皆殺しガール

 内田百閒のある種の小説と同じ意味合いから溜息をつき、ぼくは椅子から立ち上がる。殺人鬼に殺されている最中だということも忘れて、生き残った生徒たちが一斉にこちらを向く。

 彼らは、ぼくこそが神だと気づいているのだ。


 足が止まった隙を抜かりなく衝かれて、男子生徒が巨大な鉄球に撲殺された。宮越くんではない。彼は、クラスメイトの血を頭髪・肌・衣服におびただしく浴びながらも、掠り傷一つ負うことなく生存している。逃げ回る際に机の角で体を打ったとか、そういう小さなものも含めて、負傷していないのは彼一人だ。

 もっとも、心臓は動悸している。

 大丈夫だよ。宮越くんは絶対に死なないからね。オナニーでもしながらのんびりと待ってて。比喩的な意味でのそれでも、文字どおりの意味でのそれでも、どちらもお好きな方を。


 死神のような大鎌が、女子生徒を縦に真っ二つにした。その時点で、数えてみると、宮越くんを入れて七人も残っている。時間が経てば経つほどペースが落ちているようだ。中崎先生は見るからに疲れた顔をしている。十三名――あっ、ごめん。花山さんを殺したのはぼくだから、十二名。中崎先生は中年ではないにせよ若くないのと、武器の性能がなまじ優秀なせいで慢心しているのと、この二つが要因だろう。


 ぼくが座っていた椅子の座面から、尖ったものが生えてきた。形状を見て、ピラミッドかな、と最初は思ったけど、物体はぐんぐん伸びる。正方形の底面の一辺が十センチ程度、高さがぼくの顔ほど。印象としては、古代の建築物というよりは塔に近い。

 全体が透明な硝子で作られていて、内部ではおびただしい数の蟻が蠢いている。何層ものフロアに分かれていて、フロアは壁によりいくつかの部屋に区切られ、フロアとフロアは階段を、部屋と部屋はドアを通って行き来できるようになっている。まるで人間が造った建物みたいだ。隊列を組んで行進している個体、無秩序に空間を行き来している個体。様々だけど、体を休めている個体は一匹たりともいないので、蠢いているという表現で問題ないだろう。


 右手を伸ばし、ピラミッドの頂点をタッチすると、一時停止ボタンを押したように中崎先生がフリーズした。床に仰向けに倒れた女子生徒に向かって、三日月刀に変化させた右腕を振り下ろそうとしている、という場面だった。

 助けてもらったと解釈したらしく、命拾いをした女子生徒は瞳を輝かせてぼくを見たけど、誤解も甚だしいので、無視して韮沢に向き直る。

 韮沢は気を失っていた。白目を剥いていて、中途半端に開かれた口がやけにエロティックだ。

 四人は一心不乱に行為に励んでいる。四つの切断面はいずれも滑らかで、人体の切断面の精巧なイラストが描かれた、人体ではないなにかに見えなくもない。


「ごくろうさま」


 四人は行為をやめ、一斉にぼくを見上げた。瞳は灰色のコンタクトレンズを装着しているかのようで、自らの意思というものが宿っていない。後方からは、中崎先生の魔手から逃れた七名の、荒い息づかいが聞こえてくる。漫画なんかだと、呼吸音はハアハアという擬音で表されるけど、七人は本当にハアハアと言っている。


「起立」


 四人は言われたとおりにする。ピラミッドの側面の一枚が外側にぱたりと倒れ、蟻が続々と外に出てきた。無秩序に溢れ出すのではなく、横二列に整然と並んで、野見山のもとへ。蟻たちの体は前進するごとに少しずつ大きくなっていく。目的の人物のもとに辿り着いたときには、体長は十五センチほどに達し、人間の肉眼でも、六本の脚は昆虫のか細いそれではなく、筋肉質な人間の雄のそれだと分かるようになった。六本全部が腕なので、酷くアンバランスに見える。

