二階への道

 ニシくんの横を通り過ぎる。ぼくが所属しているクラスの教室があるのは二階。目的地は当然、そこだ。

 歩行の傍ら、今までに殺した――この世界に関係を持てない存在に成り下がらせた――人間を、脳内にて列挙してみる。


・白倉若子

・白倉若子(二回目)

・白倉安蔵

・白倉若菜

・テっちゃん

・穴に落とした男子生徒

・ウサギに変身させた女子生徒

・不良の男子生徒×3

・ニシくん


 名前はどうでもいい。問題は性別と人数だ。男子が七人、女子が四人。女子よりも七人も多く男子を殺している――これでは不公平だ。神だと自覚する以前の性別が雌だから、雄を多く殺したのだと誰かに思われたら、神の名折れだ。

 あと三人、女子を殺さないと。


 歩を緩めたぼくを、一人の女子生徒が追い抜いた。太り気味の体型。本人は物凄く気にしているのだけど、客観的に見れば過度に思い悩むほどでもない、そんなレベルの肥満具合だ。

 まとわりついてくる蠅を払うように、太り気味の女子生徒に向かって右手を水平に一振りすると、首から上が椿の花のようにぽろんと落ちた。頭部は無限の千円札から成るサッカーボールになり、廊下を低速で転がっていく。


「お金! お金だ!」「千円札!」「一万円札がよかったなぁ」「早い者勝ちぃ!」「お金、お金」「億万長者!」「凄い、大金……」「無限のお金!」「何枚貰えるかなぁ」「ああ、金!」「金金金金金……」


 近くを歩いていた生徒たちが、引き寄せられるように千円札ボールに群がる。発言からも分かるように、お金を物凄く欲しがっているのだけど、それでいて誰もボールに触ろうとしない。お金が最も欲しいお年頃だけど、まだアルバイトさえも禁じられている年齢、自力でお金を手に入れることに縁がない彼らは、お金という概念に過度の畏怖の念を抱いている。いわば、彼らにとって金は神なのだ。


 規則的に微妙に左右に揺れるという、客観的に見れば不自然でしかない動きで転がるボールを、生徒たちは高い集中力をもって追跡する。毬状の紙幣の行き先、廊下の突き当りでは、ポニーサイズのユニコーンが暇そうに突っ立っている。体は小さいけど、一メートルはありそうな角は鋭くて雄々しくて、銀色がかった白い体毛が美しい。ユニコーンは草食だから、自らの足元に千円札ボールが転がってくれば、良心の呵責もなく食み始めるだろう。

 そうなった場合、追いかけている彼らはどのような反応を示すだろう。力尽くで止めようとする? 指をくわえて傍観するだけ? 現時点では不明だけど、見ものではあると思う。

 でも、今は彼らにかかずらっている場面ではない。俎上に載せるべきは、太めの女子生徒。


 彼女はというと、頭がついたままだと思い込んでいるようで、至って普通に歩き続けている。一時間目から体育とか、嫌だなぁ、着替えるの面倒くさいし。そんなことを考えながら、自らが所属するクラスの教室へと向かっている。

 でも、それも仕方ないことだ。彼女が重大な喪失を自覚しないのは、ぼくが決めたことなのだから。彼自分の教室に辿り着き、自席の椅子に腰を下ろした途端、椅子と同化し、思考する椅子と呼称するのが適当な存在に成り下がる。そういうふうに決めた以上は、常識的には不自然でも、有り得なくても、彼女は決定に則って行動するしかない。


「遅刻、遅刻」


 別の女子が駆け足でぼくを追い抜いていった。髪の毛を茶色に染めた、細身の女の子。一人目の女子の体型が太めだっただけに、演出にわざとらしさを感じるけど、「こんな顔とか髪型とかメイクとかの子、どの中学校のどの学年のどのクラスにも一人はいるよね」っていう意味では、極めてナチュラルだ。

 痩せた女子生徒は何食わぬ顔で、太り気味の首なし女子生徒の横を駆け抜ける。他の人間からは、太った彼女の姿は、単なる太った女子生徒、つまり首がちゃんとついているように見えるようになっているのだから、当然だ。

