第11話 微睡みの槌 11
俺は棚に置いてあるトレイを引っ張り出し、それを自分の作業台に運び出した。すると、すかさずノーラが近寄って来てその中身を覗きこんできた。
「これは、もう既に抜いてきた真核だよ」
「綺麗な赤い色の宝石だね。薄い円盤状になってるけど、これって本当にこんなに整った形で生まれてくるの? 人工物みたい」
「不思議だよな。でも、そのまんまさ。カットが必要な時もあるけど、そういうのは熟練した職人の技が必要でね。それはまだ俺にはできない」
「ふぅん。ねえ、一緒に入ってるこの銀色の部品は何?」
「銀で出来た単眼鏡の部品だよ。今からこれを組み立てて、ここに真核をはめ込むんだ」
「へぇー、でもこれじゃあマトモに前が見えないんじゃないの?」
「いいんだよ。日用品じゃないからね。注文して来た時計屋の主人が子供の頃にお世話になった恩師が出て来た夢なんだってさ。その人、トレードマークが単眼鏡だったらしいから、その形にして残しておきたいそうなんだよ」
「ふーん。子供の頃って事は、もしかしてその人って……」
「ああ、もう随分と前に亡くなられたそうだよ。最近、突然に夢に出て来てくれたのが嬉しかったって言ってた」
「そうなんだ。何だか変なの。真新しく遺品を作るみたい」
「面白い事を言うね。確かに、そうだ。まあ、こうして後々になっても思い出の品が作れるっていうのは真核ならではの喜びだよな。さあ、それじゃあ今から組み上げるよ」
俺は椅子に座って皮手袋をはめると、机に並べてあるいくつかの道具を手に取り、トレイから部品を取り出した。
「ねえ、デリス。他のも見ていい?」
「いいよ。でも、触るのはダメ。ああ、そうだ。ここを見たら店頭の方も行ってごらんよ。売り物だからあんまり乱暴には扱っちゃいけないけど、そっちも色々あるよ」
「やったね」
棚にあるトレイを一つずつ覗いてから、ノーラは宙でクルリと一回転すると、扉を抜けて店へと向かって行った。
しばらく向こうの方から「ほぉー」「へぇー」などの声がしきりに聞こえた後、彼女はいくつかの品物を持って戻って来た。
「ねえねえ、ここって本とかお菓子も売ってるの? 何で? あと、これとこれと、これ。何に使うの? 食べていい?」
ノーラは目を輝かせながら、それぞれの品物を近くの机に並べて行った。
「本は想像力を刺激するからね、夢に影響を与えたりする。そっちはお菓子じゃなくて芳香剤。気持ちよく寝入る事ができる香りだよ。もちろん、食べちゃダメ。あとはー……細々とした雑貨とか、特別な力の無い真核とかだね」
「全部、ここで作ったもの?」
「まさか、それは無理だよ。本は既製品。芳香剤とかお香は専門の調香師から仕入れてるし、雑貨は時々ある市とかで手に入れたりしたものだよ。たまに持ち込みもあるけど」
「へぇー。お菓子は売らないの? 美味しい思い出は夢になるんじゃないの?」
「昔、君と同じように芳香剤を間違えて食べようとした奴がいてね。それから、ウチでは一緒に置かなくなったんだ」
「そうなんだ。確かに、子供とかはこういうの食べちゃうかもねー」
「子供っていうか……俺が食った」
「ふー……うん!? え、デリスが食べたの?」
「ああ。当時、偶然にも不運が重なっちゃってね……」
「わあ、そりゃ災難だったね。ところで、そもそも何で売り物を食べてたの?」
「…………。自分で売るんだから、感想ぐらい言えなきゃオススメできないだろ?」
「あー、そっかー」
まあ、本当は修行を始めたばかりの頃、朝食が少な過ぎて空腹に耐えきれなくなってしまって思わず口に入れてしまったんだけど。
「まあ、そういう事もあって、ウチでは置かなくなった、と」
「そうなのねー。でも、私このいい匂いがするやつ、すごく好きよ。向こうでは何でもかんでも焼けちゃってて焦げ臭いだけだったからね。こういうのって新鮮な感じ」
