第6話 微睡みの槌 6

「ハァ、ハァ……」

 肺の奥に熱い空気が入って来る。既に喉を焼いているのかもしれない。しかし、それでも足を止めるわけにはいかない。すぐ後ろから、三匹の浮遊夢魔が振り切れずに追って来ていた。

 俺は燃える廃墟の中をわけもわからずに走り続けて、ある時、自分が道の選択を一切迷っていない事に気づいた。そして、その理由はほどなく理解した。

「ここは、いつものランニングコースか!?」

 あちこちの建物が破損していたので分かりにくかったが、道なりや店舗の面影などをじっくりと観察してみれば、どれも見覚えがある。間違いなく、俺の住んでいる町だった。

 それに気づいた事で、追い詰められる心配は無くなったが、振り切るのは難しそうだった。それに、いつまでも走り続けられるわけじゃない。足に限界が来るのは時間の問題だった。

 少ない酸素を頭に送りながら打開策を必死に模索する中、俺の耳に信じられない言葉が飛び込んで来た。

「こっち!」

 誰かの呼び声である。母塊の中に自分と親方以外の誰かがいる。そんな事は絶対にありえない。だとしたら、可能性は一つ。敵の罠だ。

「誘いに乗るか!」

 足を思い切り突っ張り、声とは逆の方へ体を振る。しかし、それがマズかった。どれくらい走っていたのか、あまりのハイペースで足はもう限界に来ていたのだ。体は望んだ方向までは曲がらず、壁に激突してしまった。

 呻き声を上げながら地面に倒れ込む最中、視界の端に追手が迫って来ているのが見えた。

「ぐうううううう!」

 体を転がし、何とか対応できる姿勢を保とうとするが、思うようにいかない。俺は寝転がった状態で、浮遊夢魔に向かって手を突き出す事しかできなかった。

 ザクリ、と奇妙な音がする。そして、雷が走るように右手から痛みが来た。

「あ」

 見てみれば、敵の一匹が握っていたナイフが手に当たり、傷を作っていた。

「ああああああああ!」

 もはや、パニックどころではない。とにかく、死ぬ。今すぐに。その認識だけが頭の中を一気に埋め尽くしていた。

 と、その時――――

「こっちだってば!」

 自分の死角から火のついた松明が飛び込んで来て浮遊夢魔に当たって砕け散ると、その破片が爆発的に燃え上がり、炎の壁になった。

 俺がその様を茫然と見ていると、誰かに強い力で襟首を引っ張られた。そして、体がどこか暗い所へ引きずり込まれたのを感じた。

 何がどうなっているのかサッパリわからず何の反応もできずにいたが、そんな自分を誰かが抱いてくれているのだけは理解できた。

 薄暗さに段々と目が慣れて来ると、相手の姿が徐々にハッキリとしてくる。女だ。ほとんど伸び放題のクセのかかった長い銀髪と、青白い肌。ボロボロのドレスを着ており、肩が完全に露出してしまっていた。

 彼女はしばらく隙間から外をじっと覗いていたが、ほどなくして緊張を解いた。

「危なかったね。あのままじゃ死んでた。ああ、右手、大丈夫? 手当てする?」

「あ、あの……君は……」

「私はノーラ。一応……アイツらの同類って事になるのかな?」

「浮遊夢魔? いや、そんな……だったら、何で俺を助ける? おかしい。そんなの有り得ない。そもそも、言葉を喋ってるし」

「んー……私も何かアイツらとは違うなーって思ってるんだけど、よく分からないのよね。もしかしたら、特別なのかも?」

「君は、本当に人間じゃないの?」

「分かんない。私、二、三日前より昔の記憶がぼんやりしてるのよ。何となーく、この辺りをブラブラしてたような気もするんだけど。とにかく、何がキッカケかは知らないけど、いきなりハッと気が付いたように意識が明確になったの」

「まさか……」

 俺は彼女の肩に触れ、意識を集中させた。

「違う……。真核じゃ、ない……。何も感じない」

「どういう事?」

「いや、あの……、つまり……君が意識をハッキリさせたタイミングが、もしもここが母塊になった瞬間だったりしたら、真核としての役目を持ったから自我が芽生えたんじゃないのかって」