 でもぼくは、「首なし人間が歩いているにもかかわらず、平然と横を通過するような異常な人間は排除するべき」と考えることにした。だって、女子を三人殺さなきゃいけないし。


 階段の一段目に右足を置いた瞬間、痩せた女子生徒の脚が一気に二十センチくらい、ずめりょっ、と床に沈んだ。その瞬間の彼女の顔には、出し抜けに不可思議な現象に襲われたからというより、順調だった進行に待ったをかけられたことへの驚きが表れていた。沈降の速度は、だいたい秒速三センチ。細身の体を中心にして、淡い紅色の波紋が広がり、五十センチほど遠ざかるとふっと途切れる。

 沈みゆく一方の痩せた彼女は、えっえっえっ、という感じの顔を晒している。状況に頭がついていかなくて、恐怖する段階まで達せていない。だから、危機から脱するための行動に移れない。それどころか、どうすれば危機を脱せるかを考え始めることすらできない。ぼく的には窒息死の未来は確定なのだけど、えっえっえっという顔のまま地中を沈んで・沈んで・沈んで、ブラジルかアルゼンチンかチリあたりに足から突き抜けるのも面白いかな、とも思う。

 まあ、思うだけだけど。


 面白いといえば、太り気味の彼女=首なしの彼女が、痩せた彼女が沈みゆく様子を見入っているのも面白い。頭がないから、当たり前だけど目もない。だから、見入るっていう表現は正確性に欠けるのだけど、とにかく見ているのだ。上体をのけ反らせて、もし首から上が健在だったなら、百二十パーセント驚愕の表情を浮かべているんだろうな、っていう佇まいで。


 痩せた彼女は早くも腰まで沈んだ。顔は相変わらずえっえっえっで、死ぬまでえっえっえっのままなのね、って感じだ。

 一方の太めの彼女は、痩せた彼女を救い出そうとする気配を全身から発散させ始めた。首がない→声を出せない→助けを呼べないから、自力で救出するしかないと判断した、っていう意味じゃない。彼女は首がない自覚を持たないのだから、そんな考えを抱くはずがない。太めの彼女は、口よりも体が先に動くタイプなのだ。


 現在より二秒後、即ち現在よりも六センチ、痩せた彼女が沈んだ瞬間、沈んでいない彼女は沈みゆく彼女を助け出そうと動き出した。自身の両腕を被害者の片腕を巻きつけ、力任せに引っ張り上げるという、オーソドックスなレスキュー方法で。

 同年代の女子よりも多少腕力があるとはいえ、彼女の力では痩せた彼女を救うことはできない。なぜなら、決定事項だからだ。懸命の救出も虚しく、痩せた彼女は床に没し、首なしの彼女は呆然と、表情が分からないだけに正真正銘呆然という感じで、しばしその場に立ち尽くすことになるのだけど、授業開始のチャイムが鳴ったのを機に我に返り、気を取り直し、普通に階段を上って三階まで行って、普通に廊下を歩いて普通に教室に入って普通に自席の椅子に座って椅子と同化する。その未来は既に確定しているのだ。偏に、神の意志によって。


 でも、どうせ助からないのに助けようとするのは、無駄だ。茶番だ。

 というわけで、椅子同化エンドは取り止めにして、沈みゆく彼女よりも先に死んでもらうことにしました。


 首なしの彼女の動きが急停止した。両手を自らの腹部を宛がい、苦しげに上体を前後させる。首がついていたとしたら、頬というよりは顔全体を紅潮させて、汗を馬鹿みたいに垂れ流して、忙しなく呼吸を繰り返していたに違いない。沈みゆく彼女は、依然として混乱から脱せないせいで、傍目には滑稽な印象しかないえっえっえっの顔を継続している。両者から醸されるアトモスフィアは好対照で、微笑を禁じ得ない。


 首なしの彼女の腹部が次第に膨れていく。臨月の人妻、といったサイズに達するとともに変化が止まり、全身が痙攣し始めた。誰かさんに操られたかのように、立ったままで両脚を大きく開く。肌という肌に大粒の汗が浮かび、浮かんだ先から粒の体裁を失って垂れ落ちる。痙攣の揺れとは別に、腰が小刻みに動き出した。出だしは緩やかに、次第に激しく。