彼女はそう言うと、手に持っていた小袋を嗅ぎながら気持ち良さそうに空中でくるくると回った。
「その内、調香師さんも紹介するよ。そしたら、好きな香りの香水でも作って貰うといい。喜んでプレゼントさせて貰うよ」
「本当? やったねぇ」
彼女の嬉しそうな顔に少し見惚れそうになっている事に気づき、俺はいそいそと自分の仕事を再開させた。
「ねえ、デリス。それにしてもさ、夢が形になるって不思議な話だよね。誰が考え出したのかな?」
「それほど昔の事でないはずなのに、何故かそれほど詳しい記録って残ってないんだ。あるのは、言い伝えみたいなものだけでさ」
「へえ、どんなの?」
「昔、ここからずーっと東の方に小さな国があったらしい。本当にあったのかどうかもわからないし、実際にそこを目指して辿り付いたって人は誰もいない。でも、そこから来たと言う、町一つ分ほどの沢山の不思議な装いをした人々が大陸中を流れ歩いていた。抽出技術は全て彼らが道々に伝えていった、といわれているよ」
「その人達は、今はいないの?」
「そう言われてるね。言い伝えによると、いくつかの書物や物品を残したそうだけど、それほど数は残ってないらしいね」
「無いわけじゃあないんでしょう? という事は、やっぱり本当にいたのね!」
「うーん、どうかな。俺が知ってるのは、その国にいたって言われてる化け物がたくさん載ってる絵図ぐらいでね。それも真贋はともかく、着想として面白いから細工師なんかの人が持ってるわけで、昔の誰かが作った偽物かもしれないって疑っている人も多いよ」
「デリスは? どう思うの?」
「そうだな、俺は……割と信じてる。実はその絵図……今は、図鑑みたいになってるんだけど、結構好きでね。何か、異文化を感じるなぁって思うんだよ」
「そうなんだ。いつか探してみたいね、その化け物だらけの国」
「……そうか、そんな考えも……あるか。そうだね、いつか行ってみたいな。……ああ、そうだ。他にも東の名残があるよ。夢細工師が人生の中で特別な真核に出会った時に、名前を二重につける文化。埋め名って呼んでる。親方のリトル・ガルムなんかがそうだな」
「デリスにはあるの? その特別な真核」
「俺にはまだ無いよ。そもそも、まずしっかり真核を抜く事で精一杯だからね」
「それじゃあさ、私の真核はどう? それとも、一から自分で抽出したものじゃないとダメなのかな?」
「いや、そんな事は無いはずだけど……。そうだな、それじゃあ少し考えてみるよ。確かに、俺にとってはこれ以上ないほど特別だからね」
「楽しみにしてる」
改めて、作業に集中しようとした、その矢先、店の方からドアベルが鳴る音が響いた。
「? 誰だろう。店はもう閉まってるのに。ノーラはここに居て」
「うん」
エプロンをつけたまま店に出て、適当に商品を手に取って眺めている来客を見た時、ギクリとした。
「よぅ、デリス坊や。見舞いに来たぜ」
嫌味ったらしい笑みを浮かべたカイエロンがそこに居た。
「そりゃあどうも。ですが生憎と親方はここには居ないんですよ。それに、店も臨時休業中なんです」
「へへへ、知ってるさ。あの野郎にはさっき会って来た所だよ。やれやれ、覇気のカケラも無い真っ白い顔色しやがって……」
彼はそう言うと、少し遠い目をして中空に視線をやった。もしかして、ライバルである親方が良くない状態だから張り合いが無くて寂しいのだろうか? そうだとしたら、何だ俺はこの人も案外――――。
「ざまあ見ろだぜ! はっはっはっは! んー? どうした坊や? もしかして俺があのアホ野郎を心配してるとでも思ったのか?」
「……アンタ、ロクな死に方しないぞ」
「そうカリカリすんなよ。そろそろ本題に入ろうか。例の破滅根つき、誰もやりたがらないんなら、俺が攻略してやってもいいぜ?」