 野見山の全身に線が引かれた。幾何学模様のような、複雑に曲折し交差した縦横のライン。右脚から体を登り、右眉のすぐ上あたりを掴む。ぽこん、と音がして、野見山の体から歪な立方体が分離した。彼女を巨大な立体ジグソーパズルと見立てたなら、ピースの一個が取り外された、といったところか。

 蟻たちは次から次へと立体ピースを取り外していく。引っ越し業者の作業員を思わせる手際のよさだ。行きは右脚から上り、帰りは左脚から下りるというルールが定められ、そのルールが遵守されているのも、作業がスムーズに進行している要因の一つみたいだ。取り外されたピースはピラミッドの中へと運ばれていく。透明にもかかわらず、中に入った途端、肉片を視認することが叶わなくなるのが不思議だ。

 作業が折り返し地点を過ぎたのを境に、ペースが加速した。最後の一片が巣の中に消え、野見山の存在はこの世界から抹消された。


 突然、平が大きく跳躍した。頭頂部が天井に衝突、鈍い音が立ち、教室が少し揺らいだ。平は頭を天井につけたまま動かない。見えない力に押し上げられたかのように、徐々に体が潰れていく。外圧を加えられている事実を示すかのように、骨が砕け、肉が潰れる音が奏でられる。早々に歪んでしまい、分かりにくくなってしまったけど、一貫して無表情だ。

 平はやがて紙切れのように薄っぺらになった。加わっていた力が解除され、四月の終わりの桜花のように舞い落ちる。


 足元に落ちた平らな平を、大野が拾い上げた。中央に手を突っ込んで破いたかと思うと、穴に自らの首を通す。両腕を左右に広げ、指先を真っ直ぐに伸ばす。体が縮み始めた。平のように歪な完成形へと向かって潰れるのではなく、大野としての形はそのままに、サイズだけが見る見る縮んでいく。地に足をつけた状態を維持して背が低くなるのではなく、頭頂の位置はそのままに宙に浮いている。縮むのは、首に通した平もそう。一分も経たないうちに、今は亡き三匹の蜻蛉の餌になりそうなほど小さくなった。

 大野の体が動いた。両腕を広げたポーズのままでの飛行。向かう先は、ピラミッド。近づけば近づくほど加速し、側壁に衝突。音にワンテンポ遅れて、肉片と鮮血が花火のように弾けた。小さな大野の体は、小さくて平らな平とともに側壁にへばりつき、微動だにしない。

 ピラミッドが小刻みに横に揺れ始めた。そうかと思うと、徐々に引っ込んでいく。二十秒ほどで出っ張っていた部分がなくなり、椅子は完全に元の姿に戻った。


 ぼくと瀬口の視線が重なる。

 瀬口は得意客を出迎えるスナックのママのような微笑みを浮かべ、短距離走者のように力強く四肢を振って駆け出した。脇目も振らずに中崎先生へと突進し、抱きつく。風船の破裂音をいくらか濁らせたような音が立ち、二人は白煙に包まれた。両者の体が全く見えないほどの濃度で、二人がいた付近より外側に広がっていこうとしない。

 早回しにしたような不自然な速やかさで煙が晴れていく。視界がクリアになったとき、二人がいた場所には中崎先生も瀬口もいなかった。毛髪の一本さえも落ちていない。


 間接的に中崎先生を始末したぼくを、花山さんを脳味噌だけの姿にした張本人だということも忘れて、生き残った宮越くんを含めた七人全員が、救世主を見出したような目で見つめてくる、

 よりも早く、ぼくは韮沢に向き直る。依然として気絶したままの1―Aのボス猿は、ぼくの瞬きに反応して、催眠術が解けたみたいに意識を取り戻した。

 ぼくの顔がよく見えるように、首の角度を変更してやる。ぼくの姿を認めた途端、顔面に怯えの色が浮かび、ひぃっ、という声が口から漏れた。四肢が健在だったとしたら、両脚は性行為を拒むように縮こめられ、両手はバリアを作るように眼前に垂直に構えられていたに違いない。でも、達磨状態なので、肩が跳ねただけだった。