 やがて、スカートの裾から塊が出現した。首なし少女の首だ。苦しみ続ける本体とは異なり、状況を呑み込めていないことを外部にアピールするかのような、呆然とした表情が顔に貼りついている。


「りゃい」


 ぼくは右手を肩まで上げた。首なし少女の頭部はロケットのように勢いよく体内に引っ込み、そのまま肉塊の内部を垂直に驀進、制服に包まれた女体を縦に真っ二つ引き裂き、一階の天井、二階・三階・四階の天井並びに床を貫き、空をぐんぐん切り裂いて大気圏を突破、宇宙の彼方へと消えた。

 首から下の体を二等分にされた瞬間、首を失っても生を持続していた体が死を迎えたこと。頭部が校舎の床並びに天井を突き破ったことに気づいた者は誰一人いなかったこと。頭部は呆然とした表情のまま、死ぬことなく、永遠に宇宙空間をさ迷い続けること。三つとも、わざわざ語るまでもないことだ。


「ああっ? うえおええうおああおん!」


 自らの現状ではなく、自らの眼前で起きた出来事に対して、痩せた少女は声と表情に驚愕を露わにした。それを合図に、あたかも沈みゆく現状を失念した罰だとでもいうように、沈下速度が急加速、あっという間に頭頂まで床に埋もれ、薄紅の波紋が収まり、場は静寂に満たされた。


「やれやれ」


 歩き出す合図にするためだけに呟き、歩き出す。あと一人。

 現時点で、ぼくの周りには誰もいない。あるのは、太めの彼女の二つに裂かれた死体だけ。人がいない以上、このフロアにもはや用はない。というわけで、階段を上ります。

 っていうか、誰もいないなら生み出せばいいだけだよね。だってぼく、神だし。


 階段を下りてくる足音が聞こえてきた。あと一人ということで、一名様だ。

 さて、どんな子が殺されに来てくれたのかな?

 期待に胸を膨らませながら一段一段上る。踊り場で鉢合わせになる。


 ぼくだった。白倉若葉ではなく、ぼく。要するに、白髪白ドレスGカップおっぱいくびれ裸足ガール。

 ただし、のっぺらぼう。


「神は唯一無二の存在でなければなりません」


 ぼくと全く同じ声でぼくが言う。口はないのに、ちゃんと声が出ている。


「だから、あなたには死んでもらいます」

「君はぼくなんでしょ。ということは、君が言うあなたは、ぼくなんでしょ。だったら、」

「『君が――』」

「『「君が死んで」とあなたは言う』と君は言うつもりだったんでしょ。うん、そのとおりだよ。――『「流石は神」とあなたは言う』と君は言う」

「『流石は神と』……」


 ぼくの声が途切れる。


「はい、ぼくの勝ち。というわけで、君の方が死んでね。はい」


 眼前の虚空にサバイバルナイフを出現させ、テレキネシスでぼくに手渡す。ぼくは受け取る。


「あなたはこんな歌を知っていますか」


 ナイフを逆手に握り締めて、ぼくが語りかけてきた。


「『左様なら一足先に死出の旅』。とある死刑囚が詠んだ辞世の句なのですが、今のわたしは、まさにそのような心境です。あなたはわたしなのだから、あなたもわたしと同じ心持ちでいるのではないですか?」


 腹部に刃を深々と突き刺す。


「いたっ」


 思わず声を発してしまったけど、刺されたのはぼくではなくてぼくだから、ぼくが痛がる必要はないわけで。

 床に崩れ落ちたぼくは、細かい無数の灰褐色の粒子となり、無風にもかかわらず風に乗ったかのような動きでぼくにぶつかってきた。体に染み込んでいく。痛覚も異物感もなく、ただ「入ってくる」という感覚だけをもたらしながら、粒子の全てがぼくの体と一体化した。入ったあとも、違和感は全くない。一時的に離別していたものが予定どおり戻ってきた、そんな感じだ。


「ま、ぼくだからね」


 そっと呟き、ぼくと一体化したぼくは階段を上る。

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