら彼女の正面に座ると、いつものお祈りを唱えた。それを見て、ノーラは最初、ポカンとしていたが、すぐに見よう見真似で倣った。

「さあ、たんと食ってくれ」

 そう促すと、彼女は待ってましたと言わんばかりに大きい匙で自分の取り皿に炒め物を盛ると、すごい勢いで口に運んだ。

 まるで子供だ、と思いながら、俺も自分の皿のよそって口に運んだ。少し、炒める時間が短かったのか、野菜が硬い気がしたが、食べるのに問題は無さそうだった。

「ノーラ、あんまりガツガツ食べると喉につめるぞ」

「美味しい! 美味しい! 素晴らしい体験だよ!」

 彼女はこちらの話を聞いているのかいないのか、パンをモフモフと頬張りながら、スープを口に流しこんでいく。

 その何とも微笑ましい光景を見て、俺は無意識に

「……君が居てくれて良かった」

 と、溢してしまった。

 きっと、一人で食卓についていたら本当に暗い気持ちになっていたと思う。もしかしたら、食事すら面倒で放棄していたかもしれない。これから、色々と忙しくなるというのに、それではいざという時に力が出なかったろう。

 だから、こうして楽しそうに食事をしてくれている彼女がとても有り難かった。

「……デリス、泣いてるの?」

「ああ、少しだけね」

 例え彼女がどういう存在で、これからどんな目的の為に生きていくとしても、寒々しさしか無いはずだったこの場所に小さな火を灯して暖めてくれた分だけでも、必ず報いたいと、そう思った。

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