第5話 微睡みの槌 5
*
次の日の朝、起き出すと親方の姿は無く、朝食だけがテーブルに置いてあった。
「まさか……置いて行かれた?」
「大丈夫、ゼードルならギルド会館に行っただけだよ」
「フラメル。起きてたのか」
「ああ、私もいささか心配でね。少し早起きしてしまった。何でも、厄介なのを相手にするんだって?」
「やっぱり、知ってたのか? 秘密の仕事の事」
「秘密にしていた事を怒っているかい?」
「そんな事はないよ。実際、俺が知っていてもどうこうできる話じゃないし、必要ならきっと親方の方から打ち明けてくれていたはずだもんな。でも……」
「でも?」
「……でも……もしも、何も知らないまま親方が帰って来なくなっていたら、きっととても辛かったと思う。とても……」
「そうか……すまなかったね、デリス……」
「もうよそう。これから、危険な仕事だ。とはいえ、俺はあくまでバックアップだけどね。それでも、少しぐらいは役に立ちたいな」
「そう気負う事はないさ。君の親方は何ていうか……少し過保護なきらいがあるからな。まあ、今回で君もきっと自信をつける事ができるだろう。そうだ、デリス。こっちへおいで。いいものをあげよう」
そう言うと、フラメルは自分の家に入って、青いビー玉のようなものを引っ張り出して来た。
俺は彼に促されて、水槽の上から手を入れ、それをつまみ出してみる。
「コレってもしかして……真核?」
「ああ、そうさ。美しい湖畔を歩く夢だよ。そんなに珍しいものじゃないけどね。象徴は水。きっとお守りになるよ」
「ありがとう。でも、こんな物よく持ってたね。もしかして、フラメルの夢?」
「ははは、残念だが違うね。こいつは知り合いのザリガニの夢だよ」
「ザリガニも夢を見るの?」
「見るかもしれないし。見ないかもしれない」
真面目に答えてくれる気はないらしい。
「まあ、いいや。とにかくありがとう。大事にさせて貰うよ」
「ああ、健闘を祈る」
俺は朝食を済ませると、再び自室に戻って攻略用の装備を身に付けた。
いつもであれば軽さを意識して、半分ほどの装備をつけるが、今回は完全装備で臨む。
とても丈夫な皮と金属でできた鎧を着こみ、背嚢を背負う。そして、使い慣れた剣を腰に下げ、最後にフラメルから貰った真核を巾着袋に入れて首から下げた。
姿見で自分の恰好を確認して、準備は完了。再び下に降りていくと、丁度親方が帰って来たらしく、ドアを開けて入ってきた。
「準備は済んでるみたいだな」
「はい。万端です」
「よし、少し待ってろ。すぐ出発だ」
親方の準備はほどなく終わり、二人で店を出た。破滅根の出た母塊は危険な為、発見され次第に町の外れへと運ばれ、そこにある専用の窯で保管される。
ギルドが手配してくれた馬車でしばらく街道を進み、森の入り口で下りた。そこからは徒歩で向かうらしく、しばらく森の中の人に踏み慣らされた道を歩く。三十分ほど移動した所で、ようやく目的地についた。
そこは少し開けた場所で、窯と小さな小屋が併設されていた。耳をすませてみると、かすかに水音が聞こえ、どうやら近くに水場もあるらしい事がわかる。悪くない環境だと思う。もしかしたら、かつては誰かが工房として使っていたのかもしれない。
親方は真っ直ぐに小屋へと向かい、その扉をノックした。すると、中から老人が現れ、無言で何かを寄越せというに手を出した。親方は慣れたものらしく、懐から一枚の紙を取り出して渡した。
老人はそれを細部までじっくり見てから、軽く溜息をついた。
「ギルドの許可証、間違いなく受け取った。それにしても、またお前さんが来るとはな。いつもいつもそう危ない橋を渡らなくても、本業でしっかり食えてるだろうに」
「個人的な事情ですので」
「そういう頑固な所は先代によく似てるよ。ところで、今回は珍しい連れだな」
「ああ、紹介が遅れました。こいつは俺の弟子で、デリスっていいます」
はじめまして、と言おうとした瞬間、
「……まあ、誰だろうと構わないがね。それじゃあ、頼んだよ」
それだけ言い、老人は小屋の中へ戻って行った。
「……あまり感じのいい人ではありませんでしたね」
「昔っから偏屈な爺さんでなぁ。随分な人嫌いらしくて、この仕事が天職だなんて言ってるぐらいだ」
「なるほど……」
気をとりなおして、俺達は窯へと移動した。中は小まめに掃除されているらしく、思っていたよりも綺麗だった。そして、すでに中には桶と母塊、焼き石まで用意されていた。