「韮沢」


 再び肩が跳ねる。うっとうしくて舌打ちしそうになったけど、やめておく。だって、話が進まないから。


「四人にあなたを酷い目に遭わせた元凶がぼくだって、わざわざ説明する手間を省いてくれて、ありがとう。もう一つお願いなんだけど、今ね、ぼくはとっても喉が渇いているんだ。その場から一歩も動かずに、誰の手も借りずに飲み物を用意できたら、命を助けてあげてもいいよ。ただし、できなかったら即殺す」


 韮沢が自らの股間に意識を向けたのが手にとるように分かった。

 尿は飲み物と見なすこともできる。尿を提供すれば、死を回避できるかもしれない。でも、常識的には、尿は飲み物ではない。飲み物ではないと判断されたら、確実に殺されてしまう。でも、現状、尿以外に提供できる液体はない。確実に殺されるのは、なにも提供しなかった場合も同じだ。なんでもいいから、液体と名のつくものを用意しなくては。なにが用意できる? 一歩も動かずに、誰の手も借りずに、四肢を失ったこの体で。――尿しかない。尿を提供すれば死を回避できる、かもしれない。でも、常識的には――。

 ぐるぐる、ぐるぐる、鳴門海峡の渦潮のように思考がループしている。渦潮は発生したり・しなかったりの繰り返しだけど、韮沢は放っておけば永遠に同じことを考えていそうだ。

 人間風情が、永遠を体験できるとでも思っているのだろうか? 神からの要求に、タイムリミットがないとでも思っているのだろうか?


「韮沢、もうカウントダウンは始まっているよ。五、四……」

「えっ? ちょっと、せめて十から――」

「あなたがフリーズしている間に、十から数え始めていたの。三、二……」

「そんな、ちょっと、あっ、ああ……」

「いちぜろっ!」


 小さな爆発音が響き、韮沢の左胸を突き破って心臓が飛び出した。四肢のない体が電流を加えられたかのように激しくのたうつ。心臓は血しぶきを撒き散らしながら天井近くまで上昇し、重力に屈する。元々収まっていた空洞を目がけて降下したが、縁に当たって床に転がった。拍動と痙攣はしばらく続いたが、やがて同時に運動を停止した。

 生き残った七人の方を向く。全員、フリーズしている。倒すことも、逃げることも、懇願が聞き入られることも叶わないとなると、琥珀の中の昆虫のように、氷の中のマンモスのように、コンクリートの中の白骨死体のように、自身の全てを停止させるしかない。うん、実に人間らしい行動だ。

 ……でも。


「動かないなら、存在する意味なくない?」


 指を鳴らし、宮越くんを除く六人を消し去る。宮越くんは驚愕し、忙しなく左右に視線を走らせる。一時的に別空間に移動したわけでも、姿が透明になったわけでもないから、絶対に見つけられるはずがない。

 神からすれば漸く、それでも一般的な人間としては比較的早く、宮越くんは六人が存在を抹消された事実を事実だと認める。そして、おずおずとながらも、視線をぼくへと戻す。


 どうして?

 怯え切った瞳はそう問う。

 答えが欲しいの? うん、ぼくも言いたい。言いたいんだけど、

 でも、回答を口にするのはもう少し先。


 指を鳴らす。前回指を鳴らすまで消し去られた六人がいた場所に、六人の人間が出現した。ぼくが消したばかりの六人ではない。ぼくが教室に入った時点で教室の外にいたクラスメイト五人と、クラス担任の増本日出男先生、以上六名だ。