「へえ、それって触ったら分かるものなの?」

「あ、ああ。かなり近い所にあれば、触れば分かるんだよ。結構、大きい存在感みたいなのがあるんだ」

「ふぅん。それで、私はそうじゃなかったんだ」

「そうみたい……。だから、本当に何なんだろう? 何で、君は浮遊夢魔なのに統率者の意思に逆らって行動できるんだろう」

「私にもさっぱりだわ。…………でも、どうしてアナタを助けたのかは、分かる」

「ええ?」

「私、どうしても外に出たいの。出なくちゃいけないの。その為には、アナタ達を頼るしかないって、それは知ってる」

「浮遊夢魔を……外に」

 そりゃあ、無理だ。と言ってしまいたかったが、安易にそんな事を吐き出せば、今すぐに自分が用無しになって再び敵に放り出されるハメになるので、腹の奥に飲みこんだ。

「いいかな、ノーラ。それじゃあ、アレだ。多分、真核を抜けば、君の言ってるような状況に近い形に……なるかも、しれない……とか、どう?」

「いいえ、それはダメ。そうしたらきっと、私は消える」

 そう、多分だけど彼女は消える。それは分かっていたが、とにかくムシのいい言葉をかけてみただけだ。実際、それぐらいしか自分が助かる方法が無かった。

 前代未聞の浮遊夢魔抽出なんて芸当にチャレンジしてみるか、真核を出せば何とかなると結論を先延ばしにして一気に逃げ切るか、どちらかだった。……だったのだが、一番現実的だった方法はあっさりと否定された。

 つまり、残るは――――。

「抽出……。そんな事、俺の今までの経験のどこにも無い。ましてや、知識として知っているわけでもない」

「いいえ、できるわ。できないと困る」

「困るったって……。なあ、もしも……俺が絶対にできないと断って逃げたら、やっぱりさっきの奴らに引き渡したりするんだろうか?」

「そんな事しないわ。アナタにできないのなら、もう一人を引っ張って来て、頼んでみるだけ。アナタは逃げてくれていい」

 逃げていい。

 その単語が妙に重く頭の芯に響いた。そう、俺は逃げて来たのだ。尊敬する師を見捨て、自分の命を守る為に。

「う、ううううう……」

 情けないとか、申し訳ないなんてぐらいじゃ足りない。とにかく、内臓が全て捻じれていそうなほど、体が苦しかった。

「そうだ、まずは何より親方を助けなければ。でも……できない……。俺は、俺じゃあ……!!」

 自分の命だけを守り、恩人であるノーラの頼みを退ければ、あるいは命だけは助かるかもしれない。しかし、果たしてそれは許される事なのだろうか。

 許されないなら、自分は今ここで未熟な身を無謀に晒し、死ぬべきなのか。頭の中で勇気と恐怖がぐるぐると目まぐるしく押し出ようと暴れ回っていた。

 その時、灼熱の砂漠に一滴の雫が落ちるような、彼女の声が小さく響いた。

「何があれば、アナタはその、オヤカタを助けられるの?」

「…………分からない。とにかく、強い……何か有利になれる物が無ければ」

「それは、私の力ではダメ?」

「君の……」

 そこで、思い出した。彼女は俺と浮遊夢魔の間に、炎の壁を作ってみせた。確かにそれは、とても心強い力になる。

「私は、さっきみたいな事は初めて。偶然にできたの。正直、どうやってやったのか分からないし、もう一回やれと言われてもきっと難しい」

「……………」

「だから、とにかく、どうにか……何とかしてアナタが使って」

 何か、何とか。そう言われも、すぐにポンと出るわけじゃない。でも、ここにしか勝ち筋が無いような気もする。もう、こんなのほとんど敗走と変わらない。でも、万に一つがあるのであれば。

 俺は鞄からポケットまで手当たり次第に手を突っ込み、持っていた物を全部出した。可能性、糸口が無いか考えなければならなかった。そこで、ある物に目が留まった。

「フラメルから貰った、真核……」

 出る直前、彼から持たされたそれは、貰った時と比べて姿が微妙に変わってしまっていた。真っ青だったそれは、まるで中身がしぼんだかのように、透明のガラス玉の中に青い小さなガラス玉が浮いているような形になっている。

「もしかして、減ったのか? …………あ、ああ! そういえば、あれほど炎の中を走り回ったのに、体が何ともない! そうか、コレのおかげか……! 待てよ……」

 自分の頭の中で、何かが突然にガッチリと繋がったような気がした。

「もしも、そう……この、消える間近の真核の中に浮遊夢魔を、注入して混ぜる事ができれば……!」

「私の力を自由に使える?」

「そう、そんで……君を、外に出せる……かもしれない」

「じゃあ、やってちょうだい」

「や……」

 やれるものか、と言おうとした。実際、ただの思いつきでしか無かったのだから。しかし、俺の口から出たのは、

「やろう!」

 という言葉だった。きっと、もう冷静になる意味は無いと本能的に悟っていたのだ。この流れに乗るしかない、それが最も良いと信じるしかない、と。

「真核を取り出す時、俺達はほぼ力ずくで引きずり出す。まあ、要するに守っている器に直接、腕を突っ込むんだけども。でも、その時に使うのは単純な腕力じゃなくて、何て言えばいいのか……一種の精神力みたいなものなんだ。もちろん、夢の中でしかできないけれども。とにかく、それを使って、このほとんど空になった真核に君を無理矢理にでも定着させる。多分、そういう感じになる」

