第3話 微睡みの槌 3
*
真核に細工をして渡すにも、まずは何より素材を手に入れなければならないわけで。母塊に潜る手順はそれほど難しくはない。ただ、少し準備が必要になるだけだ。
俺は水を汲んだバケツを手に工房の奥へと向かう。そして、備え付けられた分厚い扉を開け、中に入った。
大人が四人ほど入れば一杯になりそうな狭いこの空間は『窯』と呼ばれている。母塊は特に水との相性が良く、水分で満たしてやる事で夢への入り口ができる。なので、この中を蒸気で満たしてやるというわけだ。
俺はすでに母塊が置かれた桶に水を注いでいく。透明のガラス玉なせいで、姿を見失ってしまいそうになるが、割れたりしないよう気を付けながら桶を満たす。
「準備はできたか?」
後ろから、鎧を着こんだ親方が顔を覗かせる。
「ええ、もう大丈夫です」
「よし、それじゃあ行こうか」
親方は俺の手からバケツを受け取ると、それを窯の外に置いた。そして、代わりに火バサミを手に持ち、手に持っていた鉄網から真っ赤に熱せられた石を拾い上げ、それを桶に沈めた。
ブシュブシュと音を立てながら石は沈み、水温を一気に上げていく。
親方は鉄網を外に置き、扉を閉めた。光が遮断され、しばらくは湧き上がる熱気と焼き石の音だけが感じられるようになる。
窯の中が蒸気で満たされ、少し汗ばんできた頃合いでゆっくり目を閉じ、三回ほど深呼吸する。すると、周囲の空間が膨張したような、壁を一気に取り払われたような解放感を感じる。そこからは一瞬だ。人が眠りに落ちる速度で夢の中へと這入りこむ。
目を開ければ、一瞬前まで瞼の裏からも感じられなかった光が目に入って来た。
眼前には見た事も無いような、真っ白な壁の建物たち。周囲を確認すると、どこかの漁師町であるらしく、運河に何艘もの船が浮かんでいた。
「事前の情報通りですかね。シンボルは魚か、海」
「そうみたいだな。狭い夢だ、すぐに見つかるだろう」
シンボルというのは、母塊の分類の一つ。その夢を構成する主だった部分というか、主役は何かという事である。
波の音が遠くに聞こえるが、潮の香りは無い。日差しは強く風は無いのに、妙に過ごしやすい。少し歩き、港の方へと向かってみる。
「ああ、なるほど……」
見れば、海には無数の泡が浮かび、その上、空中を身体が透けた魚が緩慢な動きで泳いでいた。
神秘的な夢だ。こういう現実離れした美しい光景を見る事ができるのも、この仕事の醍醐味なんだと思う。
「親方、真核は宙に浮いてる魚のどれかですね。多分…………、あの一匹だけヒレがデカい奴かも」
「うん、恐らくな。それで、どうやって挑む? 相手は浮いてるし、足場も無いぞ」
「…………。魚ですからね、釣るか、追い込むのが手っ取り早いでしょう」
俺は腰に差していた剣を抜き放つ。すると、先ほどまで優雅に宙を泳いでいた魚たちが小刻みに動きながら、様子を窺いはじめた。
母塊は自身の核を抜かれる事を嫌う。それ故に、夢の中には防衛の為の生物が大体いる。それらは『浮遊夢魔』と呼ばれ、真核を手に入れるには自然それらとの荒事になる。
俺は腰の物入れからクルミほどの大きさの黒ずんだ琥珀玉を取り出すと、それを防波堤の方へ放り投げた。
普通、未知の生き物と正面から戦うなんてマトモな人間には難しい。だが、それを可能にさせる方法もまた真核には秘められている。それは、他の何物にも代えがたい性質、母塊の中でのみ他の夢を使役できるというものである。
「行け、三つ足盲目犬」
そう声をかけると、琥珀から黒ずみが漏れ、前足が欠けた黒い犬の姿になった。彼はブルブルと体を震わせると、遠吠えのように高い鳴き声をあげた。すると、欠けていた前足に黒い靄が溢れ、それが百足の巻き付いた猛禽類の足の形になった。
そして、黒犬は威勢よく駆けだした。すると、魚たちの動きが一気に慌ただしくなり、群れとして一つの塊になっていく。
「いいぞ、もっと追い立てろ!」
そう言うと、盲目犬は小まめに場所を動きながら、こちらの方へと群が向かうように誘導してくれる。群れは間合いをとりながら、空中をゆらゆらと回遊し始める。
丁度いい位置に動いたのを見計らい、俺は一気に距離を詰める。そして、地面を思いっきり踏み切り、群れの中心へと突っ込んだ。剣で群れのど真ん中を切り裂くと、一瞬目の端に映った目当ての一匹を掴んだ。
「やった!」
そのまま落下し、海の中へと落ちる。そこで、透明の魚が宙を泳げる秘密を理解した。彼らの中は空洞なのだ。とても薄い風船、シャボン玉のような体をしているらしい。
暴れる魚の力と浮力が加わり、すぐさま水面へと引っ張り上げられた。
「ぶはっ! ちょっと、暴れるな! うわっ!」
こちらが水面に出て来たのをこれ幸いと、群れが全てこちらへ向かって一直線に殺到して来た。一匹ずつは柔らかいのでそんなにダメージは無いが、数の多さに対応が追い付かない。
