第4話 微睡みの槌 4

店内に明かりが無い事を確認してから、俺は裏口に回って中へ入った。

「あれ……?」

 ダイニングに人影が無い。いつもなら、そろそろ親方が夕飯を作り始めている時間のはずなのだけれど。もしかして、作業に熱中し過ぎて時間を忘れてしまっているのだろうか。

 廊下を見ると、工房から光が漏れていた。どうやら、予想通りらしい。

 水を差すのも気が引けるが、念のために一声だけはかけておこうと、俺はなるべく足音を殺して扉に近づき、中を覗いた。

「…………?」

 最初に目に留まったのは、仮面。人の顔を模した物をバラバラに刻んで乱雑に繋ぎ合わせたような、悪趣味な仮面をつけた燕尾服の男が親方と何かを話していた。

 見てはいけないものを見てしまった、と直観的に悟った。なるべく早く自分の部屋に戻らなければ、と背を向けた時、中から自分を呼ぶ声がした。

「こんばんは、お弟子さん」

 その言葉と共に、扉が開き、中から仮面がにゅっと出て来た。

「あ、えっと……どうも」

「お邪魔しております。さあさあ、アナタも中へどうぞ。一緒にお話の続きを」

 彼が扉を開けて入室を勧める後ろで、親方が立ち上がった。

「おい、クラッスス。勝手な事をするな!」

「おやおや、お弟子さんには秘密にしていたのですか? まさか、そうとは知らず申し訳ありません。まさか、秘密にしていたとは。ここの方針なのですかねぇ」

「それは関係ねぇ。これは俺の個人的な事だ」

 明らかに険悪な雰囲気になってしまった。とにかく、ここからすぐに離れた方がよさそうだ。

「あの……俺、晩飯の用意をしてきますから……」

「まあまあ、待って下さい。今回のはお手頃だと思うんですよねぇ。それほど大きいモノでもありませんから、お弟子さんに体験だけでもして貰うにはうってつけですよ。何も今すぐ決めなきゃってものでも無いわけですしねぇ」

 クラッススと呼ばれた男は、そう言うと、親方の顔を窺った。

 親方は苦い顔をしながら頭をガシガシと掻いた後、少し考えてから俺に向かって言った。

「デリス、実はお前には内緒にしていたが、ウチは特別な仕事をしたたんだ。危険な仕事だ。なんでそんな事をって、理由は色々あるが、とにかく俺がやらなければならない……と思っているからで。いずれ話すつもりではいたんだ。だが、これは俺が勝手に背負ってるものであって……ああ、いや……。とにかく、人に恥じるような事じゃない。それだけは理解して欲しい」

「……はい」

 最初から、親方に限ってそんな事は心配していない。利己的な人でない事はよく知っているから。

「ハッキリ言おう、俺は『破滅根』持ちを攻略している」

 その単語を聞いた時、心臓が一際大きく跳ねるのを感じた。

 真核を生み出す事に良い面があれば、悪い面も当然にあった。それの最たるものが破滅根である。それは極稀に母塊に憑いてくるもので、例外的に現実世界に影響を及ぼす力を持っているのだ。攻略できずに消滅した時や、母塊の状態で破壊された時に災害にも似た力を引き起こすのである。最も深刻だったと言われる過去の例では、ある島がまるまる一つ消し飛んだとか。

 もちろん、それこそ稀も稀。ほとんどはそこまでは深刻ではないにしろ、危険である事には違いない。

 俺の記憶が正しければ、この町で発生したものを親方が攻略したという話は聞いていない。つまり……

「まさか、親方……勝手に攻略を?」

「いや、ルールを破るような事はしていない。……デリス、破滅根が出た時の対応は知ってるな?」

「ギルドに報告して、領主様へ話を持って行って貰い、外部の専門家を呼ぶか、町の手練れの職人に依頼を行う……」

「そうだ。正規の手順は必ず踏まなければならない。いたずらに被害を増やさない為にも当然そうしなければならない。しかし、それでも誰が攻略するかについてはある程度の自由がある。やりたがる人間の少ない仕事だ。立候補があれば大方、問題無く決まる」

「でも、親方が攻略したなんて話、一度も聞いた事がありませんよ?」

「ヘルプを頼んだ時は、そっちを代表者として貰っていた。そうでない時は外部の人間がやった事にしてある」

「なんでまたそんな……」

「……そこが、個人的な理由でな。お前にはまだ話していなかったが、ウチの先代がまさに今の俺と同じような事をしていたのさ。だが、先代の仕事を引き継いだってわけじゃない。俺の事情でやってるだけで、これを伝統みたいに考えて欲しくなかった」