「分かったわ」

「……正直、何が起こるか分からない。もしかしたら、君は弾かれて爆散するって事も、無いわけじゃない。何しろ、やった事が無いんだから」

「それでも、外に出られるなら」

「お、男前だな……。よし、よしよし……そうだ、それでいいんだ。俺もだな。俺も……同じレベルの精神状態にまで持って行く」

 真核を一度強く握りしめて念じてから、手の上に転がした。そして覆い被せるように、彼女の手を置く。

「俺に全部、賭けてくれるか?」

 ノーラが頷くのを確認してから、目を力いっぱい閉じ、彼女の腕を掴んだ。そして、手のひらにある小さな玉に押し込めるイメージで一気に引き込む。

 スルリ、と……意外なほどにアッサリとそれは成った。目を開ければ、目前に居たはずの彼女はすっかりと消えていた。

「や……った!?」

 しかし、そこで終わりでは無かった。手の中から小さな衝撃派のような物が断続的に吹き出し、真核が宙に浮いたのだ。直観ですぐに理解した。入れる事は容易くできたが、定着はしていない。

 俺は慌てて真核を両手で掴むと、念じながら溢れそうなものを中へ中へと押し込んだ。そうすると、今度はすごい勢いで暴れ出し、先ほどのよりも強い衝撃波を断続的に送りだし始めた。当然、そのダメージは自分の手に向かい、腕の中でブチブチと何かが小さく爆ぜるような音と共に、未体験の激痛となった。

「あがああああああああああ! な、んだこれ……! なろぉ、クソが……。ちくしょおおお、いってえええええええ……」

 気力だけで握り続けるも、真核は全く容赦をしない。その内、傷口の何か所かが更に裂け、血が噴き出した。

「ぐぎぎぎぎぎぎ……」

 諦めて手を離したいという衝動を必死にこらえながら、俺はその痛みを我慢し続ける。すると、ある瞬間にいきなり手の囲いの隙間から光が溢れ、それと同時に痛みが飛んだ。

「うわ…………」

 しばらくして光が収まると、今度は手の中に何かが脈動するような、奇妙な感覚が生まれていた。恐る恐る手を開いて中を覗きこむと、そこには金色に光る真核があった。

「これは……もしかして、成功?」

「そうみたい」

「うわあっ!?」

 突然に手の中から聞こえた声は、間違いなくノーラのものだった。

「おお……嘘だろ……。マジか……何か、感動的だな……」

 俺は新しい金色の真核をまじまじと見つめてから、人差し指で軽く撫でてみた。どうやら、都合のいい幻というわけでは無いらしい。

「……やれるか? コレで、本当に何かが動くか?」

 俺は思うままにブツブツと呟きながら、金色の真核を握ってみた。すると、いきなり右手から体中に一気に熱が広がるのを感じた。怪我をしていた部分が全て塞がり、快感が背筋を走り抜け、脳天に直撃した。

「やれそう、だ……」

 溜息のように自然に口からそう零れていた。

 俺は右手を握りしめて思い切り天井を殴りつける。すると、木で出来ていたのであろう扉が木端微塵になり、一本の火柱が上がった。

「すげぇ……。あ、ノーラ大丈夫か?」

「一応、異常は無いと思うわ。でも、こんなに派手な事をしたら見つかってしまうんじゃない?」

 と、彼女が言った通り、先ほど撒いた三匹の浮遊夢魔に加え、追加で四匹がこちらに向かって走って来ていた。

「多分、問題無い」

 真核を左手に持ちかえ、地面に落ちていた自分の剣を拾う。そして、穴の中から抜け出し、迎撃の構えを取った。すると、胸と背中、両腕と右ひざに小さな火球が、体を守るように現れた。

 その使い方は、聞くまでもなく不思議と頭がすでに理解していた。

 近寄って来た最初の一匹がナイフを振り上げて突進して来る。それに対しては、正直に正面から対応する。背中にいた火球の一つが弾けて推進力となって一気に間合いを詰め、振り下ろそうとする敵の腕ごと体を両断。浮遊夢魔は声を上げる間も無く、塵となって霧散した。

 正面を相手している間、他の二匹が側面に回り込み同時にナイフを繰り出してくる。しかし、その刃先を腕に滞在していた火球が移動して受け止めた。すると、火球は爆発的に膨張して炎の槍となり、二匹はおろか、後から続いていた四匹もまとめて突き刺し、吹き飛ばした。

 自分の中で確信めいたモノが徐々に固まりつつあった。それは、身の丈をほんの少し伸ばす程度の物かもしれないが、今の状況ではあまりにも贅沢で、有り難いものだった。

「これで……これで、親方を連れて外に出られる」

 涙を流さないよう、歯を食いしばる自分に、彼女の声がかかった。

「ねえ、これからしばらくは一緒にいるみたいだし、名前を教えてよ」

「ああ、ごめん。俺の名前はデリス。デリス・ヒュー」

「よろしく、デリス。しばらくは一緒だね」

「ありがとう、助かるよ。それじゃあ、気を取り直して……行こうか」

 俺は剣を肩に担ぎ、親方の元へと走り出した。

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