「…………はあ?」
「俺だってそこそこ名の知れた職人だ。そこいらの木端どもと比べれば遥かに腕が立つのは間違いないぜ」
コイツの言っている事は間違ってはいない。確かに、しっかりと準備して向かえば成功率は低くは無いかもしれない。しかし……。
「真核が欲しいなら、素直にギルドに行って志願すればいいでしょう? 何で、わざわざ俺に言いに来るんです?」
「バカを言うなよ。俺としちゃあ、あの真核を山奥で処理しようがどうでもいいんだ。わざわざ危険な仕事をする必要なんてねぇ。だが、お前が取引するっていうなら話は別だってんだよ」
ああ、なるほど……。
「貧乏な見習いの俺に何を要求するっていうんです?」
「へへへ、店自体は勘弁してやる。その代わり、ありったけの金を用意して貰う。勿論、仕事道具から商品まで何もかも、二束三文だろうが何だろうが隅から隅まで売って金にして貰う」
「仕事ができなくなりますよ」
「できないわけじゃねぇだろ。借金でも何でもしてまた買い揃えればいいじゃねぇか。ちなみに、ウチの二号店として出発し、今後は全面的に俺の経営方針に従うっていうんであれば、安い利子で一から十まで面倒みてやるぜ?」
「そういう事ですか……」
あくまで、親方ごと店を自分の支配下に置きたいらしい。
「残念ですがね、俺に店の事をどうにかする権限はありませんよ」
「そうでもないさ。約束は約束。それを違えるような奴に信用が大きいこの商売はやっていけねぇよ。ゼードルは別としても、お前はもうこの業界にはいられねぇ。奴がそんな事を許すはずもないって分かってるだろ?」
なるほど、そうなるかもしれない。恐らく、申し出を受ければ金は払うしかない。そして、そうなった時に誰にもすがれないよう、もう根回しは済んでいるだろう。結局、このアトリエはカイエロンの手中に収まるしかないわけだ。
「まあ、お前らが俺の商売をよく思って無いのは知ってるがな。しかし、金がガッポリ入ればお前たちだって気も変わるはずさ。悪いばっかりの話じゃねぇだろ?」
「それに、親方の命には替えられないだろうって?」
「そういう事だ」
「………………」
確かに、悪いばかりではないかもしれない。
でも、この店には……親方だけじゃない、仕事に関わる様々な人の意思が詰まってる。それは、伝統を支えてきた今までの職人の魂も含まれる。ただの古いアトリエでも、信じられないほど重い物が入っている。
「きっと親方なら……自分の命をかけてでも店を守るはず……。そうですよね、そうに決まってる。そうじゃなきゃおかしいんだよな」
「あん?」
腹の奥で、何かが蠢いた気がした。
「申し出はありがたいですが、お断りさせて頂きますよ、カイエロンさん」
体が破滅へ向かいたがる。
「強がるなよ。断ってアテなんてあるのか?」
「俺がもう一度行きます」
言葉にするだけで、心に熱が溢れていく。
「うはっ! おいおいおいおい、冗談だろ。一番ありえねぇだろ。実際に行って、手も足も出ずに逃げ帰ったお前がどうやって攻略するってんだ。死体が増えるだけだぞ」
「そうかもしれない。でもね、人間って本気で腹をくくれば意外と何とかなるもんじゃないですかね?」
「頭がおかしくなったのか? 気合いで解決できる問題じゃねぇんだよ」
「できるさ。人間一匹でも、どうしようもないほど強い強い意志の一歩なら、必ず素晴らしい結果へと繋がるさ」
俺がずいと一歩近づくと、逆に向こうは一歩引いた。
「…………そうかよ。だったら是非とも見せて貰おうじゃねぇか。へへへ、楽しみにしてるぜ」
彼は曖昧な笑みを浮かべながら、足早に店を出て行った。
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