「親方の、師匠ですか……」

「ああ。結構な変わり者だったよ。珍妙な格好をして、普段からフラフラほっつき歩いて、ロクに教えもしねぇ。俺らがそれなりに仕事できていたもんだから、ほとんど全部弟子に丸投げ。何度ブチ切れそうになったかわからん。でも、腕は間違いなく一番良かった。真面目にやれば他とは比べようもないほどの逸品を仕上げたもんだ。まあ、だからこそ悔しくてならんかったよ。もっと教えて欲しかったし、もっとたくさん店の仕事をして欲しかった。あの人が亡くなっても、ずっと納得できないままでな。でも、ある時にこの秘密の仕事の事を知ってしまった。やるせない気持ちになったよ。自分が手伝えていればとか、話を聞く事ができていればとか、色々とどうしようもない事をたくさん考えてしまった。でも、後悔してももうあの人は帰って来ない。だから、同じ景色を見て考えてみる事にしたんだ。あの時、どんな気持ちだったのか。何を考えていたのか、それを知る為にな」

「そう、だったんですか……」

「だからまあ、秘密にしている事にも少なからず葛藤はあったんだ。自分も師匠と同じ事をしているわけだからな、お前にもかつての俺みたいな不満があるんじゃないかと考えていたし、いつか話すつもりだったんだが、どうにもタイミングがな」

「……先代はそうでなくても、親方は俺にたくさん仕事を見せてくれましたよ。いつもつきっきりで指導もしてくれました。例え、ずっと知らずに話してくれないままだって、俺は不足なんて、全くこれっぽっちもありはしませんでしたよ」

「…………そうか」

 親方はしばらく額を揉みながら何かを考えてから、真剣な目をして問いかけてきた。

「今回の仕事、お前も同行してみるか?」

 何かを決意したような表情だった。だからこそ、俺も答えは決まっていた。

「俺なんかで力になれるのであれば、是非」

「……そうか。ふぅー……、それじゃあ、お前にも説明が必要だな。クラッスス、いいか?」

 一言も喋らずに壁にもたれていた仮面の男は、嬉しそうに肩を揺らしながら、こちらへ戻って来た。

「ええ、ええ。もちろん。と、その前に……お弟子さん、名前はデリスさんと仰いましたか。私は情報屋のクラッスス、今後ともどうぞよろしくお願い致します」

「ああ、はい。どうも……」

 正直、親しくなりたいという前向きな気持ちにはあまりなれそうもなさそうだ。多分、不気味な仮面のせいだと思うけど。

「それではお二人とも、今回のターゲットについての情報です。発見は本日の昼頃。シンボルは火。形はこのようなものです」

 そう言うと、彼は懐から一枚の紙を取り出し、それを親方に手渡した。俺は背中側に回り、後ろからそれを覗き見る。

 そこには、雫を模したような、上が細く、下がたっぷりとした形の一輪挿しらしきものが描かれていた。根のついた母塊は初めて目の当たりにするが、別段普通のものと違いはないように見える。しかし、実際の所はどうなのか、親方の反応を窺う。

「……見た所、それほど特異な代物ってわけじゃなさそうだな。しかし、シンボルが火なのに、花瓶の形なのか? こういう矛盾もありえる……か。あくまで容器としての用途ならば。ふむ……、だが外連味は無さそうか。確かに初陣には丁度いいかもしれん」

「今までの物はもっと形に特徴があったんですか?」

「必ずしもそういうわけじゃない。ただ、危険なやつは大体、普通とは違う特徴があるもんだ。例えば、人間が混ざり合ったような狂気じみた形をしていたり、腐った卵のような悪臭がするもの、本に口がついていて叫び声をあげるのなんかもあった」

 想像しただけで少し気分が悪くなる。それにしても、この平和な町でそんな物騒な夢を抱えた人がいるというのは驚きだ。

「……別に特別な事じゃねぇぞ。人間なら、誰だって可能性はあるんだ。表面だけでも平和になるように皆が努力してるから、実際ある程度は平穏なだけさ。誰だって、本気で殺してやりたいと思うヤツや、許せない事、忘れられない記憶なんてものがあるもんだろ?」

 見透かされてしまった……。

「よし、早ければ明日にでもギルドから連絡があるはずだ。いつもより念入りに準備をしておけ」

「はい」

 気を引き締めた所で、気づけばクラッススの姿が無い事に気づいた。と、工房を見回した時、入り口の外から彼の声が聞こえた。

「御武運をお祈りしていますよ」

 一体、いつの間に出たのか、まるで気づく事ができなかった。どこか普通ではないというのはよく分かったが、もしかしたら、俺の想像なんかよりももっと異質な何かなのではないか、という気がする。

「親方……」

「アレはそういうモノだと受け取るしかない。知ろうとしたってわかるもんじゃねぇしな、きっと深入りしても後悔するだけだろうな。だが、有用なのには変わりない。上手く距離を作って付き合うべきなのさ」

 少しの不安が残るも、今はどうしようもないだろう。それよりも、目の前の仕事に全力を注がなければ。

 俺は自分の部屋に戻り、いつもよりも更に気合いを入れて装備を手入れした。

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