 前者は、全員がいわゆる不良生徒。そうはいっても、働く悪事は高が知れていて、罪に問われない程度の悪行をつまみ食いするのみ。1―Aという猿山のボス・韮沢には頭が上がらないし、過去に学校の備品を悪意に破壊して警察沙汰になりそうだったときには、半泣きで生活指導の教師に謝罪していた。大人になったら、反社会的な組織の末端に自ら組み込まれに行くのではなく、普通に就職して、彼らなりの武勇伝を後輩なんかに話してウザがられるんだろうな、と想像がつく、その程度の男子たちだ。

 増本先生は、いつも不機嫌そうな顔をしている中年男性教師だ。生徒に厳しいことで有名で、男子に対する言葉遣いはとにかく乱暴、女子に対してはデリカシーのない発言が目立つ。精神論の信奉者なので、説教の内容はいささか前時代的で、イマドキの十代には共感しにくい。まだ四十代なのに頭頂まで禿げ上がっていて、潔くスキンヘッドにすればいいものを、数少ない残りの頭髪を未練がましく伸ばしているので、見た目が汚い。生徒から好かれているか嫌われているか、大別すれば確実に後者。それが増本先生だ。

 要するに、全員殺してオッケー。


 惨状を認識した五人のしょっぱい不良たちは、声の限り叫ぼうとした。中崎先生にしたように、一時停止も考えたけど、無尽蔵とはいえ、生かしておく価値のない人間に使うのは勿体ない。なんのために若子や泰造や若菜は死んだの? っていう話になる。

 というわけで、


「み・な・ご・ろ・し」


 向かって左から順番に指差す。指を差された者から順番に左胸を両手で押さえ、呻き声一つ発さずにその場に俯せに倒れる。床に体の前側をべったりとつけたときには、彼らは息絶えている。心臓麻痺。無価値な生命にお似合いな、なんの捻りもない死因だとは思わない?

 増本先生は、発狂しなかった。ぼくが五人を殺したことで、他の生徒たちを殺したのがぼくだと悟り、そのことが彼に正気を保つ力を与えたらしい。

 歩み寄り、ぼくの前で足を止める。吹っ切れたような顔つきだ。ぼくの顔を自らの意思で直視し、見つめる時間が二秒を超えても目を逸らさず、表情を変えることもない。心の中を読んだり未来を予知したりせずに、させたいようにさせてあげよう、と思った。中崎先生もそうだけど、大人はやりたいようにやらせた方が面白い。


「思えば、俺はみんなに随分と厳しいことを言ってきた。白倉、お前に対しても」


 ああ、そういえば、神だと自覚する前はそんな苗字だったような。


「みんなから最低の教師だ、嫌な男だ、酷い人間だと思われていることは知っている。俺がやったことを振り返れば、そう思われても仕方がないと思う。でもな、白倉。先生はな、本当はな」


 増本先生は彼にとっての制服であるジャージを脱いだ。着痩せするタイプらしく、着衣時に受ける印象以上にお腹が出ていて、安蔵に匹敵するかもしれない。胸、脇、腹の毛が繋がっていて、峻別できない。穿いているのは、白いブリーフ。


「本当は、人に厳しくされるのが好きなんだ。言葉遣いもそうだし、肉体的にもそう。特に白倉、お前のような幼さを多分に残した少女から虐められるのは、富士山を鑑賞するよりも快感だ。……というわけで」


 体の向きを反転させ、ぼくへと尻を突き出す。


「さあ白倉! 先生の尻を――」


 増本先生は真っ白な炎に包まれた。牛のような野太い悲鳴。嬉々とした饒舌とは打って変わっての、「いっそ殺してくれ」とでも言いたげな苦しみ方。どちらも最上級に暑苦しくて、うっとうしいことこの上ないので、早回しする。ほどなく声を上げなくなり、微動だにしなくなり、炭化し、炎が消え、数片の消し炭がその場に残った。

 残骸の向こう側には、比喩ではなく滝のように汗を流している宮越くん。

 いよいよ、このときが来た。

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