第9話 微睡みの槌 9


 俺達二人はすぐに入院。親方は目を覚ます事なく、翌日に自分だけが退院となった。

 医者が言うには、親方は夢患いという症状であるらしい。母塊に入った人間が稀に、精神が分離して帰って来なくなるのだとか。離れた精神は夢の中を彷徨い続け、母塊が消えると同時に共に消滅する。無論、そうなれば二度と目を覚ます事は無い。

 治療する方法は一つだけ。真核を抜き、母塊を正しく処理する事。そうすれば、精神は元の体に戻って来るはずだという。

 帰り際、俺は病室で眠り続ける親方を見て、涙を止める事ができなかった。突然、大事な何かを失う恐怖と、それをどうする事のできない悔しさが堪えられなかったのだ。誤診である事を祈り、奇跡を望み、自分の行いに後悔した。

しかし、そんな事をしても現実は何一つ変わる事は無い。このままでいれば、親方の命はいずれ母塊と共に尽きるだろう。

だが、それでも望まずにはいられないのだ。誰か助けてくれと、こんな事はあってはならないのだと。

 半ば無理矢理、引きはがすように抱えられると、病室から出された。そして、しばらくお医者の先生に諭され、アトリエへと帰る事になった。しかし、道すがらも、涙は止まらず、俺は鼻をすする。いつしか、無駄を悟って拭うのをやめ、流れるがままに任せた。

 アトリエに帰りつくと、入り口の所で見知った顔を見つけた。

「ギルド長……」

「おお、デリスくん。帰って来たか。いや、ひどい顔だ。本当に退院して大丈夫か」

 ギルド長は親方に負けないぐらいガッチリとした体をしているが、お腹がたっぷりと出ていて、髭も眉毛もモジャモジャとしている。昔は有名な職人だったらしく、今は一線を退いてこの町の職人ギルドの管理をしている。