そこで初めて、本物の破滅根持ちの母塊を目にする事ができた。見た目は普通の母塊とそれほど差異があるようには感じられない。だが、どこか怪しさのようなものは微かにあるように思う。事前知識があるからそういう感想を持つのかもしれないが……。
もう一度しっかりと準備を終えてから、二人で窯の中へと入った。じっくりと満たされていく蒸気の中、自分の心臓の音がいつもよりも大きく鳴っているのを感じる。
深呼吸をしながら、覚悟を決めて瞼をゆっくりと閉じた。
次に目を開けた時、眼前にあったのは夕暮れと夜の狭間のような薄暗い荒野だった。異様なのは、誰も人がいないというのに、整然と等間隔に並べられた焚火があるという事。ほぐしたはずの緊張が、またじわじわと戻り始めていた。
「デリス、ぼんやりするな」
そう言われて、逃げ腰になりかけていたのを踏みとどまる。
「浮遊夢魔は……いませんね」
「この広さだともっと中心に行かないと会えないかもな。そう浮足立つ事ないさ。いつも通りにやれ」
「はい。すいませんでした」
俺は両手で頬を叩き、顔の筋肉を引き締め直した。そして、周囲の景色を覚え始める。何故そんな事をするのかと言えば、入って来た時の母塊入りの桶が出口にもなるからなのだ。これだけは何があっても必ず覚えておかなければ、いざと言う時に命にかかわる
あらかた見終わって視線を送ると、親方が頷いた。
「よし、それじゃあ今回は基本の確認をしとくぞ。黒い蝶が出たら?」
「すぐに逃げろ、ですね」
「そうだ。コイツの中では十分にあり得る事だ。忘れるなよ」
黒蝶。名前や種名などは無い。というのも、夢によってはその形、大きさが様々な為、そもそもが同じ種類なのかどうかも分からないのだ。しかし、この蝶には一つの共通する特徴がある。とにかく、コイツが出ると近くに命の危険が潜んでいる。何故、そんな生態をしているのか? どうしてどの夢にも共通しているのか? それはまだ解明されていない。とにかく、慣例として俺達は黒い蝶を見たら撤退を視野に入れて慎重に状況を判断しなければならないのだ。
俺の様子を確認してから、親方は迷う事なくある方向へと歩き出した。
普通、母塊というのは真核を中心に段々と作りこまれて行き、裾野へ行くほどに物が少なくなっていく。だから、真核への道筋はほぼ決まっているのだ。
今、周りには焚火しかないが、少し離れた場所には町のような影がすでに見えていた。恐らく、中心にある小高い丘の上、高い塀に覆われた建物が怪しいだろう。
目的の場所へ歩みを進める道すがら、徐々にこの夢の異常さに気づき始めていた。浮遊夢魔が本当に一匹も居ないのだ。多くの母塊は夢の中にできるだけたくさんの浮遊夢魔を撒き、全自動で見張りをさせる。中には中心部を重点的に守るような場合もあるが、それでも何匹かは必ず突出する。だから、遠巻きにも確認できないという事はまずありえないのだ。
「親方、これって……」
「秩序型ってやつだ。全ての浮遊夢魔が『統率者』の命令に忠実に従っている。つまり、それだけ厄介というわけだ。とはいえ、奴らも大まかな事しか命令はせん。どこそこを重点的に守れ、とかな。恐ろしいのはあくまで、末端まで全ての奴らが命令に忠実だという事だけだ」
「なるほど」
つまり、敵は町の中に固まって徹底的に守備に専念している、と。
親方も同じ事を考えたのか、心なしか歩幅が広がり、歩く速度が増している。俺も遅れないよう、それに続く。
しばらく歩くと、町の姿が徐々に鮮明になってきた。大規模な戦闘が行われたように建物のほとんどに破壊の痕があり、火がついている。まるで廃墟のようだった。
町の入り口に来た所で、親方は一旦止まって物陰に隠れた。一つ一つを慎重に確認し、ほんの少しでも動く物が無いか、獲物を狙う鷹のように丁寧に見回していた。
「……居たぞ」
親方の手招きに従って覗きに行ってみると、道の向こうから銀色の甲冑を着た何者かがフラフラと歩いて来ていた。
「アレがこの夢の浮遊夢魔ですか。堅そうですね」
「ああ、だが動きは鈍そうだ。見た所、統率者は見当たらないな。よし、仲間を呼ばれる前にまずは小手調べに一匹叩く。距離が半分になったら行くぞ」
「はい」
甲冑はなおもフラフラとこちらに近づいて来る。どうやら、待ち伏せに気づいてはいないようだ。俺は親方の合図に意識を集中させて、じっと沈黙を守った。
と、その時――――頭の後ろを何かが優しく撫でたような気がした。
「?」
慌てて振り向いてみたが、何もいない。気のせいだろうかと思った時、脳の隅で何かが小さく痺れるような、奇妙な感覚を覚えた。
それはきっと、直観だったのだと思う。何か、見落としがある、そう思った。