「まだまだだなぁ」
親方の声が聞こえたかと思うと、頭上をすごい勢いで何かが通過した。恐らく、親方の武器だろう。親方は身の丈ほどもある長さの金棒型の真核を愛用しているのだ。その名も『作法知らずな幼獣(リトル・ガルム)』。打撃部分が複雑に噛み合った歯車の群れになっており、それがうまく動いて巻き込んだ物を食い散らかす事からその名前がついたそうな。
親方が作ってくれた一時の隙を見逃さず、俺はボス魚の腹に手を当てて意識を集中し、中から母塊の形を取り出すイメージを頭の中で思い描いた。すると、手に感覚が生まれ、一気にそれを抜き取った。気づけば、手の中には淡い緑がかった透明のロウソクが握られていた。
真核を抜くと、浮遊夢魔たちは散り散りになり、どこかへ消えて行った。
俺は足がつく所まで泳ぎ、水を吸って重くなった服に引かれながらも陸へと上がった。
一方、親方はと言うと、海に浮いていた玉の上を器用に渡りながら帰って来ていた。
「どうにかなったが、危ない所だったな」
「すいません……」
「どんなプランだったんだ?」
「…………。アイツらは宙を泳いでました。だから、海の中には来ないんじゃないかって。だから、一匹だけを引きずり込めば、後は水中でゆっくり抜き取りができるはず、と」
「なるほどな。まあ、悪くはなさそうだ。だが、結果的にはイマイチ。余裕はあったんだ。もう少しじっくり攻める方法もあったぞ」
全くもってその通り。まさか、海に浮いてる玉……人間が乗れるとは……。
「さてと、それじゃあ戻るとするか」
今日も突っ走り過ぎと詰めの甘さが露呈してしまった。俺の失敗は大体、その辺が原因であると思う。ほとんどの夢は初見で攻め方を考えなければならない。自分で立てたプランを最後まで完遂できない事はザラだが、そこからの修正も念頭に入れなければならない。……なのだが、それがなかなか上手くいかない。親方は、経験を積めばその内にカッチリと噛み合うようになるから、練習を繰り返せと言われている。
「分かってるんだけどなぁ……」
他の所は知らないが、ウチでは基本的に一人で潜るのは禁止されている。ふとした事で命の危険がある仕事だから、万が一の為のバックアップを必ずつけるという方針なのだ。しかし、そうなるとウチは親方と俺の二人しかいないから、必ず引率をお願いしなければならなくなる。店の仕事もある以上、あまり俺の練習にばかり時間を割いて貰うのも気が引けてしまい、あまりこちらからは言い出しにくいわけで……。
店に戻ると、先ほど取ったばかりの真核を親方に渡した。
「とりあえず、コイツを保管庫に入れてから、違うのにアタックしてみるか?」
「いえ、確か眼鏡屋さんからの品が、そろそろ納期近くなってたはずですし、他にもいくつか進めておいた方がいいのがチラホラあったような」
「ん? ああ、そうだっけか。ははは、そういうのはやっぱりお前の方が俺よりよっぽどキッチリしてるな。それもこの仕事には大事な事だ。よし、そうだな……それじゃあ、すまんが今日は晩飯まで残り、基礎鍛錬をしておいてくれ」
「はい」
俺は一度自分の部屋に戻り、装備を置いて身軽になってから、店の外へ出た。そして、軽く体操をして体をほぐしてから、駆けだした。
まずは町をぐるっと一周、ランニングだ。
走るのは嫌いじゃない。町の空気を敏感に感じる事ができるし、頭の整理にももって来いだ。とはいえ、先ほどの事を思うと少し気分が下がりそうになる。十分に攻略できるレベルだったのだ。それなのに、甘く見てしまった。これぐらいなら、と思ってしまった。
考えたくないが、今朝のカイエロンとの会話が少し尾を引いていたかもしれない。自分はただでさえ詰めの甘さが弱点だと自覚しているのに、更に頭に血が上り易いと来てる。
向いてない……とは思いたくない。しかし、もう修行を始めて四年だ。他に兄弟弟子もいないし、他の店の人と潜った事も無いから正確に比較なんてできないけれど、もしかしたら……もしかしたら自分は少し遅れてしまっているのかもしれない、と考えてしまう。
「ああ、もう……ロクでもない。頭を切り替えよう」
俺は町並みの観察に集中していく。ほとんど見慣れた風景だが、小さい変化を探しながら、町の呼吸を感じる。世界の把握は基本的な訓練だ。何かに気づく能力というのはこの仕事では大事だし、人の営みを見る事で真核に細工を施す時のヒントにもなる。
お決まりのコースを走りながら、途中に顔見知り達と挨拶を交わしていく。途中、空き地で筋力トレーニングをして、再びアトリエへと帰って来た時には、すでに日が傾きかけていた。
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