「昨日の……件ですね……。すいません。とにかく……中へ……」

「ああ、お邪魔させて貰うよ」

 俺は奥にあるダイニングに通し、体が習慣で動くのに任せてお茶でもいれようとするが、それをやんわりと制止され、席に座るよう促された。

そして、ギルド長はヒゲを揉みながらポツポツと話し始めた。

「んー、ん。まずは、今回は本当に気の毒だった」

「いえ……」

「良ければ、母塊の中であった事を話してくれないだろうか」

「はい……」

 俺は、親方を置いて逃げた所までを説明し、後は無我夢中で覚えていない、と答えた。何故だか、ノーラの件についてはまだ何と説明すればいいのか分からなかったのだ。

 ギルド長は俺の話をうんうんと熱心に聞いてから、少し間を開けて言った。

「例の破滅根持ちだが、外部の専門家は対応できる距離に手すきがいないそうだ。だから、君の情報を元にまた適任者を選び、依頼をしていこうと考えている」

「はい、よろしくお願いします……」

「んむ…………。だが……………もしも、誰も引き受けないか、攻略できなかった場合、母塊は『処理』……する事になる」

 自分の心臓が跳ね上がるような感覚。反射的に立ち上がりそうになってしまった。

「……処理? それってつまり、母塊を自然に消滅させるって事ですか? でも、そんな事をしたら、被害が……」

「だから、どこか人のいない場所へ持って行くのだ。そこであれば人間には被害は出ない」

「待って下さいよ。それじゃあ……そんな事をしたら……親方が死んでしまうじゃないですか……」

「…………そうなる」

「そんなバカな話って無いでしょう!? 見殺しにするっていうんですか!?」

「ゼードルはッ! ……腕の立つ職人だった。それがアッサリとやられたのだ。他の職人もかなり警戒するだろう。結果、誰も引き受けないという事はあり得るんだ……」

「違うんです! アレは、不意打ちだったんですよ。それに、俺が……俺が足手まといになったから……」

「そうだったとしても、危険には違いない」

「だからって……! 何もしないなんて間違ってるでしょう!?」

「できる限りの事はする。それは、絶対に約束をする」

「う、うぐ……」

 ギルド長は目を伏せながら、ゆっくりと会釈をして席を立った。

「すまない。上手くいくよう、祈っていてくれ」

 そう言い置いて、彼はノソノソと出て行った。俺は、あまりにも衝撃的な言葉に放心し、ただ机の木目を睨んでいた。

「祈れって何だよ……。そんなんで本当に……何とかなるのかよ」

 どれくらいそうしていたのか、日が傾きつつある頃、フラメルの声で俺はようやく我に返った。

「デリス、大丈夫かい? 部屋で横になったらどうだ」

「心配かけてごめんな。でも、大丈夫だから」

「そんな様子で言われても説得力が無いよ。とても顔色が悪いじゃないか」

「…………。なあ、フラメル。親方の事、すまなかったな。俺は何もできなかったよ。ああ、そうだ。でも、真核はありがとう。あれのおかげで死なずに済んだ」

「役に立ったのなら何よりだ。……デリス、私はね……君だけでも無事に帰って来てくれて良かったと思っているんだよ。二人一緒に居なくなるだなんて、そんな事は考えたくもない」

「……でも、俺は……。なあ、フラメル。俺は親方を救ってくれない他の職人さん達を恨んでいいと思うか?」

「そんな事は誰の得にもならないよ。だが、そう思いたい気持ちは理解できる」

「俺自身、まるで力の無い、未熟な職人見習いなのにな。一体、何様のつもりなんだか」

「あまり自分を追い込まない方がいい。そんな事をしても自分を傷つけるだけだよ」

「分かってる。ここで愚痴ったって、親方が帰って来るわけじゃないもんな」

「それは……」

「いいんだ。本当の事さ。俺が本当にしなければならないのは、自分自身で動いて親方を救う方法を探す事だ」

 フラメルはビクリと体を震わせ、水槽の縁に飛び付いた。

「待つんだ! それは君の仕事じゃない。それは、ギルド長が……」

「いいや、これは俺の仕事さ。ずぅ―――――っと考えていたんだ。どうすれば親方が救えるのか。それは誰がすべきなのか。弟子なんだ。家族も同然だろ。他の誰を差し置いても、俺が命をかけるべきなんだ」

 俺は立ち上がり、水槽へと歩み寄った。

「フラメル、心配をかけてすまないと本当に思っている。だが、頼むから止めてくれるな」

「君は……一体、何をするつもりなんだ?」

「特別な物を扱っている人間に心当たりがある。恐らく、彼ならば手がかりぐらいは持っているかもしれない」

「クラッススか……」

「――――おや、奇遇ですねぇ」

 突然、何の前触れもなく、背後から声がかかった。相手を挑発するような喋り方、聞き間違えるわけがない。部屋の隅に、壁にもたれた仮面の男が居た。

「手間が省けたな。アンタも事情は把握してるんだろう?」

「ええ、まあ。そこで私も一緒に顛末を聞かせて頂きましたから。いやあ、まさかアナタがこんなに早く立ち上がれるほどタフな方だとは思いませんでした。しかも、私を頼って下さるなんて光栄です」

「今はどんなに小さくても馬鹿げていてもいいから望みを繋げたい。すがれるものには何にでもすがるに決まってる。何を要求されようと、糸目はつけない。俺に……俺に、希望を売ってくれ」

「なるほど。まあ……私としても、自分が請け負った仕事がこんな形で終わってしまうのも、頼りになる職人を失うのも非常に痛いですからね。アナタにヤル気があるのはとてもありがたいです」

「目的は一緒だって思ってもいいのか?」

「そういう事で」

 クラッススへと近寄ろうとした時、それをフラメルが静止した。

「待て、デリス! いいから冷静になるんだ! 得体の知れない領域に安易に踏み入れれば、必ず後悔する事になるぞ!」

「後悔。ああ、そうだ。後悔するだろう。でも、やらなくたって後悔はするじゃないか。どっちにしたって避けられないものなんだ。だから、選ぶなら自分の心が納得する方にしたい。何もしないなんて、俺は絶対に耐えられない。……ごめんな」

 水槽に背を向け、俺は歪な仮面の前へと立った。

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