「親――――」
「行くぞ、デリス!」
俺が声をかけるよりも先に、親方は飛び出して行く。当然、俺もいつもの訓練に従って体が動き、それに続いた。
親方がリトル・ガルムを振り上げ、敵へと目がけて殺到していく。歯車の群れが急回転し、甲冑を頭から叩き潰さんと唸り声を上げたその瞬間、相手は突然、力が漲ったかのように凄まじい反応をし、棍棒をギリギリの所で躱した。
「あっ?」
親方も、あまりの事に呆気に取られたのか、ほんの一瞬だけ動きが止まる。
それからの事はスローモーションのようにゆっくりと、確実に見る事ができた。いや、できてしまった……。
敵が絶好の隙を見逃す事なく、腰に差していた剣を引き抜くと、何の躊躇も無く、親方の脇腹へと目がけて突きだした。
俺は、やめろ――――、と声にならない声で叫んでいたような気がする。しかし、それが叶うはずもなく、剣先は鎧の継ぎ目へと滑り込むように突き入って行く。
親方の体が横に転び、苦悶の表情を浮かべる。
目が合って、俺に何かを言ったのが分かった。
「逃げろ」
そう、言った気がした。しかし、頭の中は真っ白で、どうしていいのか分からない。ただ、とにかく親方を助けなければならないと、そう思った。だから、一歩踏み出そうと力を込めた。
その時、周囲から恐ろしい数の雄叫びが上がった。
まるで怒号のようなソレは、確認するまでもなく、浮遊夢魔のものだった。まるで統制のとれた兵隊のように、周囲から単眼の真っ白い人間達が飛び出して来た。
俺は自分の中で、明確に理解した。あの甲冑こそが、統率者だったのだ。一番最初、比較の無い状態で出会ったから、それと分からなかった。いや、この絶妙なタイミングでの襲撃を考えれば、恐らくこれは周到な待ち伏せで――――。
今までの経験なんて、それこそ役には立たなかったのだ。こいつらは、俺達が今までに出会ったどいつよりも、頭がいい。
「最悪だ……!!」
俺は冷静さを保つように努めながら、自分のするべき事を模索する。この状況、どう考えても乱戦になるのは避けられない。ならば、統率者が目と鼻の先にいるこの瞬間こそが最大の好機とも言えるだろう。
俺は先ほど躊躇った一歩を踏み出し、甲冑へと目がけて剣を振り下ろした。
油断は無い。躊躇も無い。まさに、自分に出せる渾身の一刀だった。しかし、相手は難なくそれを受け止め、弾き飛ばす。
「重っ……!」
細い体躯からは想像できない圧力に、体がよろける。そこへ更に敵の剣が凄まじいスピードで殺到して来た。どうにか反応しようと剣を振り回すが、そのほとんどは無駄に終わる。嬲るように、体のあちこちに小さな裂傷が刻まれ、血が溢れ出す。まるで挑発のような攻撃に、自分の中で焦りと怒りがジワジワと溜まってきているのが分かった。
「このッ……」
隙を見て一撃を、と思うのだが、それが万が一にも当たるイメージができず、防戦一方のままとなる。いつ必殺の一撃が当たるか分からない恐怖を抱えながら、それでも攻撃を受け続けていた時、ふいに甲冑がよろけて、後ろへ下がった。
一瞬、我が目を疑った。まさか、本当にこんなに絶好の隙ができるものか、と。今まで溜まりに溜まっていた物が一気に噴き出して体を支配せんとするのを、何とか理性で踏みとどまった。
そう、そんな都合のいい話があるはずはないのだ。意識を周囲に向けてみれば、既に先ほどの白い浮遊夢魔達が大挙して押し寄せて来ていた。もしかしたら、直接手を下すまでも無いと思われたのかもしれない。
悔しさに歯噛みしながら、最後の抵抗を試みるべく敵へ意識を移すと、背後から巨岩が転がって来るような轟音が迫って来ているのに気付いた。それはすぐに近くまでやって来て、俺の脇を抜き去って行った。見てみれば、それは全力でリトル・ガルムを振り回して雑魚を蹴散らす親方だった。
そこで親方が何かをずっと叫び続けているのを思い出した。そう、逃げろ、だ。周囲に群がる夢魔どもを粉砕しながら、親方はそう叫んでいた。
この状況に至って、自分が足手まといになってしまっている事をようやく理解した。
俺は腰のホルダーから灰色の真核を取り出すと、それを地面に叩きつけた。すると、粉々に割れた中から耳障りな噴射音と共に煙が噴き出して来た。
「すいません、親方ァ!」
俺は煙幕に紛れながら白い浮遊夢魔を切り倒しつつ、路地裏へと抜け出した。そして、胸の中に悔しさを抱えながら、複雑に曲った道を全力で駆け抜けた。
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